今年の1月に転職を決め、3月で退社。とともに学生時代から勤しんでいた小売業から卒業をした。

 

現職はスーパーやディスカウント、ドラッグストアを訪問し自社商品の営業や陳列サポートがメイン。

同業や小売の方ならどんな仕事の人かすぐピンとくると思うお仕事。

 

4月半ばから独り立ちして、今は自エリアを定期訪問。

 

今までとは真逆の立場で、お店の人から邪険にされたり悪態をつかれたりしながらも(笑)、自分も若い頃はそういう態度だったのかもなぁ~としみじみしたりもする。

所謂、営業職なので売り込みや商談、話すタイミングというのはとても難しかったりする。

店員さんはああ見えて忙しい。裏ではパートさんに指示出したり、休憩時間までに納品を片づけたりとか、自分の仕事も合間にこなさないといけない。それもかつて自分が何万回と通ってきた道。

 

私「今話大丈夫ですか?」

担当の方「今忙しいから無理!」

ですよね~。。。

 

一緒に品出ししながら少しずつコミュニケーション。以前は逆の立場だったのに本当に不思議。

「私も十数年その仕事してきたから分かりますよ!助けますよ!」と言いたいけれど、自分から言う人って少し煙たいよね。仲良くなるまで我慢。

 

今まで自分が接してきた営業さんも、同じこと考えながら私とコミュニケーション取ってたのかな、と思うと良い意味でだけど何とも言えない気持ちになる。

 

こういう生き方も面白いな。

 

と言いながらも現在は4/29からの大型連休中で(笑)、本当世の中にはこんなにきっちり休める環境があるんだな、と。

みんな365日24時間同じ時間を過ごしているのに、会社に拘束されている時間は人によって本当バラバラ。

何で小売ってあんなに休み少ないんだろうね?

 

離れると改めて気付くけど、これがブラック業界と言われる所以なんだろうなぁ。

休みたい時に休める。

休みが多いから趣味の時間も勉強や運動も定期的に出来る。本人のやる気次第というのは抜きでね。

 

それだけでノンストレス。

小売というかサービス業は基本シフト制だから、3日行って1日休んでみたいな流れの繰り返し。職場が年中無休なら年末年始もシフトで動く。

連休を取れば誰かにしわ寄せ。

レジも神経使うし肉体労働も多いし、頑張る割には薄給で昇給も雀の涙。

 

訪問先のお店では、未だに社員のシフトが開店から閉店までで、休憩時間は2時間、みたいなシフトがざらにある。

もうこの業界は改善は不可能なんじゃないかとさえ感じる。

私もだったけど、その組織の中にいるとそういう感覚も麻痺しちゃうんだよね。

 

我ながらよく十数年頑張ったと思う。。。

昨年12月から転職活動再開。

昨日、内定を頂いた。

 

仕事は某食品メーカーの営業の契約社員。

新卒で同じ肩書の仕事はしてたけど、全くの別物で今まではスーパーの店員として、取引先として内定企業の方々と付き合いがあった。

仕事の仕方はある意味身近で見ていたので、自分が出来ること、やりたいこととマッチした感じ。

 

 

給与はほぼ同様かやや下がるが土日祝完全休日。有給取得推奨と現職にはない良いワークライフバランスが取れそう。

肝心の契約社員待遇は確かに不安はある。

一定年数経過後、無期雇用や正社員転換制度はあるようで、いわゆる契約切りは殆ど無いそう。

確かに今まで一緒に仕事をしていて、キャリアの長い方や自分より年上の方が多く、離職率も低いらしい。

ここばかりは信じるしかないし、自分の頑張り次第もあるんだろう。

仕事のモチベーション要素として前向きに考えていきたい。

 

 

上手くいかなかったら、小売業界に戻るという選択肢を残しておく位の割り切った働き方もできる。

 

 

小売業については、

もちろん愛着はあった。けど、

愛着というより仕事の慣れだけだったかもしれない。

現職はおよそ2年半

前職は通算12年。

学生時代のスーパーのバイトは3年。

 

新卒で3か月ほど違う仕事をしたのはノーカンとして(笑)

 

現職に転職時にも小売業に対する考え方の変異には気づいてはいたけど、それ以上に前職の会社合併後の社風の違い、合併元社員とのあまりにも違う仕事と価値観に悩まされていたので、元の環境に近いところでという思いがあった。これは愛着だったんだろう。もう一度あの頃のように働きたい。と。

 

今回の転職活動に至った経緯としては、

第一に、転勤によって生活のリズムが大きく狂ったこと。

入店は7時30分、退店は22時30分と通勤を含めて考えると、家にいる時間が殆ど無く、家族と会話することが無くなってしまったこと。

もちろんシフト制なので毎日朝から夜遅くまでではないけど、転勤前は営業時間が短く、自転車通勤だったのでこの生活リズムの変化は堪えた。

 

第二に、転勤先の仕事がきつ過ぎること。

良い齢して何を、、、と思われるが、社内でも「魔境」「魔界」と評される店舗。

繁華街駅前店舗なので、狭い敷地に客はぎゅうぎゅう、納品は毎日山のように来るので、ひたすら品出しと格納作業。本来社員5人設定なのにここ2年ほどは3人体制。5人でやるべき仕事を3人で回している状況。

自前の従業員は皆無、社員以外全員派遣の外国人ばかり。

言葉の壁は大きく、思うようにいかない毎日。

派遣会社の経費がバカ高いらしく、それが社員を増やせない理由らしい。

本社の人は1度勤務してみたら良いのでは?と本気で思う。

 

第三に、小売りの根本的な部分になるが、コロナ禍を経てこの仕事に対する疲れや嫌気が出てきたこと。

東日本大震災の時は「頑張らなきゃ」と思えたが、前回の緊急事態宣言のスーパーの大混乱時は客が悪魔にも見えたし、滑稽な姿にも見えた。人間の愚かさを間近で見続けていると気が滅入ってくる。

こいつらの為に店に商品並べて金貰わないといけないのかと思うと息が詰まりそうになった。

エッセンシャルワーカーという言葉が死ぬほど嫌いになった。小売業従事者がこの言葉を使っているのを見ると情けなくなる。

そういうカッコよさそうな単語を装飾しないともう持たないんだろうなぁ。

 

何とか仲間と協力し合いながら乗り切ったら今度はレジ袋有料化。地味ながらこれもまたダメージが大きかった。

日本人てこんなに浅ましくて馬鹿だったのか?定着し始めるまで毎日悩んだ。

 

