Adieu Romantique No.593
『珈琲 & 音楽 in 喫茶店 Ⅸ』
『珈琲 & 音楽 in 喫茶店』シリーズの9回目。
昭和の香りが濃厚に沈殿し、まるで時間が止まってしまったような喫茶店で(扉には鈴が付いて、扉を開くとチリンチリンって。それは昭和へと繋がる音なのかも)。窓際の席に座って珈琲を飲みながら、そこで流れていて欲しいと思う、謂わばコーヒー・ミュージックとでも言えそうな音楽(僕にとってそれは昭和の、日本のロックやフォーク、歌謡曲を指している)を聴きながら。昭和にどっぷりと浸り、妄想に耽けったり、鞄の中から本を取り出してパラパラと頁を捲ったり。時折、窓の外に見える風景や窓の外を通り過ぎる人をぼんやり眺めて過ごす、そんなほっこりとした時間のために。
それぞれのイメージの中にある「昭和」が残像のように立ち現れてくれればいいなって思う。
と、思っていた矢先にアメブロのシステム・トラブルでブログの編集画面から直接、You Tubeにアクセスして画像や音楽が検索できなくなっている🖕。そうなると一度、You TubeからURLをコピーして貼り付ける必要があり、ブログに貼り付けたときに、そのURLにいろんなものが埋め込まれているせいでデータが異常に膨らむため予定していた画像や音楽を減らさないといけなくなってしまっている。そういうことで、取り敢えず復旧するまでは(4年前にも同じことがあり復旧まで1ヶ月半くらいを要している)、それなりに編集するしかない
☕ 気持ちを切り替えて本題へ。今の季節には雨もよく降るよね☔。レトロな喫茶店で珈琲を飲みながら。窓越しに降る雨や傘をさして歩く人たちをぼんやりと眺めるのも、それはそれでとてもいい時間だと思うな。
![うーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/069.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/07/texascuba69/12/9b/j/o0739041515429790144.jpg?caw=800)
雨が降る日に流れてきてほしい曲を。鬱陶しい雨の音が不思議とロマンティークに響いてくるような、そんなマジカルな曲。山下達郎が中心になって結成したシュガーベイブの、1975年にリリースされた唯一のオリジナル・アルバム『SONGS』から。フィル・スペクター風の素敵な曲『雨は手のひらにいっぱい』。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/25/ef/j/o0554055415429894683.jpg?caw=800)
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![えー?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/070.png)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240423/13/texascuba69/e6/64/j/o0400040015429502420.jpg?caw=800)
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/08/texascuba69/dc/c0/j/o0778100015429798498.jpg?caw=800)
🎨「平凡パンチ」と言えば、大橋歩でしょ、ということで。1964年の創刊号からIVYリーガスな表紙を手掛けたイラストレーター、大橋歩のいくつかの作品を。雰囲気あるよね。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/25/69/j/o0236033815429894688.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/d6/ec/j/o0247035115429894694.jpg?caw=800)
その頃に活躍した、パンチが効いた女性も。
とにかく頭が良さそうで、ユーモアがあって、個性的で美しくて、いろんな意味でパンチがあった松岡きっこ【Kikko Matsuoka 】。『巨泉×前武 ゲバゲバ90分』とか、月曜日の『11PM』とか。気が付いたらいつもTVに出ていた。
彼女は1969年にリリースされたアルバム『円楽のプレイボーイ講座12章』のカヴァーにも登場している。アルバムに流れるラウンジ・ミュージックは前田憲男とプレイボーイズ。プレイボーイとかプレイガールとか。そういう感じが昭和っぽくてどこまでも甘酸っぱい香りがするんだな。
それじゃぁ。三遊亭円楽が語る「プレイボーイになるための心構え」の、その第1章を。
元ピチカート・ファイヴの小西康陽はピチカート時代に『playboy & playgirl』というアルバムをリリースしてるし、2019年にはこのアルバムをリスペクトし、自ら小西康陽とプレイボーイズを立ち上げ、元ザ・スパイダースの井上順を引っ張りだして『井上順のプレイボーイ講座12章』を制作・リリースした。流れる音楽にはジャズ・ギタリスト、田辺充邦が編曲と演奏で全面参加。ナレーション・テキストは昭和の事象に造詣が深い漫談家の寒空はだかによる書き下ろし。ジャケットデザインと写真は吉永祐介が手掛け、そのジャケットのモデルにはサイバージャパンダンサーズのJUNONを。小西康陽ならではのセンスで昭和を再構築してみせた。
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
小森のおばちゃまこと、小森和子のお言葉を引用して。昭和っぽく「モア・ベターよ」ということで、さらにパンチのある曲も。それにしても「モア・ベター」とか「パンチがある」ってどうよ。
