日本語に限らず、ものを教えるうえで大事なことの一つに、到達目標の設定がある。

タイで日本語教師デビューした僕は、1年目、これを過ったことで失敗した。

アルファベットもろくに読めないタイの中学生に、いきなり平仮名を教えようとしたのがそもそもいけなかった。

下手すると、タイ文字だってろくに書けない生徒もいるのだ。

中学1年生が日本語の挨拶をローマ字で書けたら、上出来だと思わなければならない。

最初の授業は、どのクラスも生徒の名前を聞くだけで終わってしまう。

タイ人の名前は、日本人の耳には非常に聞き取りにくいから、何度も言ってもらわなければならない。

名前を何回も聞き返されて、結局全然違う呼び方をされるというのも、彼らには新鮮な体験になるだろう。

以前、「タイ語うんちく」で書いたが、タイ語には日本語にない音がたくさんあるので、日本語の音に慣れた我々が聞いても聞き取れない名前がたくさんある。

例えば、ウーンとアーンとエーンの中間のような名前があるが、それを同じように発音するのも難しいし、仮名表記にも無理がある。

でも日本語のクラスだから、仮名で書く必要があるので、どこかで妥協するしかない。

生徒の名前を無理矢理カタカナで書き表し、それを本人にもかけるようになってもらう。

そうやって、自分の名前をカタカナで書けるようになるのが1年目の目標、というぐらいでいいと思う。

欲張ると失敗する。

平仮名なんて2年目からでいい。

むしろ書けなくてもいい。

字も下手でいい。

なんとか読める字が書けたら上出来だ。

生徒は日本人じゃないのだから、日本語なんて書けなくてもいいのだ。

週に一度の授業で、わけのわからない文字を書かされて、覚えろと言うほうが無茶だ。

日本語で挨拶ができるようになって、日本語で自分の名前が書けるようになる。

それで十分じゃないか。

生徒にとって何より大切なのは、週に一度、日本人教師を通して異文化体験し、視野を広げることなのだ。

タイ語もよくわからない日本人が、一人で一生懸命に授業をし、何かを伝えようとする姿や、異文化、異言語を少しずつ理解し、吸収していく姿を見て、生徒も何かを感じるはずだ。

授業が上手くできなくてもいい。

一生懸命やっている姿を見せるだけで十分だと思う。

無理に日本語の知識を押し付ける必要なんてない。

生徒が日本語を学ばなくてもいい。

教室に来て、日本人とコミュニケーションをとることに意味がある。

だから、下手に高い到達目標を設定しないことが大事だと思う。

生徒が毎回授業に来てくれるだけで十分。

それ以上を望む必要はない。

「今日もわたしの授業に来てくれて、ありがとう」

毎回そう言って授業を始めることができれば、それだけであなたの授業は大成功だ。

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↑タイ文字と日本語のアイウエオをタイ人風に書いてみた。