Adieu Romantique No.604
架空美術展
『 世界の イラストレーション・ アーカイヴ Ⅰ 』
「昭和」の話はちょとお休みして。 架空美術展『世界の イラストレーション・アーカイヴ』 開催。 イラストレーションと言っても、 アート との明確な線引きなどはどこにもありはしない。敢えて(僕の中での) イラストレーションを定義するなら、その時代時代に流行したファッションや風俗、そして空気感を切り取り、雑誌や本の表紙や挿し絵、ポスターなどで(自己の内面を過剰に表現することなく) 軽やか且つグラフィカルにデザインされた「絵や版画」程度のこと。まぁ、それがアートであっても、なくっても。僕が想う 世界のイラストレーションを大まかな 時間軸でアーカイヴ しながら大胆にキュレーションすることに。はてさて、どうなることやら 。
🎨まず最初は。 デザイナー&イラストレーターの源流かな。 19世紀のイギリスの、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ やエドワード・バーン=ジョーンズ らが牽引した芸術運動「ラファエル前派」 の流れで誕生した「アーツ&クラフツ運動」【The Arts & Crafts Movement】 の中心人物だったウィリアム・モリス【William Moris】 (1834~1896)の作品から。
🎨同じく「アーツ&クラフツ運動」 を牽引したウォルター・クレイン【Walter Crane】 (1845~1915)の作品を。
🎨「アーツ&クラフツ運動」に関わり、後にアール・ヌーヴォー を代表するひとりになったスコットランドの建築家であり画家でもあった、チャールズ・レニー・マッキントッシュ【 Charles Rennie Mackintosh】 (1868~1928)。
🎨天才画家グスタフ・クリムト が中心になって1897年から活動がスタートした「ウィーン分離派」【Vienna Secession】 のメンバーのひとり、コロマン・モーザー【Koloman Moser 】 (1868~1918)の作品。もちろんモーザーは単なるイラストレーターではないけど、彼が描いたグループ展のポスターには当時のウィーンがリードしたであろう、ファッショナブルな感覚や、その後に誕生するグラフィック・デザイナーの先鋭的なセンスが溢れている。
🎨こんな時代に、こんなにもファッショナブルなイラストレーションが。遅れてきたウィーン分離派のひとり、マリア・リカルツ=シュトラウス【Maria Likarz-Strauss】 (1893~1971)の作品を。
音楽は美術館で小さく流される雰囲気で。アルノルト・シェーンベルグ【Arnold Schoenberg】 の『月に憑かれたピエロ』【Pierrot Lunaire】 からPart.Ⅰの1『月に酔い』【Mondestrunken】 をピエール・ブーレーズ の演奏で。
🎨 「ウィーン分離派」 の中心、グスタフ・クリムト【Gustav Klimt】 (1862~1918)も展覧会のためのポスターを描いた。
🎨「ウィーン分離派」に所属はしなかったけどクリムト と親交があった エゴン・シーレ【Egon Scille】 (1890~1918)も分離派のポスターを描いているし、数多くのドローイングの中にはイラストレーター的なモダンな作品も。因みに。クリムト もコロマン・モーザー も、このエゴン・シーレ も(彼は28歳の若さで!)、みんな1918年に亡くなっているのは何故なんだろうか とか。
🎨このモダンさ、っていったい何?。100年以上も前の作品とはとても思えないよね。
🎨インドネシアのジャワ島で生まれたオランダの画家であり、「ウィーン分離派」 と繋がっていた ヤン・トーロップ【Jan Toorop】 (1858~1928)の グラフィックな作品を。
🎨 幻想的で幽玄な絵を描いても、どこかグラフィカルだと思えるところがトーロップの魅力。
🎨フェルディナンド・ルードヴィッヒ・グラフ【Ferdinand Ludwig Graf】 (1868~1932)が描いたポスター。
🎨ウィーンの画家フランツ・ヴァツィーク 【 Franz Wacic】 (1883~1938)の作品。
🎨「ウィーン分離派」の少し前、1892年に花開いた「ミュンヘン分離派」【Münchner Secession 】 。そしてその後、1899年に活動を開始した「ベルリン分離派」【 Berliner Secession 】 を含めた総称として、1896年に刊行されたドイツ語圏における世紀末美術の、ある傾向を発信した文芸雑誌「ユーゲント」【Jugend】 から「ユーゲント・シュティール」【Jugendstil 】 と呼ばれた。その雑誌の表紙をいくつか。こういった芸術はヒットラー が台頭してくると共に軒並み「退廃芸術」 として弾圧されていくことに。
🎨この表紙は「ミュンヘン分離派」を代表する画家、フランツ・フォン・シュトック が描いている。
