山路慎一選手がお亡くなりになりました。
以下の文はオートスポーツWEBから抜粋
「JGTC全日本GT選手権やスーパーGTで活躍、GT500クラス、GT300クラスで合計4勝を飾っていたレーシングドライバーの山路慎一が26日、かねてから病気療養中だったが、25日夜に突然体調を崩し入院、治療の甲斐なく亡くなった。享年50。
山路は1964年5月3日千葉県出身。1986年に筑波のレースでデビューし、JSSや富士フレッシュマンに参戦したが、フレッシュマン参戦時はレース資金を稼ぐべく昼夜問わず働き続ける苦労を重ねた。しかし、そんな苦労をバネにRX-7の王座を獲得すると、フォーミュラトヨタやフォーミュラ・ミラージュ等に参戦した後、1994年にコクピット館林GT-Rを駆りJGTCにデビューを果たした。
1996年からはRE雨宮に加入し、RX-7をドライブ。99年からはGT500クラスのトムスに加入し、2001年SUGOでは優勝。2003年からはふたたびGT300に活動を移すと、03年に1勝、04年には2勝を飾った。その後もRE雨宮やチーム・タイサンなどから多くのレースを戦っており、2012年にはポルシェカレラカップジャパンにも参戦している。
また、現役時代からモータースポーツの安全に関して高い意識をもっており、1998年の富士で行われたJGTCでは、太田哲也がドライブしていたフェラーリがクラッシュし炎上。山路がマシンを止め真っ先に救助に向かったシーンはいまだに語り継がれているほか、オフィシャル体験等を通じ、近年は富士スピードウェイを中心に、レースをコントロールする競技長の大役も務めていた。
真面目で後輩を手厚く育ててきたことから多くのドライバー、ファン、モータースポーツ関係者に愛された山路だが、近年は体調を崩しており、二度の大病を患っていた。しかしその度に復活を果たしてきただけに、モータースポーツ関係者のブログやTwitterには多くの悲しみの声があふれているほか、すでに関係者が続々と弔問に訪れているという。なお、通夜、葬儀は別途案内されるとのこと。
その速さ、人間性で多くのモータースポーツファンから愛された山路慎一さんに心から哀悼の意を表します。」
山路選手が亡くなったという事を知って、オレは物凄くショックを受けました。
オレが山路選手に初めてお会いしたのは、高校生の頃にJGTCを観戦に行った時でした。
サインをお願いした際に優しく対応して頂き、多くの方から愛されてるんだなぁ~って感じました。
山路選手はレースだけでなく、チューニングカーのタイムアタックでも大活躍してましたね(^^)
オプションの企画では「タケヤリ山路」の愛称でRE雨宮のFC3S RX-7で筑波サーキットでのタイムアタックも印象に残ってます。
そして…


オレのシルビアやスカイラインのチューニング先であるコクピット館林と深く関わり、チューニングパーツの開発にも携わってました。
1994年の全日本GT選手権ではコクピット館林GT-Rをドライブし、シリーズ3位を獲得してます。
オレが山路選手と最後にお会いしたのは、昨年のHKSプレミアムDAYに参加した時でした。



その時はコクピット館林のデモカーの86で、86&BRZレースに参加でした。
「この86に乗るの~?」なんてジョークを言いつつ、本気でレースに取り組んでたのを今でも覚えてます。
山路選手、お疲れ様でした。そして今までありがとうございました!!
天国に行っても走り続けて下さい。そしてオレ達のモータースポーツ活動を見守って下さいね♪