Adieu Romantique No.529
『Reggae / Vibes Up ! 【日本篇】 』
わぁーい😀夏だ。レゲエだ、という訳で。
書き出しは前回とまったく同じ。しかもその内容も同じように、僕の大好物であるレゲエを時代も何も関係なくテキトーにセレクトする記事に。
とは言っても。まったく同じじゃ芸がないので。今回は その日本篇ということで。
ますはレゲエが世界に拡がった変遷を少し。そもそも1972~73年頃に。欧米の、音楽を創る側が(もちろん一部の人たちだ) レゲエにまず敏感に反応した。有名なものを拾い上げていくと、まず ポール・サイモン が1972年にリリースしたファースト・ソロ・アルバムの中の 『母と子の絆』【 Mother and Child Reunion】 、1972年に録音された レッド・ツェッペリン のアルバム 『聖なる館』【Houses of the Holy】 の中の1曲 『デジャ・メイク・ハー』【D'yer Mak'er】 (夫婦喧嘩の話の中で「お前がそうさせたのか?」という意味になる「Did you make her ?」を「D'yer mak'er?」と綴り、ジャメイカと読ませ、その音楽もレゲエ風に仕上げたというジョークだったとも) 。ウェストコースト文化の終焉を告げたイーグルス の名曲 『Hotel California』 (1976年録音) のカッティングもレゲエじゃないかと囁かれたり。そしてさらに (時代は前後するけど) 1974年に録音されたエリック・クラプトン のアルバム 『461 Ocean Boulevard』 に収められた ボブ・マーリー の曲のカヴァー 『I Shot the Sheriff』 。そしてこの曲こそが(レゲエには聴こえてこないとしても) 欧米でのレゲエ人気に火をつけることになり、ボブ・マーリーの名前を世に知らせる原動力になった。
もっとも。僕の知る限りでは ビートルズ の1968年の通称 『ホワイトアルバム』 に収められていた 『オブ・ラ・ディ, オブ・ラ・ダ』【Ob-La-Di, Ob-La-Da】 こそが、ジャマイカン以外で (レゲエというよりは スカやカリプソなどが混ざり合った汎カリブ海音楽として。また スカの人気シンガーであり、当時 『 Israelites』 のヒットを放った デズモンド・デッカー のことを歌っていることも含めて) レゲエを最初に意識した曲 だったんじゃないかと思っている。さすが ポール 、さすがビートルズだ。
日本においては。欧米から少し遅れるものの欧米と同じように耳の早い音楽を創る側がレゲエに触発される。日本人による最初のレゲエ(と僕は思ってる) 、 加藤和彦 率いる サディスティック・ミカ・バンド の1973年のファースト・アルバムの中の1曲 『恋のミルキー・ウェイ』 。 伝説の キャロル 解散後、1975年にメンバーの中で最初にリリースされた、ウッちゃんこと、 内海利勝 のソロ・アルバム 『GEMINI Part.1』 (イギリスで初めてのレゲエ・グループと言われた シマロンズ【Cimarons】 とのコラボレーション) 。 続いて 豊田勇造 が 1980年にボブ・マーリーのスタジオ 「Tuff Gong」 でジャマイカのミュージシャンと録音した本気のレゲエ・アルバム (因みにギターは アール”チナー”スミス だった) 『血を越えて愛し合えたら』 。 日本が誇るパーカッショニストであり、サルサのグループ、 オルケスタ・デル・ソル (オルケスタ・デラ・ルスの前身) で活躍した ペッカー の1980年のアルバム 『パワー』 ( 因みにこのアルバムには ウェイラーズ のメンバーや、ウェイラーズのコーラス隊 アイスリーズ 、 スライ&ロビー 、僕の大好きなピアニカ奏者でありダブ・オーガナイザーでもある オーガスタス・パブロ が参加している) 。 1978年に ジミー・クリフ の 『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』 をシングルでリリースしたのはよかったけど 『悲しい色やねん』 の大ヒットの後にちょっとお洒落なレゲエに流れてしまった (タイトルも 『レゲエであの娘を寝かせたら』 だなんて) 上田正樹 、そして1984年には日本で初めての本格的なレゲエ・バンド、 P.J.&クールラニングス らがレゲエ初期の流れを創っていった。