からの、転勤で現在に至る。

 

異動先は自分で決められることではないし、人員配置も現場の裁量ではない。

慣れてるからこなせるけど、もうそれは仕事への愛着ではない。
 

新しい仕事は間接的には小売りに関わる仕事。

自分の経験が活きることもあるだろうし、新しい価値観が生まれるかもしれない。

 

もう1度頑張ってみよう。

 

Re:Start

現社に転職してちょうど2年。

 

中途の新入社員も来て、いよいよ転勤辞令が出るかなと察している毎日。

 

実は今いる店舗以外はみんな片道1時間はかかるところばかり。

それくらい普通じゃん?と言われればそれまでだけど、現在は自転車で15分くらい。

これがドアトゥドアで1時間となると正直気持ちは重い。

そもそも家から近い店舗が少ないというのは転職時から分かっていたのでかなり我儘な気持ちなんだろう。

 

ただそれ以上に葛藤となっているのが、最近湧いてきた転職願望。

現社に対し、働いている以上ある程度の不満は持ち始めている。

 

今の店長を始め、社員が総合的に頭が悪い(笑)

責任感、覚悟が皆無の店長クラスの多いこと。

私の中では「店長」はある種経営者で、「店長という業務をこなす人」ではなく「店舗の最高責任者」だと思っているのだが、これが欠けている店長が非常に多い。自店もそうなのだが何故か経営陣からの評判が良い。

「人柄の良さ」ではなく「人の良さ」だけで評価されている。

 

先ほども触れたが新入社員が研修に来ている当店。

店長は「何を教えていいか分からない」と毎日悩んでいる。

何故店長にもなってそれが分からない?

ちょっと助言すると「俺の時はそこまで教わらなかった」

どうしたいんだ?

新入社員の研修受入れを断るという選択肢もあった。が、「断るなんて有りえない」だと。

 

こうやってこの会社は仕事デキない若手が増産されていくんだろう。

何も教わらずどこまで出来るかも分からず、何となく雰囲気で仕事をするようになりつまらなくなって辞めていく。。。

 

退職者が続出する魔のエリアがあるが、全て同じ店長が掛け持ちしている店舗。

そしてこの人がスーパー店長みたいに持て囃されている。(使い勝手が良いだけかもしれないが)

イエスマンやおべんちゃら系が出世していく昭和な体質。

 

 

かといって若手というか担当職クラスも「考えて仕事をする」ではなく「与えられた仕事をこなす」だけ。

不祥事による懲戒処分もやけに多い。

上司、先輩が頭良くない上に採用担当者が無能なのでは?

 

おそらく本当の意味でデキる人は去って行っているんだろう。

 

ここまでは会社に対する不満。

 

後は今年のコロナ禍におけるサービス業の限界。

暴言、誹謗中傷、客という名の悪魔。

これに対しては一言、

 

「嫌なら来るな」

 

そんなにウチで買い物することに不快感を持つなら他所を当たればいい。

店員は客の下僕ではないし、来てくれとお願いもしていない。

カスハラが数か月も続けば流石に小売業サービス業の仕事は嫌になる。

 

たまには違う景色もみてみたいなぁ、と。

もう1回転職活動してみようかな。

 

 

ディーラーから法定点検のハガキを頂き、改めて思ったこと。

 

「転職してから、車、乗らなくなったな」

 

2年で3000㎞も乗ってない。

前職はマイカー通勤だったので、月1000㎞は当たり前。年間で2万キロ走ったこともある。

何しろ乗っている時間が楽しく幸せだった。

走る悦び。車内は音楽を爆音(笑)、ラジオ聞き流しも好き。おすすめはnack5(笑)

 

今の仕事に変わってから、遠乗りは精々実家かお気に入りのラーメン屋行くくらい。

もうサンデードライバーと変わらない。

 

ディーラーさんとの話の中で、

「乗ってないですね~(笑)。今の用途に合わせた買い替えもアリですよ?軽のワンボックスとかも最近は良いですよ~」と。

残価設定だから頭金くらいでローン自体は減額も可能なんだと。

 

なるほどと思う一方で、今の用途って何だろうなと疑問。

 

これまでの愛車を思い返すに至った。

 

 

初代相棒 三菱ミニカ・ライラ(06年5月~)

今でも過去ブログに購入経緯に関する記事が残っているが、最初の就職先にてマイカーを買うようパワハラを受け購入したもの。

求人時点でマイカー必須などどこにも記載がなく、職場から決して近くない距離にアパートを借り上げられ、「どうやって通うんや!?ムカムカ先輩に送迎し続けてもらう気かムカムカ」と怒鳴られ30万円くらいの安い中古の軽をなけなしのお金で購入。

乗り心地は最悪w

AMラジオが受信できたことがせめてもの救い。

逃げるように毎週実家に帰り続けた国道16号の景色が思い出。

7月の頭には辞めたので、とんだ無駄銭で実家に帰った後は完全に無用の長物。

翌年春頃に、買取価格が0円(笑)で引き取ってもらった。

 

2代目 ホンダゼスト(08年8月~)

再就職を果たして実家近くの本店で勤務していたが、転勤の話が出た為購入。本店以外はどこも遠く駅からも遠いという立地だったのでマイカー通勤を決断。

前車の経験を踏まえ、少しでも良い車をチョイスしようと色々と検討し、燃費や自動車税を考慮しこれに至る。今思うとなぜこの車種に決めたんだろうとも思う車。

最後はフィットとワゴンRか何かで迷った記憶。

最新型だったので、オーディオやキーレス、カーナビも充実装備。

ただNAだったので結構もっさり気味で、意外とシートも固かった。今と違い当時はまだ軽は普通車に比べて作りが安上がりだったのかな。転勤後は片道20キロの幹線道路の往復だったけど、微妙な腰痛に悩まされるようになる。

 

3代目 マツダアクセラスポーツ(10年1月~)

腰痛も考慮して僅か1年半で買い替えを決意。普通車で乗り心地の良いものをコンセプトに徹底調査。インプレッサとの激しい競り合いの末購入。彼が人生最高の相棒だった

乗り心地やキビキビ感、シートの座り心地の良さ。本当に何も無くても乗り続けていたい衝動に駆られるような車だった。

仕事終わりにまっすぐ帰らず、ドライブして帰ることもしばしば。外環から西東京一周して帰ったり、意味もなく群馬まで行ったり、中央高速1周したり。。。旅行に良く行ったのもこの車だった時だな~。

