カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したイラン映画。ジャファール・パナヒ監督は、世界三大映画祭(カンヌ、ベルリン、ベネチア)全てで最高賞を受賞したアンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロバート・アルトマンに次ぐ4人目の映画監督となった。
この作品はアカデミー国際長編映画賞にノミネートされた(受賞は『センチメンタル・バリュー』)。その出品はイラン代表ではなく、フランス代表として出品された。ジャファール・パナヒ監督はその政治的思想からくる政権批判の作風からイラン国内での映画制作は認められておらず、非合法の形で映画を制作している。そうした経緯から、来年度以降、アカデミー国際長編映画賞の出品は、国を代表した出品作に加え、世界三大映画祭及び釜山国際映画祭の最高賞、サンダンス映画祭のワールド・シネマ部門の審査員大賞、トロント映画祭の非英語作品でプラットフォーム賞を受賞した作品もエントリーされることになった。
この映画のアイデアは、ジャファル・パナヒ監督が 2022-23年に7か月間投獄されていた経験から生まれている。数百人の囚人仲間(そのほとんどは政治犯)の話に触発されたパナヒ監督は、かつての政治犯たちが自分を拷問したかもしれない男と対峙する映画を制作することを思いついた。
かつて不当に逮捕・投獄され、過酷な拷問によって心身に深い傷を負った男ワヒド。ある日彼は、自分の人生を奪った残忍な看守と偶然出会う。衝動的にその男を拘束し、荒野の穴に埋めようとするが、男は「人違いだ」と訴える。 ワヒドは、拷問を受けていた時には目隠しをされていたため看守の顔を見たことがなかった。その男が看守であると思う理由は男の歩く義足の音。その男が「本当に復讐すべき相手なのか?」と疑問を抱いたワヒドは、復讐を一時中断し、同じ刑務所に投獄されその看守に拷問された仲間たちを訪ね歩き、拉致した男がその男かどうかを確かめようと奔走する。
国家権力の不条理と暴力の連鎖、そして人間の感情と理性の狭間を鋭く問いかける作品となっているリベンジ・サスペンス。拷問の具体的なシーンはなくその状況は言葉を通して語られるのみだが、想像を絶する苛烈さだったことが分かる。そうしたシリアスさに比して、この作品のよさはどことなくおかしいユーモアがあること。それは登場人物(かつて政治的に弾圧された市井の人々)が実に人間的で「普通の人々」であるところから来ている。圧倒的な暴力をふるう政治権力と彼らを対比することで、政権の非人道的なあり方を批判するのがパナヒ監督の狙いだろう。
そして、その中ではイランの文化や問題点もさりげなく描いている。例えば、賄賂文化。駐車場の警備員が車中のごたごたを通報しない代わりに賄賂をせびるのだが、「現金を持ち合わせていない」とワヒドが言うと、なんのためらいもなくキャッシュカードのカードリーダーを差し出す。金額を打ち込むと「ゼロを一つ足そうか」と言い「冗談、冗談」と言う。イランにおいては賄賂が日常化していることを浮き彫りにし、観ているこちらは驚くと共に笑ってしまう。車がエンストして道路を押していると、手を差し伸べる人が周りから集まって来る場景をロングショットで捉えるシーンでは(それは撮影の状況から、エキストラではなく現実に起こったものだろう)、イランあるいはイスラム社会が施しの文化であることも伺えた。また、破水した妊婦を病院に緊急搬送する場面では、病院の受付は「夫の同意がないと処置できない」と目の前で苦しむ妊婦を拒絶する。イランが極端な男性社会であることを示すシーンだった。
ワヒドがかつての獄中仲間を次々訪ねていく前半は一本調子で、個人的には中だるみ感を覚えたが、俄然面白くなったのは、元看守と疑われる男の娘からその男の携帯電話に着信があり、それをワヒドが取ってから。
そしてラストシーンは、これほど秀逸なラストシーンはあっただろうかと思うほど。そのラストシーンだけなら★一つ評価が上がるものだった。自分は、恐怖から始まったリベンジ・サスペンスが中盤ユーモアを交える展開になりながら、最後はやはり恐怖に陥れるバッドエンド的ラストシーンだと感じたが、「その音」はトラウマから来る記憶の中のものだという解釈も、あるいはワヒドたちの人間的な判断に非人道的な行為を反省するハッピーエンド的ラストシーンとする解釈もあり得るだろう。
アメリカ、イスラエルによる理不尽な侵攻により耳にすることが多いイランという国名。それでも知らないことの多いイランを覗き見る興味深い作品だった。
★★★★★★ (6/10)
