Adieu Romantique No.602
『忘れようにも思い出せない。
昭和の子供カルチャー・グレイティスト・ヒッツ』
【お菓子&スイーツ篇】
『珈琲 & 音楽 in 喫茶店』シリーズで昭和を掘っていたら「もっと昭和を」って。そんな気持ちが湧いてきた。なので。自分で自分をカッコよく「昭和ディガー」と呼んでおくことに(どう呼ぼうと勝手だけど、どう呼んでもそれほどカッコいいとは思えないな)。
タイトルは過去、僕のブログ記事でも何度か書いて今でも人気を集めている記事(もちろん。データからの根拠がある訳じゃなく、あくまでも自画自賛なのだけど)「忘れようにも思い出せない。 昭和の子供カルチャー」を踏襲しながら。
前回は【オモチャ・用品篇】を書いたので、今回は【お菓子&スイーツ篇】を。僕のイメージの中にある、昭和の子供たちがリスペクトしたお菓子やなんかを昭和の子供たちの視点、或いは舌点でテキトーにDigしていくことに。
前回同様、若い人には「へぇー、昔はそんなものががあったんだ」程度に。まぁ、今回は現在でも存在しているものが多いので、若い人にも共感してもらえる、かもだ。
「パルナス」というお菓子メーカーのCM。確か。春休みとか冬休みの午前中に「東映動画」が制作したアニメ映画が放映されていた際に流れていたように思う。ワルツの旋律に乗ったメランコリックな世界に当時の子供たちは何を想ったのだろうか。
☕そのようなアニメ映画を見ながら僕は森永のココアを飲んでいたのかも知れない。『狼少年ケン』(これも東映動画のアニメ)の缶入りココア。ほとんど記憶にないけど、このココアには「狼少年ケン」のキャラクターの透明シールがオマケとして付いていて、もうシールが欲しくて、欲しくてココアなんてどーだってよかった、というような。うん、子供の欲望は果てしない。
🍫子供の頃からチョコレートが好きだった(今でも好きだけど)。ウェハースの歯ブラシに小さなチューブ入りチョコを乗せて、歯磨きごっこをするほどに(歯に悪過ぎるだろうよ😬)。因みにウェハース系なら「巻物」型のものも忘れちゃいけない。
🍫昭和の子供たちのチョコレートの最初の一歩は明治製菓のマーブルチョコレートではなかったか。とにかく夏の暑い日でも溶けない、という優れものであった。イメージキャラクターは当時の人気子役の上原ゆかりが務めた。鉄腕アトムのシールが付いてたんだな(僕には覚えがないケド)。
☔不二家のパラソル・チョコレートも懐かしい(デザインを変えて今でも販売されてるのかな)。これは雨の日を楽しく過ごすためのチョコなのかも。
🍫チョコ好きにとって衝撃だったのは、森永製菓の「ハィクラウン」。「日本で いま出ているチョコレートの中で最高級品です」というコピー通り、めったなことでは食べられない高級チョコだった。けれど。「ハィクラウン」すらあまり食べることができないのに、しばらくすると「ハィクラウンゴールド」というさらに上をいく高級チョコが発売されたのだった。チョコ世界のハィブランド。それにしても。「ハィクラウン」のイは小さなィだったんだ。感慨深いな。だけどいったい何て発音するんだろうか。「はぃー⤵️」(いくらちゃんか!)とか「ふぁい」とか…やっぱり読めないや。
🍫これが噂の。最高級の上をいくチョコレート「ハィクラウン・ゴールド」。
🍫映画『小さな恋のメロディ』のダニエル(マークレスター)が「ハィクラウン」の、キラキラ光るNew Versionをオススメしてくれたんだっけ。
🍫森永製菓は高級チョコ路線だけではなく、ボリュームにこだわったチョコも発売した。「エール」【YELL】。作曲家の山本直純が声高らかに謳いあげる。「大きいことはいいことだ」と。そのコピーは子供たちにも響いた。