この頃から急激に車に関心を持つようになり、色々パーツ買って弄ったり、車好きの同僚と深夜まで語り合ったりと、ある意味で人生が変わった。正に「相棒」だった。

 

4代目 マツダCX-3(16年10月~)

車検のタイミングだったか何かと思うが、買い替えの打診。この車と新型アクセラを薦められたが、あまりに高い車両価格と低い下取り額。

特に手放すつもりはなく愛着もあったし「乗り潰すか~」という感じだったが、エンジンが掛かったり掛からなかったり現象が頻発するように調査を依頼。案の定「原因不明」(笑)

ただ挙動がおかしいと感じることも多々あり、自身の会社転籍のタイミングもあり思い切って買い替え。取り回しの良さ()と燃費の良さ(ディーゼル)でこの車を購入。

軽自動車並みの燃費は非常に有難かった。通勤費貰い得音符

取り回しの良さを謳っていたが、所詮3ナンバー。そうでもない。そして車内、激狭タラー

コクピット感とかではなく激狭ガーン

ただアクセラと比べると乗ってて楽しい感が無かった。ガワ違いのデミオなのか?

感じ始めた割高感。

そして何しろこの車、当時の会社で自分で人生を変えるきっかけを作ったクソ上司とお揃いw

嫌いにはならなかったが、なんだかな~という気分に。

 

そして前社での最後の転勤。

営業車代わりに使われるようになる。もちろん運転は私。

仕事のモチベーション低下とともに車の運転がつまらなくなる。

そしてアクセラと同様、エンジントラブルに見舞われる。

こっちは事故寸前だったので、即ディーラーに持ち込み話したが「ディーゼル車特有の~」

DPFの仕様は分かるが、運転中アクセル踏んで速度が落ちるのはいくら何でも、、、ということですったもんだの末買い替え。

 

5代目アクセラスポーツ(18年10月~)

当時の最新型。

前回の2000㏄とは違い1500㏄をチョイス。が、、、これが失敗。重い。。。

車内のコクピット感は相変わらずで内装も高級感がある。庶民の普通車としては十分。

だけど、乗り回したいとは思わなくなった。

重いのが大きいのか運転の快適性はそこまででもない。毎日乗れば感じ方が違うのかも。

 

 

改めて考えると、自分にとってのマイカーって結局は毎日通勤の足として使う上での価値だったんだろうな~。

休みの日に毎々車を触ったりとかとは違う類の車好きだったのかも。

 

正直なところ、一度マイカーを手放す選択も良いのかなと思う。

確かに無いと困るような状況って今は無い。

一度車のない生活を送ってみてどうかという葛藤。

一応持っておくだけなら、残クレ払いきって安いそこそこの中古車でも充分でしょう。

青春時代の00年代の全盛期ステーションワゴンとかもアリだな~。

 

最近、小売業従事者として色々と思うところがある。

もはや会社ではなく、業界や取り巻く環境に対する不信感や虚無感。

何が楽しくてこの仕事しているんだろう、と。

 

思えばもう20年近く、会社や立場は違えどこの業界で仕事を続けている。

 

 

初めてこの業界に足を踏み入れたのは、02年夏。

 

大学1年の夏休みに人生初となる、今はもう存在しない八王子市内に数店舗あったディスカウントストアでバイトを始める。

イメージ的にはダイクマ(これも分かり辛いか)。

接客が初めてだから言葉遣いが分からないあせるあせる

あと上司や先輩バイトとの接し方が分からないあせるあせるあせる

 

配属部門がペット用品や園芸用品だったが、商品名だったり用語が分からず右往左往。人も少なく分からなくても誰にも聞けず、時間ばかりが過ぎお客様に怒られたりもした。

客注の受け方が何度教わっても理解できず、ものすご~く迷惑をかけた。

商品の名称、品番、型番、個数、色、、、今思えば非常に簡単なものだったけど、何かとても難しく感じた。

 

そんなこんなだったので夏休み一杯で退職。バックレはしなかったけど、なんだかな~って感じだった。

 

それから年が明けて03年1月。

多摩地域に数十店舗ある所謂近所のスーパーでバイト開始。

 

ここでの経験が今の自分の小売業の働き方の基礎になった。

 

18時から24時というシフトで、総菜部門。主に後片付けなので、難なくこなせた。先輩も感じが良く輪にもすぐ入れた。

それから数か月、勢いで幼馴染を何故か勧誘(笑)。彼もバイト探し中だったのですぐ入社。気心知れた人が同じ職場にいると安心する。

彼が惣菜部門に配属(新人向け部門だったんだろうか)されると、鮮魚部門へ移動。

生臭さに悩まされるが、バレないよう寿司刺身食べ放題。今思えば絶対社員にはバレてたよね。その立場になると気付く不思議。

そして作業の空き時間にグロサリー部門の品出し応援。

 

そういうのが多くなり気付くと、週3鮮魚週1グロ的なシフトへ。

3部門経験と一番人数の多いグロサリー部門で仕事をすることで、仕事仲間の輪がメチャクチャ広がる。ここからが人生史上最高に楽しいバイト環境の始まりとなった。

夏過ぎには今でも飲み友達の1学年後輩が入社。年末前には家も近所の1コ上の先輩が入社。この2人とはものすごく気が合い、仕事前から終わった後もず~っと話してた。もちろんすごく下らない話だけど、全然飽きない。明け方まで店の裏で缶ビール飲みながら駄弁ることも(笑)。

 

次の年、先輩勢が大学卒業に伴い退職。人が減り仕事もきつくなるが、夏前には上記先輩の高校の後輩で同級生が入社。競馬という共通の趣味もあり即意気投合。その頃には自分のシフトもグロサリーメインになり、当時大学2年→3年なので、同い年の仲間も多くなって良くも悪くもますます学校の延長状態に(笑)。

むしろ大学の友達より遊ぶ時間が長い。最早バイト自体がその感覚(笑)

 

競馬トーク、今ハマってるゲーム、職場の原付ブーム、とにかく色々なことがあった。

 

というわけで調子に乗ってしまった時期もあり、夜間責任者の方にすごく迷惑をかけたこともあった。その立場になるとわかる不思議。

 

