『ひろしま』 (1953) 関川秀雄監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

 

2025年の参院選選挙期間中に、神谷宗幣が「原子力潜水艦を配備して、それに核兵器を積むかどうかは秘密にします」と演説した時は「変なことを言う奴が出てきたな」くらいにしか思っていなかった。唯一の戦争被爆国である日本が核兵器配備をするということはあまりにもリアリティに欠けていると感じたからである。

 

しかし、衆議院において圧倒的多数の議席を占める現政権与党が、国民不在の法案を次々と制定するのを目の当たりにして、非核三原則の見直しがにわかに現実味を帯びてきた。戦後の歴史において、日本が大きな方向転換をしようとしていることは明らかであり、それにはブレーキ役だった公明党が与党から離れ、日本維新の会が与党入りしてアクセル役をに担っている影響は少なくないだろう。それを表す事象として自分が最も「こいつらヤバいな」と感じたのは、維新の後押しで自衛隊幹部の呼称を戦時中のものに戻す(幕僚長→大将、1佐→大佐)自衛隊法改正がなされることが決まったこと。自衛隊ですら「バッジを変える経費があるなら装備を増やしてほしい」と批判的なものを押し通すのは、戦争ごっこをしたがっているとしか思えない。先にリアリティに欠けていると感じた原子力潜水艦配備も、自民・維新の連立政権の政策合意の中に盛り込まれた。

 

核兵器戦略においては、日本の意向よりもアメリカの意向が決定力を持つことも想像でき、抱きつき外交によって主権国家の看板を下ろしたかのような現政権の方向性が先のようであれば、もしアメリカが「非核三原則見直すべし」とすれば国民の議論を待たずして事は決まるのだろう。

 

先の高市首相の広島訪問の際、面会をした原爆資料館元館長の原田浩氏が「あなたの頭上で原爆が炸裂したらどうなると思いますか。一体何が我が身に起こるのか自分のこととして感じてほしい」と問うたという。高市首相はうなづくだけで、何の回答もしなかったらしいが、自分もこの議論をする際に、想像力が欠如しているかと思いこの映画を観てみた。

 

まず強く感じたのは、原爆は通常兵器とは全く異なる性格の兵器であるということ。それは非戦闘要員である一般人の殺戮を前提にしたものである。

 

広島、長崎原爆の死者は、それぞれ14万人、7万人とされるが、その後の被爆による死者を含めた原爆死没者名簿の登載者数は、それぞれ34万人、20万人に上る。そして広島に落とされたリトルボーイは15キロトン、長崎に落とされたファットマンは21キロトンであり、現在の核兵器の威力は桁違いに大きいため(典型的なサイズは50キロトンから300キロトンとされる)、被害が一般市民を巻き込まない可能性はゼロである。即ち、原爆は民族浄化を前提にした兵器と言える。

 

核兵器を持つ理由に抑止力の議論がある。「自分では使うためではなく、あくまで相手に使わせないために持つ」というものである。一定の説得力があるかのようだが、その戦力格差が「10 vs 0」と「10 vs 1」でどれだけの違いがあるのだろうか。そうすると相手の軍事力に少なくとも拮抗しようとする軍事力増強レースになることは火を見るよりも明らかだろう。

 

しかし一方で、相手が核のボタンを押したときに、核の装備があれば自分も押すのではと考えると、核兵器装備の反対を唱えるには、相手が核のボタンを押して自分が滅亡しても、報復を考えることなく相手が人類の生き残りとして残ればいいとするくらいの覚悟がないといけないのではとも考える。

 

先に観たミック・ジャクソン監督『SF核戦争後の未来・スレッズ』(1984)と共に多くの人が観て、自分の五感で感じるべき作品だろう。少なくとも進次郎は観るべき作品である。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『ひろしま』予告編