Adieu Romantique No.537
『アンディ・ウォーホル・リターンズ Ⅱ』
最初にウォーホルをイメージさせる音楽を。デヴィッド・ボウイ【David Bowie】の1971年のアルバム『Hunky Dory』から。(ウォーホルの作品じゃないけど)
魅力的なカヴァーとウォーホルのことを歌った、そのまんまなタイトルの曲『Andy Warhol』。
この曲でボウイは、ウォーホルのファンであったにも関わらず「見た目が滑稽なアンディ・ウォーホルの写真を壁に掛ける」と歌い、ウォーホルはその歌について(気分を害したのか、あまり興味が湧かなかったのか)「あぁ、まぁ、いいんじゃない」と答えたという。そして。その25年後、ボウイはアーティスト、ジュリアン・シュナーベルが撮ったジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画『バスキア』【Basquiat】でウォーホル役を演じることになる(それはそれは見た目もカッコいいウォーホルだったな)。
いったい、アンディ・ウォーホルとは誰か?
リチャード・アヴェドンが撮ったウォーホルのポートレイト。
前回の記事と同じく、僕が知ってる(はずの)ウォーホルのことを書きながら、僕が知らない(であろう)ウォーホルのことを発見し、伝えることができればと思い、ウォーホルに関わる話をツラツラ書き並べようと思う。だけどウォーホルって。(これも前回に書いたけど)書けば書くほど、僕が知ってる(はずの)ウォーホルも、そして僕が知らない(であろう)ウォーホルのことも、どんどん遠くへ去っていってしまっているような気がするんだ。
でも。まぁ、いいや。もしかするとそれこそがウォーホルなのかも知れないと思いながら。今回もまたウォーホルを探すイメージの旅に出かけよう。
まずは。ウォーホルとは誰だ?ということを考える時に、とても重要な意味を持つ映画について。
📷ウォーホルは1963年から1968年の間にファクトリーで60作を超えるアンダーグラウンド映画を制作した。だけどウォーホルは2つの別々のシーンを撮ったフィルムを1本の映画として繋ぎ合わせたりするだけで、後から細かな映画的編集を加えなかったし、あくまでもただそこにあるものにカメラを向けて、ただそこにあるものをあるがままに撮ったという事実を遺しただけだ(その手法自体が新しかったんだけどね)。
本質的には同じであるにも関わらず、ささいな差異にこだわったウォーホルの映画では、本質的に同じであることのみならず細部まで全く正確に同じであることを目指して制作されたのであり、その退屈極まりない映画こそが、華やかなシルクスクリーン作品と対を成すウォーホルの、もうひとつのアートであった。Ciao!アヴァンギャルド!!
眠る男を6時間、ただ撮り続けた1963年の作品『Sleep』。
当時のニューヨークの象徴であったエンパイア・ステートビルを8時間に渡り、定点カメラでただ撮り続けた1964年の作品『エンパイア』【Empire】。もちろんアイデアはウォーホル。そして撮影は同じくアンダーグラウンドの映画作家ジョナス・メカス。僕は昔、ウォーホルの展覧会で15分ほど見ただけだけど、この映画を最初から最後まで観た人はいるのかなぁ。因みに。こういった作品は今で言う「アンビエント映像」の源流になるような気がする。
64~66年に。ファクトリーのスーパースター候補たちを、まるでウォーホルがコレクションするようにスクリーンテストとしてカタログ的に映し出した『スクリーン・テスト』シリーズ。ウォーホルの資質がよく表れていると思うな。
最も輝いていた時期のイーディ・セジウィックを主役に置いた一連の作品『LUPE』や『Beauty #2』、『Poor Little Rich Girl』では彼女の可愛らしさ、チャーミングさ、セクシーさが溢れている。
1966年に一般に公開されヒットした、ウォーホルとポール・モリッシーの共同監督による『チェルシー・ガールズ』【Chelsea Girls】。(時代はバラバラだけど)ウォーホルを始め、アレン・ギンズバーグ、 ウィリアム・バロウズ、ボブ・ディラン、サム・シェパード、ヴァージル・トムソン、ジム・モリソン、ジョン・レノン、ジャニス・ジョプリン、パティ・スミスとロバート・メイプルソープなどの有名人が長期滞在して暮らしたニューヨークの伝統ある有名ホテル「チェルシー」を舞台に、その各部屋で繰り広げられる、女性たちの喜怒哀楽を映し出したセミ・ドキュメンタリー作品。
1967年にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムに参加したニコ【Nico】が同年、ヴェルヴェッツのメンバーや、後にウェストコースト・ロックの中核になるジャクソン・ブラウンらにサポートされて制作・リリースしたソロ・アルバム、その名も『チェルシー・ガール』【Chelsea Girl】から『The Fairest Of The Seasons』を。
