「どうでもいいこと」

 

最近、ある方のツイートを拝見し、これはかなり本質的だと思いましたのでご紹介します。

 

https://twitter.com/ifihaveit/status/1384152131200897035

 

「同性婚を認めるということは、結果的に両親というものから、性別の概念を取り除くことである以上、『父親とは精子、母親とは子宮に過ぎない』ということを国が認めることになる」

 

同性婚推進の議論ではほとんど触れられていなかったのですが、

 

同性婚を法律で認めたら、次は必ず同性カップルが「子を設ける」ことを主張する動きが始まり、

 

ゲイカップルが代理母を利用し、あるいはレズビアンカップルが精子提供を利用して出産することが(今までもあったのかもしれませんが)ますます社会的存在感を増すでしょう。


これに関連して、学校などで「『父』『母』という言葉を使うのをやめよう」という声が出てくるかもしれません。そのようなカップルに対して「配慮」するためです。

 

このような運動と同様の副次効果を生むのが、トランスジェンダリズムです。

 

トランスジェンダリズムの隆興により、たとえば「妊婦」といった言葉は「配慮を欠く」ので、「妊娠した人々」というふうに言い換えられます。

 

妊娠するのはあきらかに女性のみなのですが、もはや米国医師会といった専門家集団でさえ、女性という言葉を使わないようになっています。

 

https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2777024

 

やはりトランスジェンダリズムの文脈ですと、ときどきFtM(女性として生まれたが男性として自認する人)が妊娠・出産したということでニュースになりますが、

 

https://nypost.com/2019/12/30/transgender-man-gives-birth-to-baby-using-sperm-from-trans-donor/

 

そうなるともう、生まれてきた子供にとっては、自分を産んだ人は「父親だけどたまたま子宮を持っていた人」ということになります。
 

同時に、男性として子を成してからMtFに転換するという例もありますので、そうするとその子にとってのその親は「母親だけどたまたま精子を持っていた人」ですね。

 

 

https://edition.cnn.com/2021/04/21/entertainment/ezra-furman-trans-woman-mother-scli-intl/index.html

 

ところで、日本の性同一性障害特例法では、性同一性障害を患う人たちが性別を変更することを可能にする条件の一部として、未成年の子がいないこと、および手術で生殖機能を取り除くことを含めているそうです。

 

「父が出産」「母の精子で産まれる」といった事態を防ぐため、あるいは未成年の子が、自分の父/母親が突然母/父親になるといった混乱に直面しないようにするためにも、これらの条件は必要と思われるのですが、

 

国会ではその性別変更の要件を変える(実質的には緩和する)かどうかの議論を開始する流れになっているとか。

 

https://agora-web.jp/archives/2051175.html

 

また、この問題に関連して日本学術会議は、「身体の治療に主眼を置くのではなく、性自認のあり方に焦点を当てた人権モデルへの移行」を強く要望しているのだそうです。

 

つまり、「自認」さえあれば自由に、いつでも、簡易な手続きでもって男が女に、女が男になれる、という制度です。

 

もしこのような法制度が導入されたら、今までの特例法でかろうじて「父が子を産む」「母の精子で産まれてくる」といった混乱を食い止めていたのが、

 

近い将来、父親・母親という存在の定義はそもそもの性的役割とは全く関係ないものとみなされることになるかもしれません。

 

スペクトラムという「科学的知見」

 

先日、とあるNHKの番組で

 

「性スペクトラム」というのを特集していました。

 

ざっくりいうと、性というものは雄雌が明確に分かれているものではなく、グラデーションのように帯状につながった「範囲」(それぞれ両端の方向が雄的なものと雌的なものとされる)に過ぎず、すべての人はその間のどこかに位置する、といった思想です。

 

その特集では、クマノミといった魚が生育の過程で性転換することを挙げたり、

 

人間における染色体構成にはXYとXXだけでなく、XXYとか、Xひとつといった事例もあることを例にとり、

 

その議論を説得的に見せようと工夫を凝らしていました。

 

私はその番組を見て、ある意図をもったプロパガンダの匂いを強く感じました。

 