🍫チョコは続くよ。森永の「ツーユー」。トゥー・ユーではない。そう。子供の世界では「はーぴーばーすでーつーゆー」なのだから。
🍫小森和子の「高原の小枝を大切に」のCMで有名な森永「小枝チョコレート」。イメージ・キャラクターには女優であり、アイドルであった栗田ひろみが起用された。ちょっとお洒落感を出して。女の子をターゲットにしていたような気がするな。
🍫同じく森永のチョコ。60年代のアイコンであったイギリスのモデル、ツィッギーが起用された「チョコフレーク」のデビュー広告。因みにツィッギーのニックネームは「小枝ちゃん」(落語家でタレントの桂小枝は芸名に使った)だったのに「小枝」のCMには出なかった(多分)。
🍫森永のチョコレート「チェッカー」と、当時人気があった吉沢京子、沖雅也、仲雅美が主演したTVドラマ「サボテンとマシュマロ」がタイアップ。当時の僕には「マシュマロ」が何なのか分からなかった。
🍫「チョコフレーク」はツィッギーだけじゃなく海外の俳優を使ってイメージ戦略を果たした。1969年に主演した「ガラスの部屋」のイタリアの俳優レイモンド・ラブロックも。
🍫チョコフレークはでデビューして間もないチャーも起用。「チョコフレークに牛乳をかけるとおいしい朝食になる」というコピーでシリアル的な食べ方と共にライフスタイルが提案された。だけどチャーは「気絶するほど悩ましい」とは言わなかった。
新しい食文化の提案繋がりで。いきなり「オロナミンC」のCMを。オロナミンCと黄卵を混ぜて作る新メニュー「オロナミンセーキ」やミルクで割ったり。もちろん大村崑はオロナミンC meets ウィスキーで一杯。
🍫江崎グリコの「アーモンド・チョコレート」シリーズのイメージ・キャラクターは元・千葉県知事の森田健作。テーマ曲は彼が歌った『ひとつぶの涙』。因みに彼の前には確か近藤正臣が起用されていた。
青春の味と言えば。アメリカからやって来た、スカッとさわやか「コカ・コーラ」だろう。
不二家の「ハートチョコレート」。ハート形のため、男の子は恥ずかしくて自分ではなかなか買えなかった。中学生の時のバレンタインデーに女の子からこのチョコを貰った時はほんとうに嬉しかった。なんせ義理チョコなんて、ない時代だったからね(どや顔になってるやん。どやさ。追悼🙏)。
🍫明治製菓のチョコレートのゴリラの人形が当たるキャンペーンは子供たちの話題を独占した。広告コピーは「おれ、ゴリラ。おれ、景品」。1972年に『通りゃんせ』でデビューし、アイドル的に人気があったフォーク・シンガー、ケメこと佐藤公彦がイメージ・キャラクターに起用された。
🍫同じく明治製菓の「コーヒービート」のプレゼントは女の子向けに、アメリカンな「ビートボックス」が当たるキャンペーンだったけど、何故だかキャッシーが使われた。人気があったんだな、キャッシー(僕にとってキャッシーは関西ローカルの、横山プリンをMCに迎えたTVバラエティー(千里のセルシーホールから生放送された)『プリン&キャッシーのテレビ!テレビ!』なんだけれども)。
🍫さらに明治製菓のチョコレート「alfa」の広告には、とても可愛かった加賀まりこが起用された。大企業の商品に「おもねる」ことのない自由で不思議な表情がとても魅力的だと思う(おいしさを伝えていないよね)。
いやぁ、しかし。チョコレートの話だけで、どんだけ尺を使うのか、と。これじゃぁ、まるで【チョコレート篇】だ。
それじゃぁ、ガムのことも。昭和の子供はガムも大好きだった。ロッテの「マグマ大使ガム」。そしてキャンペーンの景品「パンチマグマ人形」で遊んでるのはマグマ大使本人とガム(役名)だ。因みにマグマ大使と戦ってるのは悪の総統ゴア様が変態したゴアゴンゴンなのかなぁ。
