マザーハウスの女性社長 | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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東京に暮らす中国人が見た、リアルタイムのこの国のすべて・・・


先入観を持つ人の先入観を覆すには、品質がよく、丁寧に作られた製品を見てもらうのが最も説得力のある方法だ。百貨店で販売されているマザーハウスのバッグは、デザインはシンプルで可愛く、存在感があり、マザーハウスを知らない人も、バングラディシュを知らない人も買いたい気持ちになってしまう。アジアの最貧国で製造されたバッグが日本で販売され、国際的なブランドにも引けをとらない。この事実が、現地の職人たちの大きな励みになっている。現在、バングラディシュのマザーハウスの工場は清潔かつ快適であり、すばらしい仕事環境を備えているが、現在に至るまでには、創業者、山口絵理子さんのたいへん苦しく、常人には想像もできない曲折の道があったのだ。

マザーハウスを設立した山口絵理子さんは1981年生まれ。22歳の時にたった一人で初めてバングラディシュを訪れた。バングラディシュは他の貧しい国と同様、政治情勢は不安定で治安も悪かった。人件費がたいへん安いので、中国製品の補助製造国であり、生産されるものは常に品質が悪く、価格の安い商品だった。だが絵理子さんは、途上国でも世界に認められるブランドを作ることができるという信念を抱き、24歳で起業し、わずか5年後にバングラディシュで作り上げたジュート(麻)製のバッグは、欧米や日本の一流ブランドと比べても遜色がなく、高級百貨店の陳列棚に並ぶまでになった。

絵理子さんは小学校の時、誰にも決して屈しない気持ちを持っていたためいじめに遭い、中学では不良少女になったが、柔道を学んで更生した。その後、慶応義塾大学総合政策学部で学び、ワシントンの米州開発銀行でインターンを経験したが、政府の開発支援政策に疑問を持ち、バングラディシュに赴いた。バングラディシュのBRAC大学院修士課程で学んだ後、三井物産ダッカ事務所でインターンをしていた時、ジュートに出会った。2006年にマザーハウスを設立し、現在は代表取締役兼デザイナーを務めると共に、サイクロンの被災地の援助活動も行っている。

一般に起業時代はたいへんなものだが、発展途上国で製造業に従事するのはさらにたいへんなことである。絵理子さんの壮絶な経歴は、2008年に放送されたテレビのドキュメンタリー番組「情熱大陸」と二冊の自伝「裸でも生きる」1、2によって多くの人に理解された。彼女のがむしゃらに歩んできた人生は、非常に刺激的である。多くの人が彼女の人生を孤軍奮闘の過程と考えるかもしれないが、それは彼女が自ら選択したものであった。そして、彼女は途上国でも世界に認められるブランドを作ることができるという信念を最後まで変えることはなかったのだ。たゆまぬ努力を続けて、現在は40人が働いている工場に、ついに彼女と同じようにバングラディシュで世界のブランドを作ろうという信念を持つ人が現れた。このことこそが、絵理子さんが製造業において、第一歩を踏み出したことを証明しているかもしれない。

(C)2011 Motherhouse Co. & Ltd

マザーハウス公式サイト http://www.mother-house.jp/ (日、英)