就職活動時期になると、仲の良かった人達は皆、学年自体は1個下で幼馴染と自分とまだ就職先の決まらない先輩の意見交換会に。

先輩達も多数、幼馴染も在学中に就職できなかったのであまり参考になってなかったのかも。

というか就職氷河期最終世代だったんでやむなし。

1学年下の世代は全員就職決まったんで、1つ学年違うだけでここまで違うとは、恐るべし就職氷河期ムカムカ

 

何とか内定もらえたので4年の夏頃から鬼のようにバイト。

例の先輩はバイク事故をきっかけに退職(確かバックレ)、気付くと自分と幼馴染が最年長&最古参に。

 

立場上、指示を出さないといけない&頼られる存在って難しい。

仲間意識が強く、縦の関係が薄い関係だったから言うほどだけど、幼馴染ともども後ろからくっ付いていくタイプだったのでこの時期は2人とも大きく成長したんじゃないかと思う。

 

そして大学卒業と共に、バイト先、バイト仲間ともお別れ。

もちろんそれ以降もしばらくは交流はあったけど、今では例の後輩以外は音信不通。

 

今思うとたった3年くらいのバイトだったけど、もっとずっと長く勤めていたような気がする。それだけ濃密な時間だった。

間違いなく今の自分の人格形成に大きい影響を及ぼした職場だった。

 

今尚、小売業界で飯を食ってるのは愛着とあの頃の思い出を引き摺ったままなのかも。

大学卒業後の新卒ですぐ辞めることがなかったら、またこの業界に戻ってくることもなかったとも思う。

 

経験と楽しかった頃の記憶。

自分の成長。これからが長い先の人生

成長を止めるにはまだ速いよね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年9月に転職し、今の職場に来て1年ちょっと。

同業他社への転職だったが、1年経って転職当時から今に至るまで色々と思う部分があったので、文章に書きとめようと思った次第。

 

まず私は、前職も現職も酒類販売店という名のスーパーとディスカウントストアの中間的な小売業に従事している。

イメージ的には神戸物産が展開している業務スーパーが近いと思う。

 

完全に同業他社だったので、スパイと疑われることも無く(笑)、転職後はあまり戸惑う部分もなくスンナリ順応できた。

勿論、会社ごとに違う社内規則や可視化の出来ないルール、社風の違いは多少はある。

 

現職のイメージや自分の価値観と大きく違う点を挙げてみる。

 

①完全固定休。

これはありがたい。休日の予定が非常に組みやすくなり、休みに向けて頑張るというモチベーションも生まれた。

その点前職は、月毎にシフトは作成されたが、毎日のようにコロコロと変わり、出勤時間も頻繁に変更があった。

 

ただデメリットもあり、急な人員不足に対応できないこと。

アルバイトの方はお願いしたりできるが、社員の場合は余程のことが無い限り動かない。

前職に比べて、「本当にどうやって今日店回すの??ムカムカ」という日が多いのは、これも一因。

現職の考え方としては、急なシフト変更が常態化してしまうことをリスクと感じている節がある。

一長一短だろうか。

 

②残業時間が増えた。

前職と社員の人員体制がほぼ変わらず、営業時間も変わらないので、増えるとは思わなかったが倍近くになった。

権限移譲がちょっと不得手な企業のようで、アルバイトに何かの仕事を任せるというのに抵抗があるよう。

色々と見聞きすると、「同一労働同一賃金」という価値観が根付いてるようで、出来る人には任せるという価値観が無い。

だから権限者である社員が1日の仕事の7割くらいを自分たちでこなし、レジ・品出しという所謂「教えれば誰でもできる仕事」だけをやってもらうだけ。だから人員のバランスが崩れると、1日の9割方全部自分でこなすという状態になる。

正直残業時間以上の疲労度がある。

 

そして残業時間45時間ラインが近づくと、休憩をとにかく長く取れというお達しが来る。

これは正直論外と思ったし、自分で考えて行動できるアルバイトを育成しない為、休憩も休憩じゃなくなる。

この点は前職の方が一時代先に進んでいた。

従業員さんがたくさんいる時代なら、オールマイティー社員&とにかく指示通り動きまくる駒で良いんだけど、人員不足であれば如何に仕事を細分化して皆で手分けしてこなそう。という観点でないと残業時間は減らないし、労働環境は辛くなるだけ。

 

③会社の空気や人間関係。

上下関係は、元々酒屋スタートの規模拡大という似たもの同士なので偉い人達の雰囲気はあまり変わらず。

ただ現職は一族経営なのでオープン感はあまりなく、一家とお気に入りの上層部だけで全てが決定している。

店舗数は前職の数倍多く、社員もその分多いけど、飲み会とかコミュニケーションの場は殆どない。

研修や勉強会も終わったら各々即帰宅。

前職は出張やほぼ強制の接待飲み会があったので財布的にもかなりキツかった。

私は飲みニケーション不要論者なので飲み会したがらない空気は助かった。

飲みに行って仕事にプラスになったことなんて一切ない。

 

店舗は東京の田舎ということもあるが、主婦層も学生層もみんなおっとりしていて家族と過ごしているような安堵感。

ただやはり何かあった時に頼りになるような存在がいないのは辛い。

出来る人には役割を与えてこっそり10円でも時給上げてあげたら?と思うのだが、そんなに躊躇する点だろうか?

 

④現職の考え方

総括的な部分になるが、利益を産む為にひたすらコストカットをするというのが経営方針。

店舗設備もだし、求人関係もそう。枝葉だけを見て幹を見ていないことが多く、安物買いの銭失いが常態化しているし、それに気付けていない。本社の人達が見えない部分で色々な疲弊、歪みが出ている。

一族経営なので現場の状況が一切伝わっていないんだろう。

求人募集の稟議も、お前の店、人いるじゃん!ムカムカと一蹴。

もちろん人件費は超過しておらず下回っているが、「回せるならより少ない人件費で!」的なブラック思考なんだと思う。

最低賃金が上がり続ける一方で労働意欲が乏しい学生が多くなっており、週1週2で働きたいという子ばかり抱えてる店にとって現場と本社の意識の乖離は残念。

結局すり減るのは現場の社員だけ。

 

まぁ人員不足は、前職もそうだし状況が違う他社でも同様に悩んでいる喫緊の課題なので、もっと根本的な部分の問題があるんだろう。

 

まとめとして

転職して、、、

給料は上がった。

休みも安定した。

仕事の疲労度は倍増~3倍増くらい。

 

