今は亡き関西の大物タレントで歌手の、やしきたかじんさんと共演が多いお馴染みの2人。
1963年、15歳で桂米朝師匠に入門。
桂朝丸として、テレビで活躍。
前述のたかじんさんとは、その頃からの大親友。
1988年、2代目桂ざこば襲名。
この襲名の際、たかじんさんとは記念番組でのトラブルがきっかけで仲違いしていたが、1993年放送のたかじんnoばぁ~にて仲直りし、2014年1月にたかじんさんがこの世を去るまで、固い絆で結ばれていた。
しかし、師匠・米朝の厳しい稽古と深い愛情を受け、また、不器用で、まっすぐで、豪快な性格をそのまま芸風に繋げて、上方落語界の重鎮、亡き枝雀さんに代わり米朝一門の御隊長として活躍しています。
桂雀々さんは、その枝雀さんに1977年弟子入りしている。
1960年8月9日、大阪市住吉区生まれ。
こちらも、内弟子時代から様々な失敗で、師匠・枝雀に酷く怒られてきたが、雀々は枝雀さんがもっとも可愛がった弟子にして、もっとも好きな名前だったという。
あまりに気に入っていたために、枝雀から改名して、雀々家雀々にしたいと言い出すほどだった。
雀々さんもまた、枝雀さんの破天荒な、オーバーアクションで表現する芸風を継承するなど、師匠への憧れ、思い入れと、与えた影響は強かった。
また、師匠・枝雀が首吊り自殺を図った際に体を下ろしたのも雀々さんだった。
この、ざこばさん、雀々さんには共通点があります。
師匠に酷く怒られたことは前述にありますが、
少年時代に苦しい思いもしている。
ざこばさんの父親は電車に飛び込み自殺を遂げた。
雀々さんの両親は蒸発し、借金取りから5000円を借りるほどの極貧生活に見舞われた。
そして、2人の奥さんは姉妹同士、つまり、2人は義理の兄弟という間柄。
同じような境遇を味わった2人の縁は、あまりにも大きなもので、とても感動的がある。