『花束みたいな恋をした』 『怪物』の坂本裕二脚本を『ラストマイル』の塚原あゆ子が監督。そのいずれも評価していない自分には、やはり彼らとの相性はよくないことを立証した作品だった(それでも退屈するとまでは思わなかったので「平均点」)。
タイムループ物には矛盾がつきまとうことは、その設定自体科学を無視しているので仕方ないところ。そしてこの作品はSFではなく恋愛を主軸にした作品ゆえ、その矛盾をつくのは無粋とすら言えるだろう。しかし、それがあまりにも感動を呼ばんとするがゆえの無理やりの設定であれば、素直には「感動した!(小泉純一郎調に)」とは言えない。
(以下ネタバレ)
細かなツッコミどころは多々あるが、大きな破綻を2点指摘する。
まず駈が自分の死ぬ状況を知りながら、それを回避しようとしないこと。「死は運命づけられていてそれは変えられない」という設定は大いに「あり」だが、それであれば死因を変えるべき。それこそ車に轢かれるでも、無差別殺人犯に刺されるでもいいが、「線路に落ちた赤ん坊を助けるために飛び降りて轢死する」というのはそれを知っていれば簡単に避けられるだけに「なんで?」となってしまう(そして線路に落ちた赤ん坊を拾い上げる時に、赤ん坊より先に落ちたほかの荷物を拾うことは絶対あり得ない)。
そしてカンナが駈の死後、彼からの手紙を見つけて読み涙すること。そのカンナは過去に戻って駈をなんとか救おうとした彼女ではなく、自然に駈と出会って共に幸せな15年を過ごしたカンナ。その彼女が自分の死を予見したような不可解な手紙を読めば、「あれは自殺だったの?なんで?」となってしまうはず。
そのいずれもが感動を呼ぶために制作側が計算したポイントだけに、そのご都合主義には若干鼻白むものがあった。
「この作品はSFではないのだから、そうした設定の無理さには目をつぶらなければならない」とすれば、恋愛物としてどうかということになる。これまでも恋愛物のレビューでは繰り返し述べてきたことだが、恋愛物は各人の価値観が大きく異なるだけに難しさがある。特に本作品は、恋愛ということ以上に結婚ということの難しさを描いているだけに人それぞれの感じ方は違うだろう。
結婚という「契約によって赤の他人が運命共同体となる」ことの難しさは、二人の相性次第ということもあるし、それ以上に結婚という行為と各個人の相性次第ということもあると思っている。なので、この作品の描く「ボタンの掛け違いから生じた小さな亀裂が積み重なって取り返しがつかなくなってしまった」ゆえに「最悪の結果になってしまった将来を知って、それを回避しようと努力することでその結果は回避できる」というのは、結婚に楽観的過ぎるように感じる。死の運命を回避できない以上に、結局二人はうまくいかないということの方が現実的なように思う。
そうした世知辛い感覚でいるからこそ坂本裕二脚本とは相性が悪いのだろうし、自分のような者は彼のターゲット層ではないということだろう。
カンナが「過去に戻って未来を変えることができるかも」ということを全て口に出す「説明ゼリフ」にげんなりしない人は、映画の話法をテレビドラマの延長と考えているのかもしれない。
ヨダレを紙幣で拭いたり番組製作スタッフとの立ち話の間お菓子を食べ続けるという演出は、松たか子のキャラクターには合っているかもしれないが、それも映画では不細工としか言いようがない。
対する松村北斗の演技はとても好感が持てるものだった。普段の彼のイメージらしくない「キレる愛情レスの夫」の演技は悪くなかった。
そしてリリー・フランキー、吉岡里帆、森七菜は役不足以外の何ものでもなかった(「役不足」=人物の力量>与えられた役目、「力不足」=人物の力量<与えられた役目)。
恋に恋する人のデートムービーとしてはうってつけの作品とは言えるだろう。
★★★★★ (5/10)