前職末期は鬱状態だったので、その頃と比較すると転職して状況は色々と改善した。

が、

いつか体壊しそうという不安が新たに生まれた。

間違いなく定年はおろか40~50代では体力が持たない。

お金貯めて40歳までに新しいアクションでも起こそうかな音譜

 

 

 

 

5月に退職の意思を固め、転職活動を開始。6月下旬に内定を頂いた。

6月末に退社希望を上司に伝え、多少の話し合いはあったけど即日受理。

40日(笑)あった有給休暇を全消化する為に、7月23日をもって勤務終了。

以降、今日までを公休との組み合わせで有給取得。

 

2か月近くになる、大学以来の長い休みになった。

 

正直なところ、もう終わりか。。。という感想。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎる。まさにそれ。

 

シフト制のサービス業従事者なので、この会社に勤めてからは殆ど行かなかったプロ野球観戦に3試合行くことが出来た。しかも観戦した試合は我らがベイスターズの全勝。

ヤスアキジャンプを毎試合味わえる最高の時間だった。

野球に全く興味のない奥様がチケット手配してくれたり、試合観戦もそれなりに楽しんでくれたみたい。感謝。

 

 

仲の良かった会社の先輩と、数年前に退社した元先輩、社会人になって奮闘している?かつてのバイトの子と、私の送別会込みのゆるめの職場同窓会を開いてもらった。

 

彼らと一緒に働いていた頃が、自分にとってこの会社で一番充実していた時期だと改めて感じた。

あの頃は残業も、そんなに無かったけど休出も全く苦にならずむしろ楽しかった。

仕事終わりに今日の愚痴や不満をぶつけ合ったり、下らない自動車談義に花を咲かせたり、バイトの子たちはスーファミを持ち込んで友達の家状態だった。自由過ぎたけどそれが良かったのよね。

あの時はたった数年で自分も会社もここまで変化するとは思わなかった。ずっとこの楽しい環境が続くと思ってたし、転職の意志も全く無かった。

 

 

大学時代のバイト仲間とも久々の再会を果たした。

6年ぶりの再会だったけど、大病を患っていたということを知る。

長い月日が流れたんだな~。。。と感じると同時によく未だに大学時代のバイト仲間と飲みに行く関係だな~とも思った(笑)。

だけど彼と酒を飲み交わしているときは当時に時間が戻ったような不思議な感覚を覚えた。

共通の思い出、もう連絡先も分からないかつてのバイト仲間の思い出話。

 

当時の先輩や社員の名前、顔、、意外に憶えている。というか本当についさっきまでバイトしてて帰りがけに話しているような感覚。

あのバイト、本当に楽しかったな。。。

もう10数年前ということが信じられない。

当時のバイトのこと、まだこのブログのブックマークの過去ブログに若干残ってるかな。

 

彼とはまた近いうちに会おうと言って別れた。

ガンという大病を患った彼に言われると、今という時間を本当に大切にしないといけないな~と切実に感じる。

 

休み中、何度か実家に帰った。両親も老いた。。。。

自分だけが時間の進み方が違うのかな。

月日の流れを受け入れられないだけなんだろうな。。。。。

 

 

明日からは正真正銘の新天地。ゼロからのスタート。

同業他社とはいえ、人、職場環境、仕事の流れはきっとまるで違う。

不安も一杯あるけど、少しでも早く慣れて、また彼らと今の会社こうだよ~と笑って話せるようにならないと。

 

長い充電期間だったけど、自分のこれまでを振り返るには充分過ぎる時間だった。

 

これからはChapter2!

 

ギアチェンジして全力で行きます!!

日々、

twitterでも愚痴り続けていたけど、

現社を辞める決心がついた。

 

昨年の夏、辞める意思を持ち、直属の上司に対し大きな不満を持っていた為、さらに上の上司に相談していた。

その時は「お前が必要だ。お前の経験を活かす場所がある。」と言われ翻意した次第だった。

 

今年頭、その職場は閉店。その後新装オープンした今の職場に着任した。

 

自分が元いた会社は今の会社のM&Aで吸収合併されたので、自分は所謂出向転籍。

親会社は店舗もあるけど、業態としては広域問屋。元の会社は言ってしまえば地域の酒屋。

今までの会社と何もかもが違う職場で相応のポジションには就いたが、完全にほったらかし。

 

何をしていいか分からない。

→聞いても明確な返答がない。

 →勝手にやってもその行動結果の是非が一切無い。

  →今自分がしていることが何なのか分からない。

 

完全に負の連鎖。

 

何も分からない癖に一応管理者なので、古参の従業員になめられる。

 →指示しても聞かない

  →上司に相談すると貴方がやった方が良いかもしれないとの返答

    →色々な業務を自分が一人でこなすことに。

 

そりゃぁ心身に異常をきたしますわなあせる

 

 

店舗の業績もボロボロ。

従業員の士気は低く、繁盛していた頃の幻影を見続けていて実際は深刻な客離れ。

正直なところ、閉店して然るべき状態だった。

 

そして今年、元の会社の1店舗を現社に看板を変えて新装開店。

両社を知る人間ということで着任した。

新しい上司は非常に厳しいけど的確な指示をくれる人。前上司と180度違う。だが後々この人が元々転職を考えていた自分に、会社を出ていく決心をさせるきっかけとなる人になるとは思わなかった。

 

同僚は全員元いた会社の人だったので非常にやりやすく、良い意味で楽だった。

ただやっぱり馴染めない。

何かというと、そもそも現社の仕事が合わない。店舗業務は平気だけど、営業的業務が正直嫌々。

成果を出したとしても大口注文や新規案件があっても自分に何も返ってくるものが無い。

だったらノルマ達成でインセンティブ出るような仕事の方が良いんじゃない?って考える時点で価値観が違うんだと思う。

 

他地域の店舗の出張応援に良く行かせてもらったけど、それも苦痛。社歴の長い体育会系社風全開でもう嫌気が差した。

 

好きな仕事、楽しい仕事なんてそうそう出会いないけど、元の会社は好きな業種職種では無いけど、人に恵まれて楽しかった。楽しかったから好きになった。

 

嫌々我慢しながら働く毎日。

だからイージーミスも出始めていたし何とかしなきゃなと思っていた。

 

そんなある日、上司から

「会社のグループLINEでその日の出来事、俺もするから皆何でもいいから連絡するように!もちろん既読返信は絶対に!