兄貴の影響で。楳図かずおの漫画がガムになった、ハリス「猫目小僧ガム」。包み紙に描かれた4分割された猫目小僧が座っている絵を揃えると貰える立体シールに萌えた。昭和の男の子にとっては「猫目小僧」の立体シールを何枚もっているかがステイタスだったのだな。
↓↓↓「猫目小僧」の立体シール。
📖「猫目小僧」は男の子に人気があったけど、同じ楳図かずおでも「恐怖」や「怪」といった、ほんとに怖い漫画は女の子が読んでたような気がする。基本、男の子の方がビビりなのだ。
📖後に「エコエコアザラク」を描くことになる古賀新一も、怪奇漫画で女の子に人気があった。
📖時々、読んでいた中岡俊哉によるリアルに怖い話。「日本怪奇ゾーン」。これを読んだ後、お風呂で頭を洗う時には後ろに誰かが居そうで目を開けたまま頭を洗っていたんだ。「こんな時にシャンプーハットがあればな
」(前回に紹介済み)。いつもそう思っていた。
女の子仕様のお洒落なカネボウハリスの「スィートガム」。僕は噛んだことがないけど。こんな可愛いパッケージならコレクションしてみたいと思うよね。因みにこのパッケージイラストは少女漫画家、志津陽子先生の作品(女の子たちは漫画家の名前を呼ぶ時には敬意を込めて「先生」と付けていた)。他にもわたなべまさこ先生、本村三四子先生、西谷祥子先生がイラストを描いた。
ハリス「チューイングボン」の、まるで男性グラビア誌「平凡パンチ」の表紙みたいな広告。
これは女の子向けだろう。ロッテのガム「Eve」。「ハィクラウン・ゴールド」のような、或いは化粧品のような、高級感溢れるパッケージが印象的。
😬高級ガムとの落差が激しいけど。昔、駄菓子屋さんにはピンク色のニッキ味の砂糖で絵が描かれた、ただの紙をしがむという駄菓子「ニッキ砂糖紙」というのも並んでいた。体に悪そうだし、何だか戦後間もない頃のひもじい感じが付き纏う。
🍬キャンディではなく、ラムネとも違うような…。何ていうジャンルなのかな明治製菓には「カルミン」や「Mio」があり、カバヤには「ジューC」があった。
「白い果実ミオ♪ 明るい陽差しの中で♬~」というようなCMソングだったかな。
🎂突然だけど。クリスマス・ケーキはと言えばバタークリームのデコレーション・ケーキが主流だったけれど、そんな中で登場したのが雪印のデコレーション・アイスクリームだった。初めて食べた時の、その美味しさときたら。衝撃的だった。
🍨ただの大阪のおかんが、ごくたまに作ってくれたスイーツ、ハウス食品の「シャービック」の味も忘れない。一瞬、ただの大阪のおかんがパティシエに見えた、とか(そんな言葉、まだなかったけどね)。
🍨アイス系ならチューペット(チューチューとも)も定番だった。凍ったチューペットをチューチューしながら、いつまでも吸い続けてると最後にはポリエチレンの味しかしなくなってしまうんだマズっ。
🍹ごくたまに。家族全員で百貨店に出掛けた。そういう時には、子供たちはここぞとばかりに「ジュース、ジュース、ジュースが飲みたーい!」とダダをこねた。するってぇーと、親が「売ってはったら買うたる」と答え、子供は「そこに売ってはる」とすかさずジュースの自動販売機を指指すのであった。お後がよろしいよーで。因みにこの親子のやり取りは大好きだった桂枝雀が得意とした上方落語の「お初天神」からの引用。
🍹いろんな味が楽しめた粉末ジュースは、ジュースを作らず、そのまま舐めて舌をカラフルに染めていた。うん。楽しみ方は自由だ。
🍹何故だか。近所のお米屋さんで取り扱っていたジュース「プラッシー」。瓶の底にはいつも濃密な粕が沈殿するのであった。