※超長文です。悪しからず。
もう12年前のこと。
前年某食品会社のルート営業の就職が決まった。
ド本命でも何でもないどうして志望したかも覚えていない会社。ただ知名度は全国区というか業界最大手の会社。
2006年4月1日。
その2日前には勤務地の茨城のアパートへの引っ越しを済ませていたけど、周りに何も無く心細く、31日は実家に戻っていた。
他の人は勤務先から東京本社での入社式に出席したようだけど、自分は実家からの出席。この時点で意識が低かったのかな?
初出勤というか本社での入社式。からのバスで群馬かどこかの研修施設での1週間缶詰状態の合宿がスタート。
地獄だった。5時起床からの5㎞マラソン。遅かったりバテてると怒られる。全員に課せられる意味の無い声出し(今日の目標とか頑張りたいこと)。声が小さかったり、内容が薄いとダメ出しとやり直し。
その後はひたすら座学と、営業力を鍛える為のグループディスカッション。
これが1週間弱ず~っと続いた。
同期とはあまり仲良くなれなかった。何故かは今でも分からない。
自分の性格的にそんなに友達出来づらいタイプではなかったと思うけど、何か自分の中で身構えていた部分があったのかも。
後はみんな結構ガッツリ体育会系だったこともあるだろうか。ちょっと普段の空気が違ってた気もする。
ただ同期という貴重な友人を作ることが出来なかったことは、今後のこの会社での生活に影響したことは間違いなかった。境遇を分かり合える立場の人が周りにいないことは想像以上に辛い。溜まる。
研修が終わり、同じ北関東エリアの人とかなり偉めの上司の車で送ってもらえることになった。けど、、、
良く分からない駅で自分だけ降ろされた(笑)
降ろされたのは多分合宿所からの最寄りの駅だと思う。全く土地勘無いし今でもどこだったか全然思い出せない。
そこから携帯で帰り方を探しながら2時間掛けて、勤務先近くの自分のアパートへ帰った。途中何度実家に帰ろうと思ったことか。
尚、同乗した同期は、勤務先近くの駅まで送ってもらえたそう。この時点でもう自分はこの会社にアジャストできていない感はあった。
何故上司は自分だけあんなところで降ろしたのか?配属先は知ってるから余計に不思議だった。
そしていよいよ翌日の初出勤。
事前に挨拶もしに行かなかった不心得者の自分は、朝から緊張しすぎて4時くらいには目が覚めていた。
前日夜、職場から連絡があり朝は先輩社員Aが迎えに来てくれるとのこと。
待ち合わせ場所でA先輩と初対面。とても優しくて感じの良い人だった。
そして車で営業所へ。ん?意外に遠いぞ?車で30分くらい掛かってた。
・・・・車通勤前提


車持ってないけど。
色々な不安を感じながら営業所へ。
一人一人に挨拶。というか何でみんなもう出社してるの?何でもう営業車に荷物積み込みしてるの?
そして営業所長と初対面。
「あっ!この人アカン!」と感じてしまったところでゲームオーバーだったんだと思う。
車を持っていないことに対し、いつまで先輩に送り迎えしてもらうつもりか?とハラスメントを受ける。
車買えと?
入社前にマイカー必須とは言われてないけど。
※後日、実家からmy原付を移送。更に数週間後、結果的に多大な無駄金となったしょぼい軽自動車を購入。
朝礼。改めて挨拶。自己紹介。。。何故か周りは固まったままず~っとこっちを見てる。
どうやら研修合宿同様、今日の目標を言わないといけなかったらしい。知らんわ。
社訓の暗唱。覚えて来てないし気にもしてなかった。まぁ初日だからと大目には見てもらえた。
結局退職するまで私が朝礼発表の日は常にグダグダだった。
B先輩が指導役になり、1か月程度の同行営業がスタート。
今日回る得意先の注文品をトラックに詰め込み出発!という流れだけど、B先輩免停中(
)の為、運転は私が。しかしほぼペーパーの為マニュアル2t車が不安で商用バンにて出発。
このB先輩。この職場で一番合わなかった。
未だに名前、顔、話し方はハッキリと覚えているけど何を話したかとかは全く覚えていない。
一々癇に障る言い方をする人だったし、学生時代ずっとサッカーをしてたらしくガチガチの体育会系。
というかそもそも何して良いか分からない。いわゆる見て盗め系だったんだと思う。
とにかく必死だった。メモ書きまくった。納品作業も必死だった。
でも今思い出すとあまり自発的には動いてなかったかな?言われたことだけこなす感じ。
そういえばすぐ辞めた大人しい同期の話を度々聞かされた。今思えばお前もダメなら早く辞めろという意味だったのかな?
