『奇跡』 (1955) カール・テオドア・ドライヤー監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

カール・テオドア・ドライヤーの作品がデジタル・リマスターで劇場再上映。彼の作品では『裁かるるジャンヌ』を以前(といってもそれほど昔ではないはずに)観て、観る機会が少ないはずのこの作品をどんな状況で観たかも思い出せないほど印象に薄い鑑賞感。

 

今回の再上映に際し、引用された蓮實重彦氏の評が「あえて一本というなら『奇跡』を挙げようが、彼のすべての作品を見ていなければ、映画について語る資格はないと断言したい」。そこまで断言されてしまったからには、観ざるを得ないだろうとその『奇跡』を鑑賞。この作品は、1955年第16回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞している。

 

大地主であるボーオン一家。長男の妻インガ―が、お産で母子ともに命を落とす。家族が悲嘆に暮れる中、自らをキリストと信じ周りからは狂人扱いされていた次男ヨハンネスが失踪。しかし、突然正気を取り戻し、インガーの葬儀に現れる。

 

主要な男性の登場人物は、様々な宗教の立場を表象している。一家の家父長は敬虔なカトリックであり、ルター派が主流の街では異端。長男は無神論者、次男は自分をキリストの生まれ変わりだと信じ込んでおり、三男はプロテスタントの家柄の女性と結婚したいが、相手の家からは宗派の違いから拒絶されているといった風。

 

原作はデンマーク人の元ルター派牧師であったカイ・ムンクという戯曲家による戯曲。牧師という立場から見た信仰に対して異なる価値観を持つ二つの家の宗教観を浮き彫りにした戯曲は、シリアスなテーマを扱っていることは言うまでもないが、現代的な目で見るとそこはかとなくコメディ的な要素が浮き出てくる。勿論、観客を笑わせることを狙って作られた作品ではないのだが、大真面目な雰囲気が何やらおかしく感じられる、エレベーターの中で黙っているとなぜか吹き出してしまうアレである。

 

家父長の父は、三男の結婚相手が違う宗派であることから、結婚には絶対反対だったのに、その息子が相手の家から拒絶されるや否や、憤慨して手のひらを返して結婚させようとする。その単純さや、それぞれのキャラクターの単純化されたキャラ設定が、サザエさんのようなホームドラマのようだった。

 

ただ、子供を死産の(と言っていいのか、母体を助けるために胎児を殺す)末に自分も帰らぬ人となる長男の妻インガ―だけは生き生きと描かれているのは、監督の不遇な境遇からくる母性への思慕なのだろう。

 

歴史的な名作なのかもしれないが、シリアスなテーマの作品として見た場合、制作から三四半世紀経った現代ではそれほど感動を呼ばないと思われた(勿論、宗教的なバックボーンのあるなしという受け手を選ぶということはあるのだろうが)。そこまで構えることなく、リラックスして観ると先に述べた「そこはかとないおかしさ」がにじみ出てくる作品だろう。

 

「彼のすべての作品を見ていなければ、映画について語る資格はない」とは、個人的には言い難く、鑑賞を強く勧める気にはなれない。それほど悪くはないといった程度。

 

★★★★★ (5/10)

 

「奇跡の映画 カール・テオドア・ドライヤー セレクション」