🎨その フランツ・フォン・シュトック 【Franz Von Stuck】 (1863~1928) が描いた「ミュンヘン分離派」 の展覧会ポスターをいくつか。
🎨彼が描いた有名な作品の多くは深く重く、官能的で。イラストレーションとしては括ることができない。
🎨 フランツ・フォン・シュトック に師事した後に 「ミュンヘン分離派」 を離れ、新しい芸術協会 「ファランクス」【PHALANX】 を主宰した ワシリー・カンディンスキー【Wassily Kandinsky】 (1866~1944)が描いた展覧会のポスター。その後、カンディンスキーは抽象画を極めつつ、1919年に ヴァルター・グロビウス がドイツのヴァイマールに創設した芸術学校 「バウハウス」【BAUHAUS】 で教鞭を取ることになる。
🎨続いて。コロマン・モーザー の知古を得て「ウィーン分離派」も「ミュンヘン分離派」も「ベルリン分離派」もすべてを渡り歩いたイラストレーター、ユリウス・クリンガー【Julius Klinger】 ( 1876~1942)の作品を。
🎨19世紀末から20世紀の初め頃にかけて 「ウィーン分離派」も「ベルリン分離派」も「ミュンヘン分離派」もひと括りにして アートやデザインの大きな潮流であった様式「アール・ヌーヴォー」 【 Art nouveau 】 の先駆者であり、現在へと続くイラストレーションの源流とも言えるフランスの画家ジュール・シュレ【 Jules Chéret 】 (1836~1932)の作品を。
🎨「アール・ヌーヴォー」 を代表した画家、 アルフォンス・ミュシャ【Alfons Mucha】 (1860~1939)の作品を。とてもグラフィカルで柔らかな美しさを持ち、現在でも高い人気がある。
🎨同じくあまりにも有名なアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック【Henri De Toulouse-Lautrec】 (1864~1901)の作品。
🎨「黒猫の画家」 と呼ばれたほど猫の絵をたくさん描いたテオフィル・アレクサンドル・スタンラン【 Théophile Alexandre Steinlen】 (1859~1923)。彼の代表作である、喧騒と陶酔のパリを象徴したルドルフ・サリス が創業したカフェ・コンセール『黒猫』【Le Chat Noir】 のポスターから。
同じく『Le Chat Noir』 でよくピアノを弾いていたエリック・サティ【Erik Satie】 の曲を。彼が1888年に作曲した「家具の音楽」 、有名な『ジムノペディ』【Gymnopedies】 は1~7番までの 小曲で構成されていて、1~3番までの『3つのジムノペディ』 が本来のジムノペディであり、それぞれに次のような指示が添えられている。1番:「ゆっくりと苦しみをもって」【Lent et Douloureux】 。2番:「ゆっくりと悲しさをこめて」【Lent et Triste】 。3番:「ゆっくりと厳粛に」【Lent et Grave】 。歌詞は付けられてはいないけど、そこにはサティの深いポエジーが溢れている。曲はその 『3つのジムノペディ』 をアルド・チッコリーニ の演奏で。
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🎨ドイツの画家、フェルディナン・バック【Ferdinand Bac】 (1859~1952)の作品。
🎨イタリア「象徴主義」 の画家チェザーレ・サッカッジ【 Cesare Saccaggi 】 (1868~1934)が描いたポスターを。
🎨 イラストレーションというにはあまりにも不穏でエロティック過ぎるかも、だけど。 絶対に外せないオーブリー・ビアズリー【Aubrey Beardsley】 (1872~1898)の作品も。ビアズリーという人の個人の資質にも拠っていることも含めて、明らかに19世紀末という、その時期特有の影(象徴主義の影響ももちろん受けている)が落ちている。
🎨ヤン・トーロップ やビアズリー の影響を受けたオランダ象徴主義の画家、カレル・ド・ヌレ・ト・バベリッヒ【Carel de Neree tot Babberich】 (1880~1909) の官能的な作品を。
🎨他の潮流とまったく異なる動きだけど。アートや写真、デザイン、イラストレーションを統合して力強く発信された表現「ロシア構成主義」【Construtivism】 (総称としてロシア・アヴァンギャルド と呼ばれることも)を代表したアレクサンドル・ロトチェンコ【Aleksandr Rodchenko】 (1891~1956)が1923年に描いたポスター「これより良いおしゃぶりはない。年をとるまで吸いたくなる」 (何だか分からないけど、何だか面白いよね)。
🎨1910~20年代のパリで。最も華やかに活動した、 セルゲイ・ディアギレフ 率いる 「バレエ・リュス」【Ballets Russes】 (ロシア・バレエ団)の衣装をデザインした画家であり、舞台美術家でもあった レオン・バクスト【Leon Bakst】 (1866~1924)のデザイン画を。
