この上方の芸界で、6代目といえば6代目笑福亭松鶴師匠で通っている。
そして、3代目といえばこの人‼︎
御年で84歳を迎える、私が好きな上方落語家、
3代目桂春団治師匠。
1930年3月25日生まれ。父は2代目桂春団治師匠でございます。
1947年に、その2代目春団治師匠に入門。前座名は桂小春。弟弟子に2代目露の五郎兵衛師匠、3代目桂文我師匠、そして後に、3代目の預かり弟子になる祝々亭舶伝師匠がいる。
1950年に、2代目桂福団治襲名。
1953年2月25日、父・2代目春団治死去。
この際、2代目の夫人が、6代目松鶴師匠と3代目春團治師匠の手を握らせて、こう言ったという。
『6代目と3代目が力を合わせて大阪落語を守っていくから、安心していってくれなはれ』と。
そして、6代目と力を合わせて大阪落語を守っていくことになった。
福団治時代は、上方舞・山村流の名手として、噺の後に踊りも披露していたが、
1959年に3代目桂春団治襲名。
襲名を機に落語に力を入れるように6代目から促され、落語に力を入れるために踊りを封印してきたが、
1980年に朝日放送のテレビ番組「枝雀寄席」にゲスト出演した際に、美しい踊りを披露した。
春団治を襲名して今年で55周年となる今も、舞台へ上がり落語を演じる際の羽織を綺麗に垂直に脱ぐ様や、細かくて美しい芸を披露しているが、それを支えるのは几帳面な性格である。
家の部屋の歩数も決めているほどの徹底ぶりが美しい芸に繋がっている。
また、前述の踊りも芸に生かされている。
私は春団治師匠の落語を映像で観れたのは「お玉牛」だけですが、これも手の動きが流れるようにリアルに表現されていて、スゴイと思いました。
まさに、上方落語の宝です。
さて、長くなりましたが、次のブログで春団治師匠を含めた、上方落語四天王の弟子について書きたいと思います。