『サヨナラの代わりに』 (2014) ジョージ・C・ウルフ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~



映画『最強のふたり』を観た時には、同じ障害を持った人が観ても全く納得しないだろうな、と感じた。この作品は、似たようなコンセプト(重篤な障害者を社会の落伍者が介護する)でありながら、全く別物。勿論自分は健常者であり真に感じることはできないが、それでもこの作品は不治の病に侵された人間の感情を鋭く描いていると思わせた。

ALSに侵され、死が現実のものとして迫る主人公ケイト(ヒラリー・スワンク)の感じる孤独感、疎外感、そしてそれを乗り越えていかに生きるかが主題。そして、彼女を看護することにより母親からもルーザーと見捨てられたベック(エミー・ロッサム)がいかに未来に対してポジティブな思考を持つように生まれ変わるかを副題とする。

この女性2人のドラマは、いかにお涙頂戴モノと分かっていても、リアルに心に響き、涙を流さない訳にはいかない。そして自分にとって生きることの意味、あるいは恋愛、人の絆が何であるかを考えさせられる。

ケイトは元々裕福な家柄の出身であり、インテリア・デザイナーとして成功していた。病に侵されてから、健康な時の友人を自ら遠ざけるのは観ていて悲しかった。そうした究極の状況では、離れていく人間がいるのは確か。しかし、それでも残る人間もいるはずで、そうした設定の方がよりポジティブに感じられたと思う。夫の不貞は現実的なモチーフだが、その後の展開は(最後の最後、ベックとの友情をクローズアップするため、舞台脇によける設定を除き)よかったと感じた。

ALSの患者をよく研究したであろうヒラリー・スワンクの演技は説得力があった。でもさすがに、野菜の切り方も分からないベックを介護に雇うことはないだろうけど。

邦題と予告にある「サヨナラの代わりに最後にケイトが伝えたかったこととは」は完全に映画のテーマをミスリーディング。原題の「You're Not You」が意味するところは、ケイトとの出会いでベックが共感した、自分をポジティブに捉え前向きに生きること。ケイトが死に際に言った言葉は(全くとは言わないが)重要ではない。

『最強のふたり』のように薄っぺらではない感動モノをお探しなら候補に挙げられる作品。

★★★★★★ (6/10)

『サヨナラの代わりに』予告編