FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

今年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門には、日本映画が3本出品され話題となった。その1本がこの作品。カンヌ国際映画祭では『誰も知らない』(2004)主演の柳楽優弥が最優秀男優賞を受賞して以来、是枝監督はカンヌの常連となり、『そして父になる』(2013)で審査員賞、『万引き家族』(2018)でパルム・ドール、『ベイビー・ブローカー』でエキュメニカル審査員賞、『怪物』(2023)でクィア・パルム賞を受賞している。引退表明→撤回を繰り返す宮崎駿を除けば、現役日本人映画監督で国際的評価が最も高いのは濱口竜介と是枝裕和であることには異論は少ないだろう。

 

少し先の未来。2年前に亡くした最愛の息子・翔の姿をしたヒューマノイドを迎え入れることになった、建築家の母・音々と、工務店の二代目社長である父・健介。息子の到着に喜びと悲しみを隠せない音々に対し、健介は戸惑いから距離を置いていた。しかし、少しずつ共同生活が動き出し、予期せぬ事態が起こることで、夫婦がそれぞれ抱えていた死への想いが露わになっていく。

 

フィジカルAIを題材にした近未来SFと言える作品だが、是枝裕和はSFを作るのは苦手なのだろう。しかし、この作品をSFとしてその瑕疵を批判するのは野暮というものだろう(つまり、SFとしては大きな問題があるがそれは後述)。是枝裕和を高く評価する自分としては、近作3作品(『真実』『ベイビー・ブローカー』『怪物』)は、新たな領域を模索していることは理解しても評価していない。そして、結論としてはこの作品も平均的な作品であり、是枝作品としては低調と言わざるを得ない出来だった。

 

是枝作品と言えば、テーマは家族。特に疑似家族を通して家族のあり方を問う作品は自家薬籠中の物である。『そして父になる』しかり、『万引き家族』しかり、『ベイビー・ブローカー』しかり。この作品でも、フィジカルAIが家族の代替となるかどうかという物語。そして、家族の中でも思いは異なり、ヒューマノイドを我が子と受け入れる母と、受け入れない父という設定から、その思いが変化して、いずれ交錯するか収束するかして、残された者の絆を再生する物語だろうということは想像できた。

 

自分がこの作品にそれほど惹かれなかったのは、その物語や設定が「生身の感覚」とは距離感があったから。リアリティを持って心に響かなかったから。自分は子供を失った経験はないが、子供の親として、もし子供が自分より先にこの世からいなくなるようなことがあったら、しかもそれが事件か事故か分からない状況であったとしたら、想像を絶する過酷なことであろう。その感覚からすると、ヒューマノイドを初めて家に迎え入れた時の音々のリアクションに象徴されるように、軽い、薄っぺらい物語に終始しているような印象だった。

 

『箱の中の羊』というタイトルは、物語の中にも登場するサン=テグジュペリの『星の王子さま』から取られている。『星の王子さま』の中で、飛行士は王子のために羊の絵を描くが、王子が満足しなかったため「箱」を描き「この中に羊がいる」と告げると今度は王子が満足する。その寓話は、箱の中の羊は見えなくても「いると信じること」で王子にとってはそこに存在することを意味している。それはこの映画においては、ヒューマノイドの中に亡くなった息子の魂が存在すると親たちが信じることと重なり合っている。失われた命や愛という実体のないものを、生身の息子ではなくヒューマノイドという「物」を通じてどう感じるかという問いを象徴してると言っていいだろう。それは理解しても、少々ペダンティックで理屈っぽく、それも心に響かなかった。

 

SF作品としての瑕疵をネタバレで指摘する。

 

シンギュラリティを迎えた時、AIが感情を持つかについては議論はあるところ。感情を「脳が処理する複雑な情報処理システムが生む一種のパターン」とすると人工物であるAIにも再現できるだろう。しかし、感情を「内面の主観的経験」とすると、AIが持ち得るものではない。そして意志もAIは持ちえない。『2001年宇宙の旅』では、HALが自分の意志を持って暴走したように見えるが、HALには「木星探査を成功させる」というミッションが与えられており、乗組員がHALを疑い停止を検討し始めたことで、HALは「自分が止められるとミッションが失敗する」と判断し、「ミッション優先」というロジックを極端に突き詰めた結果、人間に敵対する行動を取るようになり、それが暴走に見えるだけである。つまり「気まぐれな悪意の暴走」ではなく「矛盾した命令から導かれた、冷徹で誤った合理判断」がHALの取った行動と言える。

 

また多くのSF作品では、AIを人間に近似した存在にするために「自分は人間だ」と思い込んでいるという設定が取られている。その設定を活かしたSF金字塔的名作がリドリー・スコット監督『ブレードランナー』。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作にしながら、映画のレプリカントはより「人間と区別しにくい悲劇的存在」としてロマンチックに描かれていた。

 

この作品のヒューマノイドの翔は、自分がフィジカルAIであることを認識しながら、自由意志を持った存在として描かれている。それはSF的設定としてはNGだろう。

 

ヒューマノイドが人間の心を読んでいるように見える描写や、GPSに関するエピソードなど、気になる設定が十分に掘り下げられなかったのもモヤモヤ感が残る。翔は、ほかのヒューマノイドと共に自分たちだけの楽園を目指すのだが、「毎晩ルンバのように充電器に戻っていたヒューマノイドは、森の中で電気はどうするの?」と思っていたら余りにちゃちな発電アイデアにはずっこけた。そしてそのヒューマノイドの楽園に人間の子供を入れるのは誘拐であり、音々と健介は止めなきゃ(彼らの食事は?)。ヒューマノイドを題材とするSF設定に期待しすぎた分、少し肩透かしを食らった感は多めだった。

 

結局、是枝監督お得意のテーマを違ったアプローチで撮りたかったのだろうが、エモさには欠ける作品になってしまったといったところ。

 

★★★★★ (5/10)

 

『箱の中の羊』予告編

 

是枝裕和監督ベスト・テン