とのお達し。

虫唾が走った。

毎日毎時、ピロピロ鳴るLINE通知。

恐怖だった。

途中から嫌になり、既読にせず返信も案件によってはスルーした。「こんなの報告要らねーよ!」てな気持ちで。

そして案の定怒られる。

 

そんな中、会社の凄く偉い人が店を視察に来ることに。

実はこの人、以前元いた会社に取締役として数年出向していて、旧知の仲。この人にもよく怒られたけど(笑)。

 

視察なので、店舗の状態や売場状況、従業員の様子等を監査しに来たので幾つかの指摘事項を指摘された。

 

出張や公休の兼ね合いで店長が数日店を離れていた為、指摘事項を店長へ報告した。。。

 

店長から電話が来て出たところ、、、

 

およそ20分超、電話越しに延々と怒られた。

「これだけの指摘を受けることはお前が事前に対策、準備等を怠っていたからだ!お前は仕事をサボっていたんだムカムカ

という主旨。

 

これは堪えた。

前日夜は遅くまで残業して可能な限り対処していたつもり。前日夜だけじゃなく数日間色々と準備していたつもり。

その全てが無駄だった。

そこまで言われるなら、何もしなくても変わらなかった。自分が自分の時間を削ることも無かったし定時で帰ってれば良かった。

 

ほぼ同時期、

新規案件があったのでLINEで報告したら「丸投げするつもりですか?」という返信が来た。

貴方が一々報告報告言うから報告したんでしょうよ。と。

こんな返信が来るんなら何を報告すればいいのか。

 

昨年以降続いたギリギリの精神状態を超えた。

悩みは無く決心に変わった。

 

給料はここ数年年単位で落ちていたので、同業他社ならどこでも行けるだろうし、ある意味では転職のラストチャンスだったし、色々とタイミングが合ったんだと思う。

 

一応次の仕事も決まったし、今の職場は後1か月弱。

飛ぶ鳥跡を濁さず。静かに辞めていければと思う。

 

 

※超長文です。悪しからず。

 

もう12年前のこと。

前年某食品会社のルート営業の就職が決まった。

ド本命でも何でもないどうして志望したかも覚えていない会社。ただ知名度は全国区というか業界最大手の会社。

2006年4月1日。

その2日前には勤務地の茨城のアパートへの引っ越しを済ませていたけど、周りに何も無く心細く、31日は実家に戻っていた。

他の人は勤務先から東京本社での入社式に出席したようだけど、自分は実家からの出席。この時点で意識が低かったのかな?

初出勤というか本社での入社式。からのバスで群馬かどこかの研修施設での1週間缶詰状態の合宿がスタート。

 

地獄だった。5時起床からの5㎞マラソン。遅かったりバテてると怒られる。全員に課せられる意味の無い声出し(今日の目標とか頑張りたいこと)。声が小さかったり、内容が薄いとダメ出しとやり直し。

 

その後はひたすら座学と、営業力を鍛える為のグループディスカッション。

これが1週間弱ず~っと続いた。

 

同期とはあまり仲良くなれなかった。何故かは今でも分からない。

自分の性格的にそんなに友達出来づらいタイプではなかったと思うけど、何か自分の中で身構えていた部分があったのかも。

後はみんな結構ガッツリ体育会系だったこともあるだろうか。ちょっと普段の空気が違ってた気もする。

 

ただ同期という貴重な友人を作ることが出来なかったことは、今後のこの会社での生活に影響したことは間違いなかった。境遇を分かり合える立場の人が周りにいないことは想像以上に辛い。溜まる。

 

研修が終わり、同じ北関東エリアの人とかなり偉めの上司の車で送ってもらえることになった。けど、、、

良く分からない駅で自分だけ降ろされた(笑)あせる

降ろされたのは多分合宿所からの最寄りの駅だと思う。全く土地勘無いし今でもどこだったか全然思い出せない。

そこから携帯で帰り方を探しながら2時間掛けて、勤務先近くの自分のアパートへ帰った。途中何度実家に帰ろうと思ったことか。

 

尚、同乗した同期は、勤務先近くの駅まで送ってもらえたそう。この時点でもう自分はこの会社にアジャストできていない感はあった。

何故上司は自分だけあんなところで降ろしたのか?配属先は知ってるから余計に不思議だった。

 

そしていよいよ翌日の初出勤。

事前に挨拶もしに行かなかった不心得者の自分は、朝から緊張しすぎて4時くらいには目が覚めていた。

前日夜、職場から連絡があり朝は先輩社員Aが迎えに来てくれるとのこと。

待ち合わせ場所でA先輩と初対面。とても優しくて感じの良い人だった。

そして車で営業所へ。ん?意外に遠いぞ?車で30分くらい掛かってた。

・・・・車通勤前提はてなマークはてなマークはてなマーク

車持ってないけど。

 

色々な不安を感じながら営業所へ。

一人一人に挨拶。というか何でみんなもう出社してるの?何でもう営業車に荷物積み込みしてるの?

そして営業所長と初対面。

「あっ!この人アカン!」と感じてしまったところでゲームオーバーだったんだと思う。

 

車を持っていないことに対し、いつまで先輩に送り迎えしてもらうつもりか?とハラスメントを受ける。

車買えと?

入社前にマイカー必須とは言われてないけど。

※後日、実家からmy原付を移送。更に数週間後、結果的に多大な無駄金となったしょぼい軽自動車を購入。

 

朝礼。改めて挨拶。自己紹介。。。何故か周りは固まったままず~っとこっちを見てる。

どうやら研修合宿同様、今日の目標を言わないといけなかったらしい。知らんわ。

社訓の暗唱。覚えて来てないし気にもしてなかった。まぁ初日だからと大目には見てもらえた。

結局退職するまで私が朝礼発表の日は常にグダグダだった。

 

B先輩が指導役になり、1か月程度の同行営業がスタート。

今日回る得意先の注文品をトラックに詰め込み出発!という流れだけど、B先輩免停中(!?)の為、運転は私が。しかしほぼペーパーの為マニュアル2t車が不安で商用バンにて出発。

 

このB先輩。この職場で一番合わなかった。

未だに名前、顔、話し方はハッキリと覚えているけど何を話したかとかは全く覚えていない。

一々癇に障る言い方をする人だったし、学生時代ずっとサッカーをしてたらしくガチガチの体育会系。

というかそもそも何して良いか分からない。いわゆる見て盗め系だったんだと思う。

とにかく必死だった。メモ書きまくった。納品作業も必死だった。

 

でも今思い出すとあまり自発的には動いてなかったかな?言われたことだけこなす感じ。

 

そういえばすぐ辞めた大人しい同期の話を度々聞かされた。今思えばお前もダメなら早く辞めろという意味だったのかな?