世間話で盛り上がっても「そんな話いいから仕事覚えろよ
」と思いっきり話の腰を折られた記憶も。
あと「お前のその薄ら笑いをやめろ
」と怒鳴られたことが何度かあったかな?
人生でこの時期以外に他人からそんなこと言われたこと無かった。極度の緊張で表情強張ってたんだろうか?
その繰り返しの4月。周りからの評価は厳しめだったと思う。
「あいつ、何かね~(笑)」みたいな会話してたし。
前述の通り、同期で仲良い子がいなかったので、地元の友人に愚痴る日々。
ただ地元の友人はかなり気にかけていてくれたみたいで、向こうからも「調子どう?」と電話がちょくちょく来た。
非常に有難かった。
同級生だけど一人は大卒のままフリーター。もう一人は就職活動中の大学4年生。
ちょっと羨ましかった。俺だけキツい思いしてんな~と。
里心も出始めた。結果週末の休み前の夜に実家に帰るようになってた。GW前にはその生活になってたかな。
GWは飛び石休だったけど、例の地元の友人2人とプロ野球に観に行って、飲みに行って、夏の盆休に沖縄旅行行こうと盛り上がった。
それまではとにかく仕事頑張ろうと思った。
だけど、これから数日後、自分は社会人としてあるまじき行為に出た。
朝起きた瞬間もう何も考えられなかった。
仮病で休んだ。
熱はあった。だけど普通はインフルエンザとかでも無ければ風邪薬飲んででも頑張るでしょう。
もう社会人として常識とかマナーとかが瓦解し始めてた。
ただこの頃から耳鳴りに悩まされたり、微熱が続くようになったのも事実。ストレスだったんだろうと思う。危険信号が出始めたと解釈してる。
その後、所長からはまだ独り立ちは不可能と判断され、暫くはB先輩ではなく別の先輩のルート同行。
C先輩は脱力系で、色々相談できた。やっと職場の人に打ち明けられた。「まぁ難しく考えずにさ~、これだけは絶対!ってことは以外は結構テキトーでもいけるよ(笑)
」というノリ。
この人との同行が一番楽しかった。というかお客さんからのウケも良かったように見える。
商品の売り込みとか新規開拓とかはほとんどしてなかったから、「営業」としてはイマイチだったんだろうけど、所長に怒られた時に庇ってくれたことは嬉しかった。
この人が一番の自分の人間性を見てくれていたのかもしれない。最初からこの人が指導社員だったらと思うと、自分も少しは違う人生があったのかもしれない。他力本願だけど(笑)
その後D先輩とも同行。まじめな人で自分の状況を細かく分析してアドバイスをくれた。
C先輩とはまた違った良い先輩。
Cさんといい、こういう人達もここで頑張ってるんだなと思うと少し前向きになれた。
他の人のルートも数回同行したけど、全体的に癖のある人が多かった印象。でもB先輩が飛び抜けて嫌だった。最後の頃は殆ど会話も無かったんじゃないかな?
