気仙沼大島の復興プロジェクト | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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東日本大震災の後、被災地で最も不足しているものは何だろう?住宅、エネルギー、飲料水、そして何よりも食糧だ。特に、大陸と橋で結ばれていない離島は深刻である。今回地震の後に、気仙沼市の大島という島は、まさに食糧不足の危機を経験した。そして地震が静まった現在、「みんなの畑プロジェクト」という計画が盛んに進められている。


大島は宮城県の気仙沼湾に位置する、人が住む東北地方最大の離島で、現在約3200人の住民がいる。気仙沼からは、専用の汽船で30分ほどのところにある。大島は観光業が盛んで、国立公園の一部となっており、島にある小さな山、亀山の風景がたいへん美しい。島には大小のホテル・旅館が30以上ある。また、大地震の前は漁業が非常に盛んで、多くの漁民は漁業用の汽船を保有し、船で気仙沼へ買い物に行くのも便利だった。島の人は一般に島内を車で移動しており、自家用車ごとフェリーに乗り、気仙沼に着いたら、また車を運転して買い物をするというのが普通だった。そのため、大島には空いている土地があっても、食品を簡単に買えるために、農業に従事する人は少なかった。

だが、無情な地震が津波を引き起こし、沿岸の家屋を押し流すと同時に、岸辺に停泊していた汽船も災難を免れることはできなかった。大島は突然孤立してしまったのだ。この時住民は、島外での買い物に頼っていてはいけない、島の未来のために農業を発展させなければ!ということに気が付いた。そこで、住民たちとNPO法人、ボランティア、各界の人々の尽力によって、「みんなの畑プロジェクト」が生まれたのである。この計画は、お年寄りでも子供でも女性でも、簡単に耕作できる畑を開拓するというものである。現在、試験畑として、黒潮旅館のご主人、堺さんの畑で、ジャガイモやナスなどの作物が順調に育っている。


5月中旬に筆者は、震災ボランティアとして大島に4日ほど滞在したが、幸運にもこの畑プロジェクトに参加することができ、毎日朝早く畑で農作業を行った。作業の内容は、深くまで伸びた草の根を掘り出すことだった。堺さんによれば、この土地は10年間まったく使用していないとのことだった。このプロジェクトがまだ計画段階の頃、各界の人々が大島に集まり、会議を開き、意見を出し合い、荒れ地を開墾して農作業を行うことになった。大地震の教訓から学び、次の震災に備えるために、非常に短い期間で荒れ地の開墾を決定して実行に移すことができたのである。


今回の大震災で、日本経済は再起不能になると言う人もいるが、今回の地震はむしろ日本が発展する契機になると言う人もいる。大島の人々の意欲と決心を深く感じた筆者は、後者の意見に賛成である。日本の大手新聞各社も、大島のこの食糧自給自足計画を伝えている。震災後の大島は、きっと多くの人々の支持を集めることだろう。

Photo by 秋桜

気仙沼大島ホームページ http://www.k-macs.ne.jp/~oshimahp/