『テキサスタワー』 (2016) キース・メイトランド監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

実に素晴らしい作品。だが、これほど商業ベースに乗りにくい作品もないだろう。自分が映画配給会社の人間ならば、買い付けることには二の足を踏むだろうし、それでも一人でも多くの人に観られるべき映画だと思うだろう。

 

「1966年に起こったテキサスタワー乱射事件のドキュメンタリー映画」と聞いて、食指が動く人はさほどいないだろう。たとえ、その事件がアメリカの歴史に大きな影響を与えたと知っていたにしても(注)。

 

この作品は、ドキュメンタリー映画と言われて想像するものとはかなりかけ離れている。まず大部分がアニメーションである。実際の映像ではなく、役者を使っての再現フィルムというものがあるが、役者の代わりにアニメーションだと思ってもらえばよい。これがかなり制作側に自由度を与えている。特に、人物の心象風景を描くのに好適である。そしてナレーションは一切なく、全て関係者の言葉で語らるという非ドキュメンタリー映画的作りになっている。また更に特異なのは、事件そのものの説明がほとんどないことである。例えば、テキサスタワー乱射事件の犯人は25歳のチャールズ・ホイットマンという元海兵隊員だが、犯人の名前すら語られることはなく、彼の姿はこの作品には全く登場しない(犯人は突入した警官に射殺されるのだが、その後警官の姿の足元に犯人の足がちらりと描かれているだけ。それもアニメーション)。

 

作品では、無差別大量殺人の犠牲者とその時に周りにいた人がどう感じ、どう考えたかに焦点が当てられている。この事件では、15人(+1人、これに関しては後述)が射殺され、31人が負傷している。これらの犠牲者のほかに、事件当時、事件現場の周りには何百人もの市民がいた。その中でも特にフォーカスされているのが、タワーから最初に狙撃された妊婦の学生クレア・ウィルソンと、彼女を助けた一人の女性と一人の男性である。被弾の衝撃で頭蓋骨を骨折して胎児は死亡したのだが、それが15人のほかの一人だった。

 

1966年8月1日正午前、クレアはボーイフレンドと二人でキャンパスを歩いていた。気温は38度に達する暑い日だった。時計台展望台からの銃弾が彼女の腹部を貫通した。駆け寄る彼女のボーイフレンドが撃たれたのはその直後だった。広場の焼け付くコンクリートに倒れ伏した彼らを助ける者は誰もいなかった。広場の周りには数十人の人が身を隠していたにもかかわらず。妊娠8か月のクレアは、いつも元気におなかを蹴る自分の子供が動かなくなっていることに気付いていた。傍らに倒れているボーイフレンドも返事がない。どれくらい経ったろうか、一人の女性がクレアに駆け寄ってきた。クレアは彼女に撃たれないように突っ伏すように言った。彼女はクレアの近くに横たわり、声を掛け続けた。「学校では何を勉強しているの」「ボーイフレンドはどんな人」。朦朧とする意識の中で答えるのは大変だったが、意識を失うのが怖くてクレアは必死に答えた。広場の周りで彼らを見つめる者の中に一人の男子学生がいた。彼はこの炎天下に上下黒の服装でいることを悔やんでいた。あまりの暑さに朦朧として木陰に移った彼を強烈な罪悪感が襲った。「あそこで倒れている妊婦はもっと苦しんでいるのに、このざまはなんだ」。そして気分が回復した彼は、ほかの二人と一緒に広場に駆け出して行った。

 

人を救うために自分の命を危険にさらすことを厭わない人が、世の中にいることをこの作品は訴えている。この作品を観て思い出したのは、最近、高校以来35年ぶりに再読した遠藤周作の『沈黙』だった。その作品には、切支丹の時代に棄教を迫られたキリスト教信者が描かれている。そして人間には二通りいると書かれている。自分の信念を貫く強さを持った者とそうでない者である。

 

無差別大量殺人という題材でありながら、そのテーマは人間の勇気と強さ、そして人を愛する心である。そして作品は、現代のクレアのインタビューで締めくくられている。「あなたは狙撃者を赦しますか」「赦します」。

 

もし観る機会があれば、是非観てほしい作品である。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『テキサスタワー』予告編

 

(注)

この事件は、アメリカ人の安全に対する意識を根本から変えたと言われている。それまでは、パブリックな場所で無関係な者が命を狙われるということを人々は全く想定していなかった。この事件を機にアメリカではSWATが編成された。