世間話で盛り上がっても「そんな話いいから仕事覚えろよ!ムカムカ」と思いっきり話の腰を折られた記憶も。

あと「お前のその薄ら笑いをやめろ!ムカムカ」と怒鳴られたことが何度かあったかな?

人生でこの時期以外に他人からそんなこと言われたこと無かった。極度の緊張で表情強張ってたんだろうか?

 

 

その繰り返しの4月。周りからの評価は厳しめだったと思う。

「あいつ、何かね~(笑)」みたいな会話してたし。

前述の通り、同期で仲良い子がいなかったので、地元の友人に愚痴る日々。

ただ地元の友人はかなり気にかけていてくれたみたいで、向こうからも「調子どう?」と電話がちょくちょく来た。

非常に有難かった。

同級生だけど一人は大卒のままフリーター。もう一人は就職活動中の大学4年生。

ちょっと羨ましかった。俺だけキツい思いしてんな~と。

里心も出始めた。結果週末の休み前の夜に実家に帰るようになってた。GW前にはその生活になってたかな。

 

GWは飛び石休だったけど、例の地元の友人2人とプロ野球に観に行って、飲みに行って、夏の盆休に沖縄旅行行こうと盛り上がった。

それまではとにかく仕事頑張ろうと思った。

 

だけど、これから数日後、自分は社会人としてあるまじき行為に出た。

朝起きた瞬間もう何も考えられなかった。

 

仮病で休んだ。

 

熱はあった。だけど普通はインフルエンザとかでも無ければ風邪薬飲んででも頑張るでしょう。

もう社会人として常識とかマナーとかが瓦解し始めてた。

 

ただこの頃から耳鳴りに悩まされたり、微熱が続くようになったのも事実。ストレスだったんだろうと思う。危険信号が出始めたと解釈してる。

 

その後、所長からはまだ独り立ちは不可能と判断され、暫くはB先輩ではなく別の先輩のルート同行。

 

C先輩は脱力系で、色々相談できた。やっと職場の人に打ち明けられた。「まぁ難しく考えずにさ~、これだけは絶対!ってことは以外は結構テキトーでもいけるよ(笑)音譜」というノリ。

この人との同行が一番楽しかった。というかお客さんからのウケも良かったように見える。

商品の売り込みとか新規開拓とかはほとんどしてなかったから、「営業」としてはイマイチだったんだろうけど、所長に怒られた時に庇ってくれたことは嬉しかった。

この人が一番の自分の人間性を見てくれていたのかもしれない。最初からこの人が指導社員だったらと思うと、自分も少しは違う人生があったのかもしれない。他力本願だけど(笑)

 

その後D先輩とも同行。まじめな人で自分の状況を細かく分析してアドバイスをくれた。

C先輩とはまた違った良い先輩。

Cさんといい、こういう人達もここで頑張ってるんだなと思うと少し前向きになれた。

 

他の人のルートも数回同行したけど、全体的に癖のある人が多かった印象。でもB先輩が飛び抜けて嫌だった。最後の頃は殆ど会話も無かったんじゃないかな?

 

そしてここで決定的なターニングポイント。

 

私の歓迎会。

 

。。。思い出したくもない、けどハッキリと覚えているトラウマ。

確か魚民。

2時間超、終始私へのダメ出しと叱責で盛り上がる宴席。

本当に辛かった。

「10分おきに小話しろ!」そして本当にさせられる苦痛。案の定ダダ滑り。滑ったことで盛り上がりダメ出しの無限ループ。

当初送り迎えしてくれていたA先輩がちょくちょく声掛けてくれたけど、もう何も言えなかった。途中からトイレ行きまくって、酔ってベロベロな振りしてた。

 

ちなみに初出勤時目にした「朝来たらもう出社してた云々」は班別に当番で、その日入ってきた商品の格納をしていたようで、自分はそれを「サボっている」状態だったらしい。この日初めて知った。

 

この飲み会の2時間は自分の生きてきた三十云年の中で最も辛かった時間。

トイレの窓から飛び降りてやろうかとさえ考えた。

 

この日で完全に気持ちは切れた。

 

もう辞めよう。

 

1次会後、C先輩かD先輩に気持ちだけ打ち明けようと思ったけど、D先輩はちょっとの差で他の先輩方と2次会に行ってしまった。

C先輩はお開きと同時にすぐ帰ったらしい。色々と上手い人なんだろうなと思った。

 

翌日、逃げるように実家へ帰った。

 

だけど生真面目なんだろうか。また翌日から普通に出社(笑)。社畜要素ありそう。

 

でももう今までのように頑張ろうとも思わない。

同行営業で、淡々とひたすら運転と積み込み納品の日々。

 

 

気づけば6月。

3月までバイトしていた職場で歓送迎会があるのでと誘われた。

といっても出席者は全員自分がいた時から一緒に働いていた仲間ばかり。

先の地元の友人2人も、実は同じバイト仲間だったので、もうこれは行くしかない!!音譜と。

当日休みだったし、週末はもうずっと実家に帰っていたので、喜んで参加した。

 

この飲み会は実に荒れた。

 

荒れたといっても、自分の職場の愚痴、溜まりに溜まった不満が爆発しただけだけど。

自分より先に辞めたバイトのリーダー的存在だった人が、バイト辞めて以来初の飲み会参加もあり、明け方まで大騒ぎ。

当時開催されていたドイツW杯とか、ハルヒとか当時やってた深夜アニメとかも話題になったかな。

 

この時の飲み会は過去最高に楽しかった。

もう自分のいるべき場所はあの会社ではないし、住むべき場所も地元だなと感じた。

 

その月末、「お前いつになったら仕事できるようになるんや!?ムカムカ」と怒鳴られたのを機に、月内休ませてほしいとお願いした。

この時点で流石に所長は察したようで、拒否はされなかった。

 

実家に帰って親に伝えた。

多分私は半泣きだった。

次の仕事も探してないけど、ここから抜け出すことしかもう考えられなかった。

 

月が変わって7月。月初の月曜日に職場へ行った。

所長に会った瞬間「あれ、来た!?」と驚かれた。そのままバックレるのが普通なんだろうか。もしかして私真面目?(笑)

 

辞意を伝え、辞める人間なので同行はせず、職場の掃除と引っ越しの手続きを粛々と進める。

翌日中の退去を指示されたので、翌日は両親も茨城入り。引っ越し作業と役所の手続きを手分けして行う。

午前中にはほぼ全て完了し、昼過ぎには退去引っ越し。

グッバイ茨城!