ファクトリーのスーパースターのひとり、ビヴァとエリック・エマーソンやジョー・ダレッサンドロ、テイラー・ミードが出演した1967年の作品『ロンサム・カウボーイ』【Lonesome Cowboy】。
壁面がすべてが銀色のアルミ・ホイールで覆われていたファクトリー【Factory】はシルバー・ファクトリーとも呼ばれた。その内装にも関わったビリー・ネームが撮ったこの写真ではウォーホルが『Brillo Box』を抱えている。
音楽を。1978年後半にサーストン・ムーアとキム・ゴードンを中心に結成された、ヴェルヴェッツ・チルドレンとも言えるバンド、ソニック・ユース【Sonic Youth】の1988年の名盤『Daydream Nation』から『Teen Age Riot』。因みに有名なカヴァー・アートはウォーホルではなく、現代最高のアーティストのひとり、ゲルハルト・リヒターが撮った写真が使われた。
「ファクトリー」に集まった、とても個性的な人たちを紹介しておこう。
ジェラルド・マランガ【Gerard Malanga】。ウォーホルの側近中の側近。ウォーホルのシルクスクリーンの制作助手を務めながら、映画やショーに出演。60年代を通じて、ウォーホルとは家族同然の付き合いがあった。
ビリー・ネーム【Billy Name】。ウォーホルに指名され、ファクトリーの写真担当に任命された。けれど。写真よりも何よりも、ファクトリーの壁や天井を銀のアルミ・ホイールで埋め尽くすアイデアを出したのが彼であった。因みにビリー・ネームは初期のファクトリーを訪れたジュディ・ガーランドと会ってひどく感激したらしい(ライザ・ミネリのお母様であり、1939年の名作『オズの魔法使い』に主演した大スターである)。
若き前衛アーティストだったオノ・ヨーコもファクトリーに出入りしていた。
ポール・モリッシー【Paul Morrissey】。ウォーホル映画の制作責任者であり、ファクトリーの初期にたむろしていたフリークスたちを追放した。
ウォーホルのミューズであり、ファクトリーのスーパー・スターであり、60年代のアイコンでもあったイーディ・セジウィック【Edie Sedgwick】。彼女は圧倒的な魅力でウォーホルを虜にしたけれど、ファクトリーに出入りしていたボブ・ディランと恋に落ち、次第にファクトリーから距離を置くようになる。その後、ディランと破局を迎えた後、ドラッグに溺れ、僅か28歳の生涯を終える。
1965年に雑誌「VOGUE」に掲載された、エンゾ・セレリオが撮ったイーディの有名な写真。
1967年に撮り始め、イーディの死後、1972年に完成した作品『チャオ!マンハッタン』【Ciao! Manhattan】。60年代のモノクロ映像を織り交ぜながら、イーディ・セジウィックのプラスチックで絶望的な人生をただ淡々と追っている。
彼女の短い生涯を追った、2006年の映画『ファクトリー・ガール』【Factory Girl】はイーディの短い生涯をドラマ化した伝記映画。先の『チャオ!マンハッタン』と較べてしまうと、インパクトは弱いし、ドラマ、ドラマし過ぎてるのかなと思う。因みに、この映画についてルー・リードは「これまで見た作品の中で最悪の映画。金儲けのための作品」と言い、ボブ・ディランは仮名で登場するものの、イーディを死に追いやったのがまるでディランだったかのような演出に対して上映中止を求めたという。ウォーホルが創った映画じゃないし、「あぁ、まぁ、これはこれでいいんじゃない」。
ウォーホルがルー・リードに「イーディって。ファム・ファタールだと思わないかい?そんなイメージの曲を書いてよ」と軽く言われ、ルーが書いた曲『ファム・ファタール』【Femme Fatale】はヴェルヴェッツのファースト・アルバムに収められ、そしてニコが歌った。
そしてボブ・ディラン【Bob Dylan】が1966年にリリースした歴史的アルバム『Blonde On Blonde』から、当時、付き合っていたイーディのことを歌った『ヒョウ皮のふちなし帽』【Leopard-Skin Pill-Box Hat】を。
ファクトリーを離れたイーディに対する報復として、ウォーホルは女流階級出身のイーディに対して労働者階級出身のイングリッド・スーパースター【Ingrid Superstar】をファクトリーの次のスーパースターに仕立て上げることで(名前まで!)イーディに最高の屈辱を味合わせたかったという。結果、お世辞にも美人とは言えないし、イーディに較べて華がないイングリットにも同時に屈辱を味合わせたのかも知れないと思うと、ウォーホルって、人の心を弄ぶ、人間なのかなと思ったり。
ジョー・ダレッサンドロ【Joe Dallesandro】。ファクトリーが生んだイケメン俳優はハリウッドにも進出し、セルジュ・ゲンスブールが1976年に撮った、ジェーン・バーキン主演の作品『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』にも主演した。
嘘つきでワガママだった、イケメンのエリック・エマーソン【Eric Emerson】。