人間はクマノミと違って、生育途中で生物学的に性が転換できるほど単純な生き物ではありません。

 

また、染色体の構成における例外的存在を用いて「スペクトラム」という考え方をすべての人に適用する理論に強い違和感を禁じえません。

 

ある事例では、男の子を産んだ女性が、その子を通じて父親の遺伝子を体内に取り込むことによってXXY染色体を持つに至ったそうですが、

 

それではその女性は、男の子を産んだとたんに野太い声になり、髭が生え、筋骨がたくましくなったのでしょうか。

 

いずれにせよ、例外的事象をさも普遍的なことのように取り上げる手法は行き過ぎていると感じました。

 

しかし、このような考え方はNHKのみがにわかに取り上げたようなものではないようです。

 

私が以前記事で批判させていただいた山崎ランサム和彦牧師のブログに、「神学的人間論と同性愛・同性婚」というエントリーがあり(これは藤本満さんというゲストによる寄稿である様子)、そこにこんなくだりがあります

 

「7年後、久しぶりに帰国したとき、高校の友人と食事をしました。彼は医学部を卒業した後、フランスのパスツール研究所で学び、京大の准教授となり、小児科、しかも遺伝子疾患を専門としていました。特に、染色体異常による性決定の問題を研究していました。ヒトは「XX」で女性、「XY」で男性となります。しかし、XX男性が存在します。あるいは「XXY」男性、あるいは「Y」の染色体のない「X」男性(つまり女性)、と普通ではない染色体構造を持って生まれた人物がいるわけです。「はじめて聞いた」という私に、「おまえ、そんな常識も知らないのか!」と彼はあきれていました。」(強調筆者)

 

なるほど、このように遺伝子におけるアノーマリィが存在する、という事実が医学会の「常識」であるのはおくとしても、

 

それにしたって、こういった現象をもって、同性婚を認めたり、LGBT運動に正当性を見出す根拠とするのは、実のところかなり無理がある、という気が私ブログ主はします。

 

よし遺伝子に着目するなら、果たして現代において注目されているLGBTは、遺伝的なアノーマリィに関連しているのでしょうか?

 

このような「科学者」は、たとえば、性的自認の問題と遺伝子の現象との関連を調査したことはあるのでしょうか?

 

(仮に、それらが遺伝子アノーマリィに関連しているのであれば、その実数はかかる事例に見合った数となり、すなわち今言われている数より甚だしく少数になるはずです。)

 

なので、こういった「科学的知見」は、例外的事象を普遍的に見せかけるだけでなく、現実的には関連性のない二つの事象を無理やり結びつけようとする、きわめて政治的なものとみなさざるを得ません。

 

土台を揺るがされる子供たち

 

私ブログ主は、以前投稿した記事で、イギリスでのある出来事をご紹介しました。

 

https://ameblo.jp/tfjblog/entry-12490756627.html

 

移民で、キリスト教徒である10歳の少女が、クラスでLGBTに関する授業からの退席を打診したところ、担任の怒りを買って停学処分を受けたというのですが、

 

注目すべきはこの少女が、取材に対して語ったことです。

 

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「みんながLGBTはどういう意味かを習う前に、誰もが自分は何のジェンダーかを知っています。でも今は皆が混乱しているんです」

 

「それで自分達は両性愛者あるいはトランスだと言っているのは混乱しているからなんです。これが起る前は自分達が何であるかに完全な自信があったのに今は違います

 

「これは他の子供達に本当に影響を及ぼします。なぜなら彼らは自分自身への自信を失って、自分を見ながら『なぜ私はこういう人間なんだろう?なぜ他の誰かになれないのだろう?』と尋ねているからです」

 

これら全てが起るまえは、皆自分達が誰かを知っていました。生徒達は今、四歳になるまでには自分達のジェンダーが何なのかを選択することを迫られています」

 

------------------------------------(強調筆者)

 

自分たちが男の子あるいは女の子であることを毫も疑わない10歳やそこいらの子供たちに、

 

「あなたたちのジェンダーは一定していない、変わるかもしれない」

 

といったことを吹き込むのは「教育」でしょうか?むしろ「虐待」ではないでしょうか?

