タイでは、英語に次ぐ第二外国語として日本語を採用している中学・高校が多い。
そのなかでも、特に集中的に日本語学習を進める「日本語コース」を持つ高校もたくさんある。
僕が赴任した農村部の学校でも、2011年度から試験的に日本語コースが設けられている。
理想を言えば、将来日本語を使う職に就きたい、或いは言語のプロになりたいと考える意欲ある生徒に日本語を学んでほしい。
でも、現実は必ずしもそうではない。
僕がいた学校では、中学卒業時の成績が最低ラインの生徒に限って、なぜか語学コースに集まっていた。
成績優秀な生徒達は皆、理系コースか普通科に入るらしかった。
語学コースの生徒は、英語と日本語或いは中国語の授業を週6時間ずつ受けるが、勉強嫌いの生徒ばかりなので、ほぼ学級崩壊状態だ。
2学期の終わりになって、それまで一度も顔を出したことのない生徒が落第点を免れるために泣きついてくることもある。
6年間ずっと遊びほうけていた生徒は、最後の最後に必死になって、掃除でも皿洗いでも何でもやって単位を稼ぎ、なんとか卒業していくというのがタイのならわし(?)だ。
僕もタイで働いた2年間、まったくやる気のない生徒たちを相手にしたから、だいぶ忍耐力或いは許容力を身につけることができた。
時間になっても現れない生徒を辛抱強く待ち、遅れてきた生徒の言い訳をそうかそうかと聞いてあげた。
アイスクリームを食べながら教室に入ってくる者には、外で食べてから入れと言い、教室の後ろでギターを弾く者には、授業妨害をすべきではないと優しく諭した。
授業中にイヤホンで音楽を聞いている者には、どんな音楽を聞いているのかと尋ね、絵を描いている者には、とてもよく描けているねと声をかけた。
そして、日本語に関心を持ってもらうために、彼らの興味を引きそうなものはいろいろと試した。
彼らの興味を最も引くことができたのは、やはりアニメと音楽だった。
授業でカラオケもやった。
日本語の授業なのに、なぜか僕がタイ語の歌を歌うはめになったこともあった。
そんなどうしようもないクラスで僕はいつも疲弊していたけれど、なんだかんだ言っても、やつらを憎むことはできなかった。
将来の不安など一切感じさせないくらい、彼らは日々の暮らしを楽しんでいて、いつも屈託のない笑顔を見せるのだった。
彼らを見ていると、将来のために今頑張って勉強すべきだと信じている自分の方が間違っているのではないかとさえ思えた。
実際、タイには文字がろくに読めなくてバイクタクシーをやっている人でも、路上で一本10バーツの焼き鳥を売って生計を立てている人でも、皆ハッピーに暮らしているように見えた。
競争に勝ち抜くことだけが人生の成功ではないのかもしれなかった。