そしてここで決定的なターニングポイント。
私の歓迎会。
。。。思い出したくもない、けどハッキリと覚えているトラウマ。
確か魚民。
2時間超、終始私へのダメ出しと叱責で盛り上がる宴席。
本当に辛かった。
「10分おきに小話しろ!」そして本当にさせられる苦痛。案の定ダダ滑り。滑ったことで盛り上がりダメ出しの無限ループ。
当初送り迎えしてくれていたA先輩がちょくちょく声掛けてくれたけど、もう何も言えなかった。途中からトイレ行きまくって、酔ってベロベロな振りしてた。
ちなみに初出勤時目にした「朝来たらもう出社してた云々」は班別に当番で、その日入ってきた商品の格納をしていたようで、自分はそれを「サボっている」状態だったらしい。この日初めて知った。
この飲み会の2時間は自分の生きてきた三十云年の中で最も辛かった時間。
トイレの窓から飛び降りてやろうかとさえ考えた。
この日で完全に気持ちは切れた。
もう辞めよう。
1次会後、C先輩かD先輩に気持ちだけ打ち明けようと思ったけど、D先輩はちょっとの差で他の先輩方と2次会に行ってしまった。
C先輩はお開きと同時にすぐ帰ったらしい。色々と上手い人なんだろうなと思った。
翌日、逃げるように実家へ帰った。
だけど生真面目なんだろうか。また翌日から普通に出社(笑)。社畜要素ありそう。
でももう今までのように頑張ろうとも思わない。
同行営業で、淡々とひたすら運転と積み込み納品の日々。
気づけば6月。
3月までバイトしていた職場で歓送迎会があるのでと誘われた。
といっても出席者は全員自分がいた時から一緒に働いていた仲間ばかり。
先の地元の友人2人も、実は同じバイト仲間だったので、もうこれは行くしかない
と。
当日休みだったし、週末はもうずっと実家に帰っていたので、喜んで参加した。
この飲み会は実に荒れた。
荒れたといっても、自分の職場の愚痴、溜まりに溜まった不満が爆発しただけだけど。
自分より先に辞めたバイトのリーダー的存在だった人が、バイト辞めて以来初の飲み会参加もあり、明け方まで大騒ぎ。
当時開催されていたドイツW杯とか、ハルヒとか当時やってた深夜アニメとかも話題になったかな。
この時の飲み会は過去最高に楽しかった。
もう自分のいるべき場所はあの会社ではないし、住むべき場所も地元だなと感じた。
その月末、「お前いつになったら仕事できるようになるんや
」と怒鳴られたのを機に、月内休ませてほしいとお願いした。
この時点で流石に所長は察したようで、拒否はされなかった。
実家に帰って親に伝えた。
多分私は半泣きだった。
次の仕事も探してないけど、ここから抜け出すことしかもう考えられなかった。
月が変わって7月。月初の月曜日に職場へ行った。
所長に会った瞬間「あれ、来た
」と驚かれた。そのままバックレるのが普通なんだろうか。もしかして私真面目?(笑)
辞意を伝え、辞める人間なので同行はせず、職場の掃除と引っ越しの手続きを粛々と進める。
翌日中の退去を指示されたので、翌日は両親も茨城入り。引っ越し作業と役所の手続きを手分けして行う。
午前中にはほぼ全て完了し、昼過ぎには退去引っ越し。
グッバイ茨城!
この2日間は本当に暑い日だった。はっきりと憶えている。
怒涛の3か月だった。
今思えば自分も社会常識を知らなかったし、先輩方との付き合い方も分からなかった。
新社会人としての覚悟も、学ぶ姿勢も足りなかったんだとも思う。
今もしあの場にいれば上手く立ち回れた状況は多分にあるし、違う人生も有り得た。
けど、
壮絶クソな会社だったことは間違いない。
色々迷いはあったけど辞めて良かった。
人生は1度切り。
3年我慢説は否定しないけど、3年経つ間に壊れたら元も子もない。
根性ややる気だけでは変えられないものだってあるはず。
仕事は向き不向き合う合わないは存在する。どんな会社・業種・職種でも適応できる人もいることは間違いないけど、全員がそんな要領良いわけない。
辞めること逃げることも選択肢。
今更でもう死語だけど、逃げるは恥だが役に立つ。
まさにこれだと思う。
毎年年度初めになると、あの時期を思い出す。
自戒の意味も込めての投稿です。駄文長文失礼。