 

もっと気持ちの悪い例もあります。

 

https://www.tfpstudentaction.org/blog/dr-michelle-cretella-on-transgender-ideology

Dr. Michelle Cretella on Transgenderism: A Mental Illness Is Not a Civil Right

Wow. This powerful interview explains why transgender ideology is child abuse. Watch & share.

www.tfpstudentaction.org

 

米国の小児科医として経験を持つMichelle Cretella女史は、幼稚園における「トランス教育」の影響を憂慮し、これを児童虐待と断じたそうです。女史いわく、

 

「3歳といった幼稚園児は「男の子/女の子」として自分を認識できます」

 

「(しかし)殆どの幼児は男児は成長し男性となって男性であり続けること、女児は成長し女性となって女性であり続けることを理解していません」

 

「最近カルフォルニアのRocklinでは教師が幼稚園児に対し2つの絵本を読みました」

 

「赤い包装紙で包まれた青いクレヨンの話で子供たちに『外側と内側は合わなくてもいいんだ』と教え、続いて、「I Am Jazz」という、3歳から女児として振舞ってきた男児の話を読む」

 

「そして、一人の男の子が教室から退出しドレスを着て再び戻ってくる」

 

「教師はその男児が性を変えたことを宣言し皆に彼を女の子の名で呼ぶよう求めた」

 

「ひとりの女児がこの出来事を怖がり帰宅後母親の前でひどく泣きました」

 

「『私は男の子に変わっちゃうの?私男の子に変わりたくない!ジョーイ(仮名)は女の子になったの、私は男の子になるの?』」

 

「私は母親から電話を受けたのでこれを知りました」

 

「この母親は狂っていると言われ、その娘の反応は問題だとみなされています」

 

「トランスジェンダーイデオロギー..は幼児虐待です、それは子供たちに『ガスライティング』を仕掛けるからです」

 

このように、「トランス教育」によって、不安を感じたり、自分の行く末に恐れを感じたりする子供たちが出てきています。

 

それは当然です。自分のアイデンティティの強固な一部であった性別を、「わざと」揺るがされるからです。

 

言ってみれば、「人工的にトランス」するよう誘導されているのと一緒です。

 

「志向」と「自認」だけの新たな人間像の誕生とその帰結

 

「人権への配慮」のために、「父母」と言う言葉を使わない、「妊娠した女性」と言わない、そういうプロトコルが広がり、

 

あるいは、代理母出産や精子提供が通常のこととして市民権を得、

 

または、「父が出産」し、あるいは「母の精子から産まれてくる」といった事例が社会で存在感を増していったらどうなるでしょうか。

 

そして、きわめて「似非科学」的な「性スペクトラム」が、あたかも「科学的常識」のように語られ、疑問を呈する者が嘲笑されるほど一般化し、

 

かたや子供たちが通う学校で、「性別は流動的なもの」「あなたもトランスかもしれない」といったナンセンスが正式な教科として教えられるようになったらどうなるでしょうか。


もしもこういった活動により推進されている「ナラティブ」に従うなら、

 

人間の存在は生殖器官の単位にまで解体され、

 

すべての人々は、絶対的に生物学的に定義された男でも女でもなく、各々の「性的志向性」「性的自認」だけが問題となる存在とみなされることになります。
 

これらの現象は、人間のアイデンティティを根底から破壊することを目指しているように見受けられます。

 

人間は、現実に根差した自らのアイデンティティを破壊されたら、

 

もはや外部の誰かから吹き込まれた何かを信じてそれをアイデンティティとして取り込む以外に道はなくなります。

 

ですから、この「性的改革」が完成した暁には、この世は、

 

マスコミ、活動家、学者が流布するナラティブに簡単に操作される人々の群れと、

 

「生物学的現実」に拘泥することで社会のメインストリームから弾かれる「時代遅れ」の人たち、

 

に二分化されると私は予想しています。

 

