姫路城天守

 

大村大次郎『「土地と財産」で読み解く日本史』
の第7章「なぜ秀吉の直轄領は家康よりも少なかったのか?」に、
「慶長3(1598)年の時点で、豊臣家の直轄領は222万石程度である。
一方、徳川家康はこのとき250万石近くを持っていた。
家康の方が大きな版図を持っていたのである。」
というのはいささか誤解を招く表現です。

(『WEB歴史街道』にも記事があります)

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7050

「豊臣家の直轄領は222万石程度」で「あまり財政基盤が強くなかった」
というのは間違いはないでしょう。

ですが、豊臣大名時代の家康は250万石の領地から家臣に領地を分け与えており、
徳川家の直轄領は100万石程度で、豊臣家より大きくはありません。

それに、「家康の力を削ぐための関東転封」という話は、古くは
江戸幕府の正史『徳川実紀』にあったことで近年まで通説になっていました。

しかしながら、現在では、強大な戦国大名だった後北条氏の旧領を統治できるのは
家康以外にないと見られていたことや、室町時代の関東公方のような
東国支配の役割を徳川にまかせようとした秀吉の意図から関東転封が
行われたのであって、左遷ではないと考えられています。

第8章「徳川家康は“史上最大の資産家”だった」に、
「家康の場合は、大坂の陣以降は、直轄領だけで400万石あり」と太字で
書いてありますが、江戸幕府の直轄領が400万石を越えたのは5代将軍綱吉
の時で、家康在命中には300万石に達していませんでした。

もっとも、家康が「日本史上最大の資産家」だったことは確かなのですが、
その原因は、算勘に明るい大久保長安に幕府直轄鉱山の支配を任せたことで
金銀の産出が飛躍的に増加したことや、秀吉よりも盛んに海外貿易を行った
からです。

家康の経済手腕は信長や秀吉に見劣るものではなく、
『「土地と財産」で読み解く日本史』にあるように、
「家康は棚からボタモチで巨額の富を築いた」というわけではありません。


とはいえ、第9章「意外に公平だった江戸時代」に、農民の生活が
意外に豊かだったことや、農村に大地主が生まれなかったり、
商人への過度な富の集積もおきなかったことのように、
最新の歴史学の成果を取り入れて、江戸時代に250年の平和が
続いた理由を述べているあたりは評価できるでしょう。

明治政府の地租改正が農地解放だったことや、戦後の農地解放が
過大評価されていること、財閥解体が高度成長を生んだことや、
バブルが崩壊して格差社会が再来した理由など、国税調査官と
して財政の実務に携わった人だからできる近現代の経済に
ついてのするどい分析は見るべきものがあります。