この2日間は本当に暑い日だった。はっきりと憶えている。

 

怒涛の3か月だった。

 

今思えば自分も社会常識を知らなかったし、先輩方との付き合い方も分からなかった。

新社会人としての覚悟も、学ぶ姿勢も足りなかったんだとも思う。

 

今もしあの場にいれば上手く立ち回れた状況は多分にあるし、違う人生も有り得た。

 

けど、

 

壮絶クソな会社だったことは間違いない。

色々迷いはあったけど辞めて良かった。

人生は1度切り。

3年我慢説は否定しないけど、3年経つ間に壊れたら元も子もない。

根性ややる気だけでは変えられないものだってあるはず。

仕事は向き不向き合う合わないは存在する。どんな会社・業種・職種でも適応できる人もいることは間違いないけど、全員がそんな要領良いわけない。

辞めること逃げることも選択肢。

 

今更でもう死語だけど、逃げるは恥だが役に立つ。

まさにこれだと思う。

 

毎年年度初めになると、あの時期を思い出す。

自戒の意味も込めての投稿です。駄文長文失礼。

 

 

いつからアニメってハマってたんだろう、ふと思う。

 

小さい頃はドラゴンボールやスラムダンク、幽遊白書、るろうに剣心は毎週見てたし単行本も買ってた。

 

魔法陣グルグルはサントラ買うくらいハマってた。ガンガンの漫画も好きで、ハーメルのバイオリン弾き、ドラクエ・ロトの紋章、パプワくんとかも全巻揃えてた。ツインシグナルなんかも好きだった。

 

ガンガンが好きだった辺り、大人になっても二次元世界に没頭する素地があったんだと思う。

 

もちろんガンダムは幼少の頃から好きだった。

人生の中で初めてガンダムを認識して見たのはZガンダム。

人生初ガンダム視聴?は香港でサイコガンダムと戦う回だったと思う。

 

Zガンダムは自分の中では未だにシリーズ最高傑作。

 

そんなこんなで中学辺りから徐々にアニメ離れ。

ガンダムもXが終わり、地上波での新作が無かった時期。

ドラゴンボールGT、るろ剣とスレイヤーズくらいしか見てなかったと思う。

ターンAもリアルタイムでは見ておらず、高校時代はアニメも漫画も殆ど触れなかった。帰宅部だったので3年間ひたすらパワプロやってたような。。。寂しい高校生活やった。。。笑

 

アニメ世界に帰ってきたのは間違いなくガンダムSEED。

以前当ブログに書いたので、感想は置いといて、当時の大学で良く気の合う友達とほぼ毎日語り合ってたと思う。彼とはガンダム以外にも日本史や三国志、歴史小説など共通の趣味が非常に多く、今でも連絡を取り合う仲。本当に友に恵まれたなと改めて思う。

 

ヲタ趣味を分かりあえ友ってとても素晴らしい。

 

そしてこの頃から徐々に深夜アニメが多くなってきた時期で、当時大学生だった為夜更かしすることも多く、ここからが本格的なアニメライフスタートとなります。

 

2002・・・ガンダムSEED

 

2003年頃・・・ここだけの話、とっとこハム太郎にハマっていました

 

2004・・・ガンダムSEED DESTINY、MEZZO、スクールランブル、ローゼンメイデン

 

2005・・・ガオガイガーFINAL、ARIA、いちご100%、涼風、ネギま!、創聖のアクエリオン、ガン×ソード、魔法少女リリカルなのはA's、ローゼンメイデン2期

 

2006・・・涼宮ハルヒの憂鬱、ひぐらしのなく頃に、.hack//Roots、NHKにようこそ、コードギアス、ゼロの使い魔、いぬかみっ!、スクールランブル2期、Fate/stay night、ARIA2期、桜蘭高校ホスト部、マジカノ、神様家族、となグラ!、ラブゲッCHU、夜明け前より瑠璃色な、武装錬金、スパロボOG、ちょこッとsister、乙女はお姉さまに恋してる

 

2007・・・らき☆すた、マクロスフロンティア、ひぐらしのなく頃に解、ガンダムOO、ハヤテのごとく!、なのはStrikerS、SHUFFLE MEMORIES、天元突破グレンラガン、アイドルマスターXENOGLOSSIA、瀬戸の花嫁、ゼロの使い魔2期、キスダム、ギガンティックフォーミュラ、スクールデイズ、CLANNAD、ながされて藍蘭島、さよなら絶望先生、バンブーブレード、シャイニングティアーズクロスウィンド、こどものじかん

 

2008・・・ARIA3期、ゼロの使い魔3期、OO2期、我が家のお稲荷さま。、狼と香辛料、とある魔術の禁書目録、とらドラ!、CHAOS;HEAD、かんなぎ、ドルアーガの塔、黒執事、鉄のラインバレル、恋姫無双、乃木坂春香の秘密、破天荒遊戯、ロザリオとバンパイア、Ef、H20、true tears、あかね色に染まる坂

 

 

2009・・・涼宮ハルヒの憂鬱2期、ハヤテのごとく2期、アスラクライン、うみねこのなく頃に、宇宙をかける少女、プリンセスラバー!、とある科学の超電磁砲、けいおん!、NEEDLESS、大正野球娘、タユタマ、11eyes

 

2010・・・アマガミ、Angel Beats!、俺の妹がこんなに可愛いわけがない、聖痕のクェイサー

 

2011年以降はもう数えるくらいしか見てないと思う。後、作品名がクソみたいに長いアニメが多いことあり割愛。

 

改めてハマった作品を書き出すと、

う~んやっぱり深夜アニメ黄金期の盛衰と完全に被ってる。

 

就活中でES作る傍らで。

就職して、勤務先で毎日ボロクソの中での癒しに。

失職してニートだった時期に。

フリーター時代、学生時代の友達との交流も減り唯一の楽しみに。

再就職して仕事終わりの夜のお楽しみとして。

 

今では夢中になれる作品はほとんど無くなったけど、一番良い時期にアニメにハマれたと思う。

 

本当に良い思い出。

インドア派なりに充実してたのかな。

もう1度「ハマれる」アニメに出会いたいな~。

 

~以上、懐古趣味者の備忘録~