1973年に加納秀人を中心に結成された(1976年に解散)バンド、外道(げどう)のLiveの模様を収めたファースト・アルバム(プロデュースはミッキー・カーチス)から『ビュンビュン』を。因みにバンド名の由来は加納秀人が警官に「この外道 !」と叫ばれたことから。着物をデザインしたような衣装や化粧など、ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスを彷彿とさせるようなグラマラスなイメージが実に魅力的。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/bc/f8/j/o0554055415429894699.jpg?caw=800)
バンド名をフランク・ザッパの1966年のアルバム『フリーク・アウト!』の収録曲『Who Are The Brain Police?』から取り、パンタこと中村治雄とトシこと石塚俊明によって1970年に結成されたロック・バンド、頭脳警察。1972年にリリースされたセカンド・アルバムから『コミック雑誌なんかいらない』。因みに。1986年には内田裕也主演の映画のタイトルに使用されている。
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
1973年にリリースされた俳優、左とん平のソウルフルな曲『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』。プロデュースはミッキー・カーティス。松木恒秀(g)、岡沢章(b)、村上'ポンタ'秀一、深町純(key)など、豪華なメンバーがバックを固めた。
内田裕也とザ・フラワーズの、1969年にリリースされたシングル『ラスト・チャンス』。紅一点のヴォーカリスト、麻生レミの個性を含め、その時代を真空パックしたような、歌謡曲とロックを繋いだ(GSとも違うのだ)その音楽はとても魅力的だと思うのだけど。
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/e0/8f/j/o0557055015429894708.jpg?caw=800)
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
とても昭和的な話を。1969年のTV番組「ヤング720」という番組に内田裕也とザ・フラワーズの麻生レミ、そしてエイプリル・フールというバンドに在籍中だった細野晴臣が出演した際、「これからの抱負は?」というインタビュアーの問いに対して細野晴臣が「来年は日本語とロックを融合(結納)する」(はっぴいえんどの結成を念頭に置いていた)と答えたことに端を発して、以後、雑誌『新宿プレイマップ』(1970年10月号)誌上での「ニューロック座談会」や、現在のミュージックマガジンの前身である『ニューミュージック・マガジン』(1971年5月号)誌上での「日本のロック状況はどこまで来たか」(参加者:福田一郎、中村とうよう、ミッキー・カーチス、内田裕也、大滝詠一、松本隆など)という対談の中で、ロックを日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかが「議論」された、所謂「日本語ロック論争」について。
📖「日本のロック状況はどこまで来たか」を特集した「ニューミュージック・マガジン」の1971年5月号。表紙はデラニー&ボニーのイラストレーションが描かれている。
「日本語はロックのメロディーに乗らない」。「海外で成功するためには英語は不可欠だ」という内田裕也を中心とした英語ロック派と、はっぴいえんど(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂が在籍)を中心とした日本語ロック派の対立になった、という当時のロック事情がよく分かる動きなのだけど、当時の『ニューミュージック・マガジン』誌上の年間ロック賞では、ほとんどが日本語で歌っているアーティストやバンドが選ばれており、そういった状況に対してフラストレーションが溜まった内田裕也らが、ただクレームを付けただけ、というようなものだったらしい。
この対談の中で内田裕也は「(はっぴいえんどの)「春よ来い」にしたって、よほど注意して聞かないと言ってることがわからない。歌詞とメロディとリズムのバランスが悪く、日本語とロックの結びつきに成功しているとは思わない」と指摘をしている一方で、「去年の『ニューミュージック・マガジン』の日本のロックの1位が岡林信康で、今年ははっぴいえんど。そんなにURC(当時の、フォーク系のインディーレーベル)のレコードがそんなにいいのか? 僕たちだって一生懸命やってるんだ、と言いたくなる」と本音を吐いている。それに対して。(はっぴいえんどの)松本隆はいたってクールに、ロックに日本語の歌詞を乗せることには未だ成功していないことをあっさりと認めたうえで、内田裕也がプロデュースしたフラワー・トラベリン・バンドやザ・モップスについてどう思うのか?」といった内田裕也からの挑発に近い問いに対しても「僕たちは人のバンドが英語で歌おうと日本語で歌おうと構わないと思うし、音楽についても趣味の問題だ」と全く意に介さず、と言った発言をしており、両者の間には明確な温度差があったようだ。
今の時代から見れば。「そんなことで一流ミュージシャン同士が討論するというような時代があったのか」ということであり、ある意味、あまりにも昭和的で牧歌的な話であると感じてしまう。
まぁ、この双方の発言を聞く限りは、どう考えても松本隆の意見が正しいとしか言いようがないけど、内田裕也と言えば1983年には「外タレばかり呼んで、もっと日本のアーティストを使え!」という、無茶ぶりな内田哲学のもと、ウドー音楽事務所に刃物を持って殴り込みに行った事件があったり。或る意味、無茶苦茶なんだけど、そういうことを全部ひっくるめてつくづく昭和な人だな、って思う。
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240424/13/texascuba69/92/a9/j/o0300026115429894714.jpg?caw=800)
![えー?](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/070.png)
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