癌病死!と言うとこの年末に不吉な!と批判される方が多いと思います。
しかし,私も来年は60歳になりますが,人生50年と言われた過去から考えれば寿命は大分伸びたものと思います。
若い頃は未来の自分の立ち位置を想定していました。と言うか,それしか考えられなかったのです。
理屈では自らもいずれ50歳・60歳・70・80歳になる事は知っていましたが,そうなる事は遥か先の先でほとんど自分に縁のない立場であるかのような感覚で見ていました。
気が付いたらもう60歳を迎え,そして過去における自らの行状に後悔と反省のみをお経のように唱える事が毎日です。
今は亡き両親との事,兄弟との事,友人・知人・同僚・恩師への無礼千万な言動などです。
「後悔先に立たず。」の言葉が毎日のように浮かびます。
過去の事を思い出す回数が増加していること自体が老齢期に入っている事を証明している自覚があります。
話は本題に入りますが,私は昭和49年4月から61年12月まで,沖縄県警察において奉職していました。職務は,交番・離島駐在所・機動隊・留置場・警察本部鑑識課・署鑑識係・署警備公安係・刑事課・パトカー・白バイ乗務員等一通りの勤務をしました。
お蔭様で人生の裏表,ヤクザ・暴力団の弱点,人の死にざま等を垣間見る機会が一般の方達よりは多かったのではなかったかと思います。
普段通りにスクーターバイクに乗車し,職場に向かった28歳の会社員が,路線バスに跳ねられ頭部をバスの後輪でひきつぶされ即死した交通事故死,右折する際左側からのダンプに衝突され即死した22歳のOL,暴力団抗争でコルト45口径拳銃により,3発の銃弾を浴び即死した暴力団組長,ガス湯沸かし器の不具合による一酸化炭素中毒により,一家4人が死亡した教職員一家,行方不明1カ月後に発見された祖父の死体等,数多くの仏様を相手として検視・検案・死体解剖等です。
20代と言う若い私には非常にショックな場面が多かった,多すぎたと今でも考えます。もう一度生まれ変わる機会があれば二度と警察官にはなるまいと考える次第です。
死亡原因は交通事故・犯罪死・病死・自殺等多数ですが,私がその職務で学んだことは,人が死因を選ぶことが可能であれば,癌病死の方が良し!と思うのです。
事件・事故死の場合,残された遺族の方々のショックは並大抵の表現では不可能です。突然失った一家の大黒柱,配偶者・恋人,子供,友人,同僚…等,残される身の嘆きを直接数多く見た私の正直な感想です。
私も母親を悪性リンパ腫,父親は老衰により亡くした者ですが,亡くなるまでの期間が相当ありますから心の準備が整い対処できました。(でも親不孝の自分を現在でも許せませんけどね。)
医療技術が35年前と比べて随分進歩しました。しかし人の命は永遠で無い事は明白な事実です。
選べるならば残された家族・兄弟・友人・同僚達に別れの言葉を言い残して死ねることが一番の理想だと思っています。
もちろん,理想通りの死に方は当然とはならない事を充分知っています。
ですから,このブログを読まれる方達に言いたいのです。
人間も生物の一種である限り必ず死にます。私も,貴方にも必ず死は訪れます。今年のように来年も生きられるとの保証はありません。
ですから,自分を最初として大事にし,次に肉親を,次に友人等周辺の方達を大事に思い行動しましょう。
自分を大事にできない人は,周囲の方達を大事にできる訳が無いのです。
癌病死こそが理想的な死に方である事は理解できましたでしょうか?癌病死の即死と言うのは無いですから,自分の周囲の方達と充分な話し合いが可能です。思いのたけ話ができるメリットがあるからです。
このブログをお読みなられる方達の来年の御多幸を願って終わります。
以上です。