だけど。日本という国のポピュラー・ミュージックは、いつも書いているようにレゲエでもCity PopでもR&Bでも何でも。基本、海外の音楽の影響を受けながら、例えその音楽的意匠をまるまる借りた音楽だったとしても結果的にはすべて日本のオリジナルな音楽になってしまうということ。それはそれで面白いし、何の問題もない(日本の音楽のオリジナリティは往々にして抒情性やロマンティシズムの方向に進むような気はするけどな) 。それが 日本のポピュラー・ミュージックなのだから。
そういうことで。今回も理屈抜き。少し古めの日本のレゲエもジャパレゲもひっくるめて、大好きな日本のレゲエをテキトーにセレクトしていくね。
日本の夏に。日本のレゲエを聴いて
Vibes Up ! 👍️
(但し。最近は暑過ぎるので🥵、時々はCool Downも必要か、と)
Asuka Ando のジリジリした🌞気だるさが付き纏う名曲『Jiri Jiri』 から始めよう。PVがベティちゃん こと、ベティ・ブープ だというのもイカしてる。
フィッシュマンズ の1996年リリースの名盤『空中キャンプ』 から『ナイトクルージング』 。フワフワと浮遊するこの感じは日本流アンビエントDUBの源流かと。もしも。リーダーの佐藤伸治 が亡くなっていなかったら(1999年没。まだ33歳だった)、現在の日本のポップスの有り様はもう少し違うものになっていたかも知れない🤔。
同じくフィッシュマンズ の、1991年リリースのデビュー・アルバム『Chappie , Don't Cry』 から『チャンス』 。
1983年にリリースされたジョー山中 のアルバム『レゲエ・バイブレーションⅡ~My Reggae Music』 から『Dance To The Reggae』 。本格的にレゲエに取り組んだ前作からの続編。
下田法晴 率いるサイレント・ポエツ【Silents Poets】 の最もレゲエ志向が強いデビュー・ミニ・アルバム『Sence At This Moment』 から『Poetry In The Echo』 を。
日本におけるレゲエ/DUBを切り開いたパイオニア。小玉和文 (現:こだま和文)と屋敷豪太 が中心になり1982年に結成されたミュート・ビート【Mute Beat】 の、過去の12inchシングルをまとめた1987年の事実上のファースト・アルバム『Still Echo』 からタイトル曲を。日本のレゲエを語る上で絶対に外すことができない。
ボノボ【bonobos】 の個性とそのレゲエ志向が最良の形で表現された2004年のシングル『あの言葉、あの光』 を。
日本のレゲエ震源地と言われる泉州・岸和田生まれの775 のアルバム『くのいち』 からの人気曲『よってらっしゃい』 。都会に近い、混雑気味の海岸で聴くのが似合うよね。 所謂、「ジャパレゲ」 を牽引してきた女性シンガー、プシン【PUSHIM】 の2006年リリースのアルバム『Sing A Song…Lighter ! 』 からの名曲『I Play』 (僕には東日本大震災の時に人々の心に寄り添う歌として響いてきた)。
同じくPUSHIM が中心になり、Moomin やPAPA U-Gee 、RYO the SKYWALKER 、FIREBALL ら当時の人気レゲエ・シンガーたちが歌を繋いでいくスタイルのラバダブ【rub-a-dub】 による『Oasis』 。
日本のレゲエじゃないけど。フィリピン系アメリカ人エリ・マック【Eli Mac】 の『Bubstop Music』 。彼女の歌は何だか日本のレゲエっぽくて結構、好きだったんだ。 元ラヴ・タンバリンズ のEllie と、おしゃれ番長でありDJレジェンドである、藤原ヒロシ のEli + Hiroshi のレゲエ/DUBな曲『Trouble Woman In Love』【K.U.D.O remix】 (元Melon のメンバーだったプリンス工藤 のリミックス)。こういったHi-Fiトロピカル&リゾート なサウンドは日本ならでは。そういうの、好きなんだなぁ 。
日本じゃないけど、レゲエのMixtureな魅力を。ウルグアイ発のレゲエ(+クンビア) 。アリカ こと、アリシア・ダル・モンテ・カンプザーノ (1977~)率いるアリカ&ヌエヴァ・アリアンザ【Alika & Nueva Alianza】 の『El Rugido Del Leon』 。サウンドもカッコいいし、スペイン語で歌われる感じがとにかく面白い。 もう1曲、レゲエの雑食な魅力を。ナイジェリアmeets America なレゲエ。ナイジャ・ポップ 界の大スター、Wizkid とアブストラクト・ソウルのディーヴァ、H.E.R. による蕩けそうに甘~く緩やかな曲『Smile』 で締め括ろう。 Irie !
今回も。みなさんが楽しめて、(ほんと暑過ぎるので🥵) ほどほどにVibesを上げてもらえたら何よりです。
それじゃぁ、今回はこの辺で。
アデュー・ロマンティーク