シリーズ8作目にして、現時点では完結作と見込まれる作品。結論から言えば、シリーズ大団円を迎えるにふさわしい作品であり、これまでのシリーズ最高作の第5作目『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』に勝るとも劣らない出来だった。
シリーズ第1作目は1996年公開。トム・クルーズがプロデューサーに初挑戦した作品であり、監督はブライアン・デ・パルマ。以降、トムが「尖った」監督を毎作替えて起用しシリーズ化されることになる。第2作目はジョン・ウー監督、第3作目はJ.J.エイブラムス監督、第4作目はブラッド・バード監督、第5作目はクリストファー・マッカリー監督。その流れが変わるのは第6作目以降。第5作目の出来に満足したであろうトムは、それ以降クリストファー・マッカリーを継続起用している。本作もクリストファー・マッカリー監督。
本作は前作『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART I』続編の『PART II』とタイトルされる予定だったが、前作の興収が芳しくなかったため、『ファイナル・レコニング』と改題された。
同じクリストファー・マッカリー監督の第5作目と前々作、前作の第6、7作目を比較すると、アクションのスケールはパワーアップしながらも、どんどんストーリーが弱くなり、物語的な面白味に欠けていた。特に前作のストーリーはお粗末なレベルと言わざるを得ないものだった。その続編である本作もストーリーが突然面白くなるはずはない。
まず敵がAIという設定が、アクション物としては致命的に弱い。シンギュラリティが予見される今日、AIが人類の敵であるという設定は悪くない。しかし、AIはフィジカルに戦うことができない以上、アクション物の悪役としてはあまりにも不適切だろう。
であれば、フィジカルに戦える悪役が必要であり、それがAI「エンティティ」と共謀するガブリエルなのだが「どこの誰?」という感じでキャラクター作りが弱い。
そしてAIが核保有国の核発射装置を次々と掌握し、人類に向けて核爆弾を投下して滅亡させようとしている全人類の危機にも関わらず、第三次世界大戦の勃発を恐れ、米ソが対立し続けているという前時代的設定は「AI vs 人類」という構図にはそぐわないものである。そもそも『ミッション:インポッシブル』シリーズは、冷戦時代のTVドラマ『スパイ大作戦』の映画版であり、米ソ大国間の諜報活動という前提がもはや時代遅れということだろう。
科学的考証もかなり杜撰で、イーサン・ハントはこの映画の中でも数回以上死んでいるだろう。最後にトラファルガー広場駅(トラファルガー広場は有名な観光名所だが、駅名は架空)に意味なくみんなが顔を合わせてエンディングを迎えるように、突っ込みどころ満載の映画ではある。
それでいながらこの作品がシリーズ中で傑出しているのは、「息もつかせぬ、手に汗握るアクションの連続」という『ミッション:インポッシブル』シリーズのあるべき姿を体現していたから。しかし観終わってから思い起こすと、前作までの奇抜さや大がかりなアクションが少なかったことに気づく。それでいて「息もつかせぬ、手に汗握るアクション」と観客に感じさせるのは、2か所、時には3か所で同時進行に事が起こり、それらのシーンを切り替えながら観客に見せることで興奮させるという手法が利いていたから。アクションの新奇さを売りにしている以上、観客はより奇抜でどでかいスケールのアクションを求めるようになるが、アクションの新奇さよりも見せ方に趣向を凝らしたというのが本作のよかったところ。
『ファイナル』と銘打っている作品だが、これまでの集大成と言わんばかりに過去作のアーカイブ映像が数多く挿入されていることが印象深かった。特に、第一作目との輪環構造が印象的で、意外な人物が重要な役割として再登場してくる。
またシリーズ第一作目がTVドラマのオールド・ファンに不評だったのは、TVドラマの主人公ジム・フェルプスが悪役だったこと。その名誉回復がなされているかのようなサブ・ストーリー(「ブリッグス」の出自が鍵)は「MIトリビア」ながらよかったところ。
本作は「イーサン・ハントはあくまでチームを大切にする人間」という重要なキャラ設定を基本に据え、大雑把なストーリーをなにするものぞとアクションに振り切った好作品と言える。「World needs you.」というルーサーのメッセージは、この作品の興収次第では続編もあり得るという、こう言ってくれというファンへの要請メッセージなのかもしれない。
これまでのシリーズ過去作を観ていれば面白味は増すだろうが、PART Iの前作を観ていなくても楽しめるほどストーリーはすかすかでありながらアクション物(トム走りは健在!)としては傑出した作品だった。
★★★★★★★ (7/10)