🎨バレエ・リュス を代表するダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキー のための衣装デザイン。美しい。
🎨ヴァランティーヌ・グロス【Valentine Gross】 (1887~1968)もまたニジンスキー に心酔し、バレエ・リュス の踊り手たちをデッサンしたり、ファッション雑誌にイラストを描いたり。1918年には大作家ヴィクトル・ユゴー の曾孫、ジャン・ユゴー と結婚(その時の証人は詩人のジャン・コクトー とエリック・サティ が務めた)、その後はヴァランティーヌ・ユゴー としてアンドレ・ブルトン が率いたシュルレアリスム に参加し、シュルレアリスト たちのミューズ として輝いた。
🎨バレエ・リュス の大スター、タマラ・カルサーヴィナ を描いた作品。
🎨偉大なる詩人、フランシス・ジャム との詩画集『Pomme D'anis』 から。
🎨イラストレーションじゃないけど。アンドレ・ブルトン 、詩人のポール・エリュアール 、その妻、ニッシュ・エリュアール と共に 「自動記述(オートマティスム)」【Automatisme】 という、 思考よりも速く描くという意識下を超えた無意識下による技法と ロートレアモン こと、 イジドール・デュカス の 『マルドロールの歌』 (1869)に登場する 「ミシンと蝙蝠傘が解剖台の上で不意に出会ったように美しい」 という詩句から想を得た、 「デペイズマン」【Depaysement】 と呼ばれる技法によって描かれた シュルレアリスム の作品。
🎨アイルランドの画家、ハリー・クラーク【Harry Clarke】 (1889~1931)の、とても細密な、夢のような作品を。
🎨イギリスの画家、ジョン・オースティン【John Austen】 (1886~1948)。100年以上も前の人なのに。このモダンな感じは。現在でもまったく古さを感じさせないよね。
🎨フランス生まれのイギリスの挿絵画家、エドマンド・デュラック【Edmund Dulac】 (1882~1953)の作品を。
🎨イギリスの女流画家、ジェシー・M・キング【Jessie・ M・ King】 (1875~1949)。女性的な柔らかさが実に魅力的。
🎨ジョン・ユンゲ・ベイトマン【John Yunge Bateman】 (1897~1971)はイギリスのイラストレーター。
🎨キュビズム やロシアの構成主義 の影響を受けたフランスのイラストレーター、アドルフ・ムーロン・カッサンドル【Adlphe Mouron Cassandre】 (1901~1968)が描いたポスター。
🎨アール・ヌーヴォー を引き継ぎ、1930年代まで続いた装飾的な芸術様式アール・デコ【 Art Déco 】 を代表するイラストレーターであり、グラフィック・デザイナーであったポール・コラン【Paul Colin】 (1892~1985)。キュビズム やイタリアの未来派 、ロシアの構成主義 の影響を受けながらパリで花開いたジャズ・エイジ の雰囲気を伝える作品を数多く描いた。
🎨偉大なる詩人であり、映画作家であり、画家でもあった今で言うマルチ・アーティスト、ジャン・コクトー【Jean Cocteau】 (1989~1963)のドローイングを。彼の詩的でスタイリッシュな作品はファッション雑誌「ハーパス・バザー」 にも使われた。
🎨ポール・ポワレ のファッションに影響を受けてファッション・イラストを描いたポール・イリブ【Paul lribe】 (1883~1935)。ココ・シャネル の恋人だったことでも有名。
🎨アールヌーヴォーからアール・デコに移り変わる時代に当時の女性たちのファッションやライフスタイルをテーマにデンマークで活躍した女性画家であり、イラストレーターだったゲルダ・ヴィーグナー【Gerda Wagener】 (1886~1940)。彼女の作品のモデルになっているのは、彼女の夫であったアイナー・ヴィーグナー 。女装をしてモデルになったことがきっかけで女性性に目覚め、世界初の「性別適合手術」 を受けた後、リリー・エルベ と改名した。
🎨日本のイラストレーターの源流であり、「大正ロマン」 を代表する画家、竹久夢二【Yumeji Takehisa】 (1884~1934)の作品を。
🎨北野恒富【Tsunetomi Kitano】 (1880~1947)。官能的で退廃的な、その作品から「画壇の悪魔派」 と呼ばれた。
🎨竹久夢路 や北野恒富 、そしてアール・デコ の影響を受けながら資生堂 のイメージを牽引した日本を代表するイラストレーター、山名文夫【Ayao Yamana】 (1897~1980)の作品。
🎨資生堂の有名な「花椿」 のロゴ・マークも彼の作品。
どこまでも美しくって煌びやかな。 ふぅ~ 。 ため息しか出てこないよね。 架空美術展 『世界の イラストレーション・アーカイヴ 』 は次回へと続く。