『検察側の罪人』 (2018) 原田眞人監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

『クライマーズ・ハイ』(2008年)はよかったが、『日本のいちばん長い日』のリメイク版(2015年)にはかなりがっかりさせられた原田眞人監督最新作。結論から言えば、『日本のいちばん長い日』以上に残念な作品だった。

 

以下、完全ネタバレ御免。

 

一言で言えば、リアリティの大いなる欠如。「検察」というかなり特色のある権力組織の名前をタイトルに冠するのであれば、もう少し刑事司法&検察マインドについて考証してほしかった。少なくとも監督自らによる脚本、恐らくは原作(未読であり、この作品を観た後は読む気は起こらない)の瑕疵、そしてそれが勉強不足から来ているのが残念。

 

一番重要な「あり得ない」設定から論ずる。

 

最上(木村拓哉)が、時効にかかった過去の事件における殺人犯を、より苦しめて死をもって罰するために、冤罪を作りだす。そしてそのために現在の殺人事件の真犯人を自ら殺めるという設定。これは二重にあり得ない。

 

まず、法曹三者の中でも最も正義心(この「正義」の定義は非常に重要なポイントだが、ここでは深入りしない)の強い検察官の、時効にかかった犯人に対する処罰感情は大きく減殺されると思われる。なぜならそれが法律の定めるところであり、それが法の番人を自認する検察官の思考回路。

 

しかし、検察官も人間。そして私怨のために殺人を犯すこともあり得ないわけではない。であれば、弓岡ではなく松倉(酒向芳)を殺せばいいだけのこと。より苦しめるために冤罪で死刑囚とするというのは、かなりハードルが高いと思われる。まず確実性がぐんと下がるし、冤罪を自ら意図的に作り出すことによる彼の内心の葛藤が、松倉に対する処罰感情を弱めてしまうことにもなる。

 

ゆえに、主題にかかわる設定がとんでもなくあり得ない杜撰な設定である。

 

冒頭の法務省浦安総合センターでの新人検察官研修のシーンはよかった(実際の施設でのロケなのだろうか)。検察官は検察庁のことを「我が社」というが、弁護士や裁判官を小ばかにするプライドはあのようなパリっとした研修で生まれるのであろうことを想像させた。

 

しかし、その後少しずつほころびが見られ、そしてストーリーの一番重要ないきさつに至って、違和感は修復不可能になった。

 

小さなほころびとは。

 

まず、警察と検察の役割分担を理解していないと思われる。サッカーで言えば、検察はFW。ゴール前で中盤からのパスを待ち、ゴールを決めるのが仕事。どんな厳しいパスでも、シュートすると決めたら必ずゴールを決める。しかし、ゴールできないと判断したら、シュートすらせずにパスをスルーする。シュート成功率99.99%、それが検察。MFがドリブルで持ち込んでシュートをするようなことは、検察の仕事ではない。犯人を絞り込む以前の段階で、検察が捜査に深く立ち入ることはほぼないと思われる。

 

そして、沖野(二宮和也)は、最上の暴走に幻滅して、自分の正義を信じるがために検察を辞する。この沖野の設定もかなり非現実的。まず最上の暴走は、一個人の問題であり、検察組織全体の問題ではない。ゆえに、いかに最上に心酔していたとしても、それごときで職を辞する検察官などあり得ない。また、最上の事実認定(松倉が現事案での犯人)は私的感情に歪められていると考えているが、彼が弓岡を犯人視することも、あの段階では五十歩百歩。彼は、弓岡の資金の流れだけで「真っ黒じゃん」と言っているが、弓岡の取調べすら行われていない段階。そして、松倉にしても、弓岡にしても、事件の本筋とはそもそも違うというところからスタートしている(事件の本筋は、競馬仲間への金貸しをしていた老人を殺害した後に、借用書を抜いた者と考えられていた。松倉と弓岡は、借用書が残っていたけれどもアリバイがない者)。つまり借金をしながらも借用書が残っていないという本筋の捜査をしていない段階で、被疑者として取調べすらしていない段階での「真っ黒じゃん」という思い込みは、最上のそれと大差ないと考えられる。

 

また、橘沙穂(吉高由里子)の人物設定も相当非現実的。彼女が検察事務官になった動機が、冤罪被害者の子供である友人が自殺したとなっている。誰もが「和歌山毒物カレー事件」と分かる事件(カレーはレモネードに替えられていたが)を扱っているのは、少し攻めたところなのだろうが(ちなみに冤罪死刑囚の林眞須美氏には4人の子供がいるが、一人も自殺してはいない)、冤罪被害者の子供の友人が検察をピンポイントで恨むということも違和感ありだし(「和歌山毒物カレー事件」は警察・検察・裁判所・メディアが一体となって作り出した冤罪)、それを動機として検察事務官になるというのは、飛躍にもほどがある。それとキャバクラ飛び込みルポとも全く関係ない。

 

あまりにも非現実的な設定にドン引きではあるのだが、全くいいところがないかというとそうでもない。先に述べた法務省浦安総合センターでの検察官研修のシーンに加えて。

 

それは最上が松倉を老夫婦殺害の犯人と陥れるための証拠づくりの一件。洗った上で指紋をふき取った包丁を、DNAが残った競馬新聞に包んで河原に捨てたことを、「そんなことってあり得ないでしょ」と沖野が最上にかみつくシーン。それほどにお粗末な証拠が認められて有罪となるのが、刑事司法の現実だという痛烈な皮肉だとすれば、かなり高度。思い出したのは東電OL殺人事件。犯人とされたゴビンダ氏にとって一番不利な証拠が、殺害現場のトイレに捨てられたコンドーム内の精液のDNA型が彼の型と一致したこと。しかし、現場にコンドームの袋はなく、有罪判決の認定は、犯人が持ち去ったものとされていた。つまり、コンドームの袋を持ち帰るほどに慎重な犯人が、自分のDNA型を特定させる証拠をうっかり残していったというのが、検察の主張でありそれを裁判官が採用したというのが現実に起こったこと。

 

ほとんどアドリブであるらしい沖野の取調べシーンのキレ方が驚かれているらしい。経験者とすれば至極当然なのだが。そして被疑者であった自分も、あの沖野と同じくらいキレたため特捜部の取調べを乗り切れたと思っている。

 

また、大杉連亡き今、日本映画界トップのバイプレイヤー松重豊演じる「便利屋」諏訪部のキャラクターは光っていた。但し、彼がなぜ最上を助けるのかという動機はかなり「?」。共にインパール作戦から生還した者を親族に持つというだけで、インパール作戦が持つコノテーションが全く生きていない。

 

平日昼間ということもあり、キムタクとニノの共演ともあって、観客は若者の男女が圧倒的に多かった。彼らが刑事司法に関して少しでも理解を深めるきっかけになればいいと鑑賞前は期待したが、その期待に沿うだけの内容ではなかった。周防正行監督による『終の信託』(2012年)ほどの完璧な考証を期待するのは酷としても、最低限レベルにも達していないと言わざるを得ない。

 

★★★ (3/10)

 

『検察側の罪人』予告編