ファクトリーの最初のスーパースター。良家のお嬢様で、とてもワガママだったベイビー・ジェーン・ホルツァー【Baby Jane Holzer】は、「VOGUE」のモデルでもあった。因みに彼女は先のエリック・エマーソンとの子供を産んでいる。
アメリカン・ニューシネマの傑作『真夜中のカーボーイ』にも出演したヴィヴァ【Viva】(写真左)と、フランス生まれでサルヴァドール・ダリとも親しかったウルトラ・ヴァイオレット【Ultra Violet】。
ウォーホル映画の常連の女優だったインターナショナル・ヴェルヴェット【International Velvet】ことスーザン・ボトムリー【Susan Bottomly】とニコ。
ゲイでドラッグ中毒。辛辣なユーモア・センスで、ウォーホルのお気に入りであったオンディーヌ【Ondine】。
📷美しきトランスジェンダー、キャンディ・ダーリング【Candy Darling】。
アルバム・カヴァーにキャンディ・ダーリングの写真が使われた、アントニー&ザ・ジョンソンズ【Antony&The Johnsons】の2005年のアルバム『I Am The Bird Now』から。崇高なほど美しい曲『Hope There's Someone』を。
ビジュアル・アーティストだったビビ・ハンセン【Bibbe Hansen】の写真はイーディとの2ショット。彼女はミクスチャー・ロックの大スター、ベックの実の母親である。
全然、似合ってないけど、ウサギを抱くウォーホル。左の女性はVue Princesse、ウォーホルの後ろはイーディ。そして、前でモルモットを抱いているのがカトリーヌ・ドヌーブ。
後にニューカラーという写真を代表することになるスティーヴン・ショア【Stephen Shore】は若くしてファクトリーに出入りしてファクトリーに集まる人たちや、その雰囲気を撮りまくった。
ウォーホルとヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバー。左からニコ、ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのモーリン・タッカー、ルー・リード、スターリング・モリソン、ジョン・ケール。
そして70年代の中頃くらいからファクトリーに出入りした(もうその頃のファクトリーはシルバー・ファクトリーではなかったけど)、デボラ・ハリー。彼女が着ている「BAD」Tシャツが可愛い。
多くの人から羨望の眼差しで見られ続けてきたウォーホルにとって、逆に憧れであった大作家トルーマン・カポーティもファクトリーに出入りしていた。
カポーティのシルク・スクリーン。ウォーホルは有名人が大好きで、数多くの人物のポートレイトをシルク・スクリーンで制作した。
ジュディ・ガーランドのシルク・スクリーン。
ジュディ・ガーランドの娘、ライザ・ミネリのシルク・スクリーン。
B.B.こと、ブリジット・バルドーのシルク・スクリーン。
ウォーホルはデニス・ホッパーの狂気を宿した目に魅力を感じていた。シルクスクリーンによるホッパーのポートレイトを。
💰️1970年代の初め頃から(1968年にヴァレリー・ソラナスによって狙撃され一命を取り留めてからかも)。ウォーホルは、ほとんどセレブとしか交遊関係を持たなくなり、セレブからのオーダーによってシルク・スクリーンを制作するようになった。注文肖像画の基準価格は、40インチの正方形パネル1点で2万5000ドル、2点セットで4万ドルだったという。
そして最後は。ウォーホルの死後、90年にヴェルヴェッツの盟友、ルー・リードとジョン・ケールがウォーホルに捧げたアルバム『Songs For Drella』(ドレラとはドラキュラとシンデレラを合成した、ウォーホルのニックネーム)からの曲で締め括ろうと思ったけど。あまりドラマチックに終わりたくなくなったので急に違う曲に。ヴェルヴェッツのサード・アルバムの最後を飾った曲『Afterhours』。可愛らし過ぎてルー・リードが「自分では歌えない」と言い、モーリン・タッカーに歌わせた曲(モーリンは初めて歌った時に緊張で震えたらしい)。フワフワしていて、消え入りそうなほど繊細で…。何故だか、今回のウォーホルの記事の最後に相応しいと思えた。
大量生産、大量消費を背景にして生み出されたアンディ・ウォーホルの作品が、今の時代の価値と(そう。このSDGsの時代と)まったく合っていないにも関わらず、違和感なく受け入れられ続けるのは何故なんだろうか?ウォーホルのことを考え始めると、とにかくそんな風な疑問ばかり湧いてくるんだ。
ウォーホルを摑まえて。そう。アンディ・ウォーホルのことを書いてきて思ったこと。ウォーホルを掴まえたいと思えば思うほど、決して掴まえることができない、そのアンビヴァレンツが、そしてそれを追いかけたいと思うことから生まれる「中毒性」こそがウォーホルの最大の魅力なんじゃないかと、分かった風に終わることにしよう。
それじゃぁ、この辺で。
アデュー・ロマンティーク