小樽で水平線を眺めながら | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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小樽は北海道の小さな海辺の町で、静かで素朴な土地に一本の運河が流れている。はるか昔、小樽は小さな港で、運河の両岸にはたくさんの倉庫が並んでいた。その頃の小樽は今ほど有名ではなく、毎日海に向かい、黙々と貨物船の積み下ろしと倉庫の出し入れが行われる、働き者で純朴で、他と競いあうこともない静かな町だった。

現在の小樽も貨物の集散地としての働きは持っているが、それよりも、次第に若いアーティストたちが集まる場所になりつつある。西洋風の街灯が立つ運河の岸辺の長い遊歩道のあちこちに、イーゼルを立て、様々な色の絵の具の入った絵具箱や大きな布製バッグを脇に置いて絵を描く人や、ポケットがいっぱいついた大きなウインドブレーカーを着て、三脚に望遠レンズのカメラを取り付けたカメラマンが、世間のことなど忘れたような表情で、気に入った完璧な光線が現れる瞬間を待っている姿が見られる。あるいは工芸品製作をする人々がワイヤを使って精巧なアクセサリーを作っていたり、マーカーで絵葉書を製作していたり、可愛い図案の消しゴム製のはんこを彫っていたりする。カモメが飛来し、白いおなかを突きだして街灯や岸辺の欄干に止まる。常連の芸術家たちは見なれているので、周囲をカモメが行き来するのに任せているが、旅行で来ている人たちは珍しく感じるのか、カモメを囲んでシャッターをさかんに切っている。活気のある小樽は、擦り切れた服を着て陽光の中をかけまわる少年のように、体裁など気にしないような活力や熱気と、都市の喧騒とは縁のない純真な瞳とを持っている。
 

小樽が小さな貨物港から次第に観光地へと発展していく過程で、その表情も次第に変わっていった。普通の民家が当地の特産品を売る店になった場合もあるし、からっぽのまま放置されている倉庫もある。運河沿いには、使われなくなった非常に大きくて古い倉庫があって、ある彫刻家がその室外の通路や屋上に数十個の銅製の彫像を並べた。それらには男も女もあって、表情は厳かである。その作品の意味を尋ねると、この倉庫の以前の労働者たちが高いところから小樽を見つめて、小樽が将来どこへ向かうのかを人々が考えるようにうながしているのだという。
 

おそらく多くの人の小樽に対する最初のイメージは、岩井俊二の純愛映画「ラブレター」であろう。北国の深い雪と、藤井樹が叫ぶ「お元気ですか?私は元気です!」という言葉は、古典的なシーンとして人々の心に深く入り込んでいる。小樽の港ではるか遠くに続く水平線を眺めていると、すでに忘れたと思っていた姿もおぼろげな遠い人への思いが突然湧き起こってきて、その人に対して、そしてその頃の自分に対して言ってみたくなる。お元気ですか?私は元気です、と。













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