(もしも「思考停止」のそしりを覚悟で付言するなら、私ブログ主はこれらの現象の背景に強い「霊的」な力が働いていると感じます。)

 

そして、ここにこそ、忠実なクリスチャンの生きる道がある、と私は思っているのです。

 

日本人クリスチャンの特異性と可能性

 

どういうことか、説明します。

 

不幸なことに日本のクリスチャン人口は1パーセント台で長らく低迷しています。

 

ですから、クリスチャンはほとんどの場合、日常のあらゆる場面でノンクリスチャンに囲まれて過ごしています。

 

「神様」「イエス様」と外で口にしようものなら、周囲から笑われてしまうかもしれませんし、

 

職場では毎年年初に皆が神社に詣でるのに、自分だけ行かないので白い目で見られるといったことも起こるでしょう。

 

そのような中で信仰を守ってきたクリスチャンは、「周囲の全員が信じていることと自分の信じていることが180度違う」という現実に慣れています。

 

例えば、私の家では家族全員が創造論を信じていますが、子供たちは学校で進化論を習っています。

 

なので、私の子供たちは10歳にもならないうちから「学校で習うことすべてが真実とは限らない」ということを心得はじめています。

 

(むろん、これは陰謀論者のようになるということとは違います。あくまで聖書を真実だと考えている、ということです。)

 

聖書を信じる日本人クリスチャンの皆さんの中には、このような「二重生活」を日々経験している方々も多いことでしょう。

 

「職場や学校にクリスチャンがゼンゼンいないから寂しい!」

 

そういったやるせなさを抱える人たちもおられることでしょう。

 

しかし、私が申し上げたいのは、

 

今少し忍耐をもってその「二重生活」を続ける必要がある、ということ、

 

そして、いつの日かその忍耐は報われる、ということです。

 

どういうことかというと、

 

上記のような「人間解体」を目指すナラティブが広く流布するにつけ、


それに同意できない人々は、恐れや、疑い、フラストレーションを感じるようになると思うのです。

 

そのような人たちは、自分たちの知っている現実、すなわち人間は男女に別れ、人は父と母から産まれる、といった現実と、そのナラティブがあまりに食い違っているので、

 

ますます進んでゆく社会の歪みの中、「真実とは何か?」と探求し始めるのではないでしょうか?

 

もしかすると、そのような人々の一部は、「NWO」や「イルミナティ」による「人口削減計画」とか、そういったあやふやな話に縋り付いて、どうにか心の平静を保とうとするかも知れません。

 

しかし、私たちクリスチャンは、そのような人たちに対して、

 

人は男と女に造られ、神は結婚を男女のものとして定められた

 

と自信をもって証言し、この世の偽りを指摘することができるはずです。

 

何よりも、私たち聖書を信じるクリスチャンは、「恐れる必要はない」ことを知っています。

 

人間社会は益々闇に堕ちていくとしても、それはもとからわかっていたこと。

 

そして、それはイエス様が来られるときが近づいているということをも示しているからです。

 

イエス様は、黙示録で訓戒を与えた教会の一つに対し「あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい」と命じておられます。

 

私たちが信じる聖書が証する真理には、最後に来る「希望」があるのです。

 

これは、陰謀論の中には存在しないものです。

 

ですから、どれほど社会が変質しようと、メインストリームで信じられているナラティブがどれほど滅茶苦茶なものになろうと、忍耐して待とうではありませんか。

 

もしもあなたが、この日本社会で周囲の嘲笑を耐え忍びながら、神による天地創造やイエスの十字架と復活を信じ信仰を保っているなら、

 

その同じ忍耐でもって、性的革命の嵐の中であっても信仰を守りつづけていきましょう。

 

今、一日一日を妥協せず信仰していきましょう。

 

そして証しの機会が与えられたら、ためらわず証ししましょう。

 

そうして得た経験は、未来の試練においても、必ず役立つはずです。

 

ですので、私は、聖書を信じる日本人クリスチャンの皆さんが、この国で神様の用意された働きを全うできるよう、祈り続けます。