『ぼくとアールと彼女のさよなら』 A・ゴメス=レホン監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~



今年のサンダンス映画祭(毎年1月にアメリカ・ユタ州で開催されるインディペンデント映画の映画祭)でグランプリ(審査員大賞)と観客賞をW受賞した作品、『Me and Earl and the Dying Girl』観賞。

あらすじはこう「グレッグの高校生活とは、青春をストレスなく過ごす処世術として、誰とも深く交わらず「invisible」となりながら、関わる全てのグループにblend-inすること。彼は、長年一緒に趣味の古典映画のパロディ作製をしてきた親友のアールでさえ、友人ではなく「co-worker」と呼ぶ。高校卒業を控えたある日、グレッグの母はグレッグに、白血病であることが発覚したクラスメートのレイチェルと一緒に時間を過ごすことを強要する。そしてグレッグは、レイチェルとの時間を通して人とのつながりの大切さを知ることになる」。

青春YA小説の映画化で難病物といえば『きっと、星のせいじゃない。』を彷彿とさせ、『きっと、星のせいじゃない。』がよかっただけに前評判の高さと共に期待させた作品。

結論から言えば、自分には空振りだった。テーマは鉄板だし、『きっと、星のせいじゃない。』がシリアス&ラブ・ロマンスとすれば、この作品は予告から分かるように、より斜に構えてシニカルな印象を与え、それはより広い映画ファンに受けるはず(で結果、サンダンス映画祭では観客賞を得た)。

映画の感想は、「効いてるか効いてないかよく分かんないマッサージをされているよう」。つまりツボに「うーっ、き、きくーっ!」という感じがない。

高校生という人生のスタートの時点で死を覚悟しなければならないレイチェルが、どのようにその死と向き合っているのか(彼女は妙に達観しているように描かれている)、そして母の言いつけで自分と時間を過ごそうとする、それまで仲良くもないグレッグとなぜ残り少ない時間を共にしようとするのか、その辺りの納得感が全くない。なんか生身の人間のヒリヒリ感に欠けるんだよなあ。

セリフ回しも小気味よく(グレッグのオタク振りがイマっぽく、英語がネイティブでない自分にはその面白みの100%が分からないのかも)、印象的なシーンでブライアン・イーノの曲("Big Ship" "I'll Come Running")がふんだんに使われていたりと、受ける要素は確かにあるのだが、必殺仕掛人の藤枝梅安並みのツボにははまらなかったということで。まあ、ミニシアター系が好みの人にはとりあえずいいかも。

★★★★ (4/10)

『ぼくとアールと彼女のさよなら』予告編