Romantique Issue No.0462 音楽で巡るロマンティークの旅【フランス編④】 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

フランス salut  

僕のブログ『アデュー・ロマンティーク』へ、ようこそ。

 

『音楽で巡るロマンティークの旅』【フランス編】の4回目の記事。前回は1960年代のパリを中心に流行した、華やかでスタイリッシュで可愛い音楽「イェ・イェ」についてざぁーと書いた訳けど。今回はその対極に位置するような、芸術性や実験性が強く、商業主義から離れた、とても自由な音楽のこと。言い換えるなら、それはある意味、アヴァンギャルド【Avant-Garde】な音楽と言えるかも知れないうーん

 

フランス 若い頃から「ボヘミアン精神」を持ち、まるで「トルバドゥール(吟遊詩人)」のように音楽と共に世界を放浪してきた男、ピエール・バルー【Pierre Barouh】(1934~2016)。決してアヴァンギャルドな音楽を創造してきた訳ではないけれど、生涯に渡って「音楽とは自由な精神のことである」というようなことを真摯に伝え続けてくれた気がするんだ。

 

音譜まずは1965年のファースト・アルバムから、バルーの、その「自由な精神」が溢れ出ているような曲『Vivre ! ~生きる』を。

 

 
🎦1966年にアヌーク・エーメ(後にバルーと結婚する)、ジャン=ルイ・トランティニャン主演、バルーも出演しているクロード・ルルーシュが撮った『男と女』【Un Homme et Femme】。当時、無名でコネクションもなく、制作の資金繰りがつかなかったルルーシュに、友人であったバルーが音楽出版社「サラヴァ」【SARAVAH】を立ち上げ、資金面で協力することにより自主制作ながらどうにか完成にこぎつけることができた。

そして、その作品はフランシス・レイの流麗なテーマ曲も手伝って大ヒットを記録し、その年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールを、そして翌年にはアカデミー外国語映画賞を受賞。今ではフランスを代表するロマンティークな名作として映画史に刻まれている。

因みに。ルルーシュは1960年に長編のデビュー作を撮っており、その作品はヌーヴェル・ヴァーグの総本山とも言うべき映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」から「クロード・ルルーシュという名前を覚えておくといい。もう2度と聞くことがないだろうから」と酷評されたという。
音譜バルーとニコル・クロワジール【Nicole Croisille】が歌った、「シャ・バ・ダバ・ダ」で、あまりにも有名なテーマ曲を。

音譜そしてバルーもこの映画の音楽を数曲、担当する。中でもバルーによって歌われる『サンバ・サラヴァ~夢のサンバ』【Samba Saravah】(オリジナルはバーデン・パウエルとヴィニシアス・ジ・モラエスの曲Samba da Bênção)は、ジョアン・ジルベルトカルロス・リラドリヴァル・カイミアントニオ・カルロス・ジョビンヴィニシアス・ジ・モラエスバーデン・パウエルピシンギーニャカルトーラシロ・モンテイロノエル・ローザエドゥ・ロボなどのブラジル音楽家たちの名前が綴られていく、「サンバ」への尊敬と愛に満ちた曲。

🎦バルー自身が1969年にブラジルに渡り、バーデン・パウエルを始め、パオリーニョ・ダ・ヴィオラピシンギーニャマリア・ベターニャなどの音楽家たちと親交を深めながら、16mmで撮った音楽映画『SARAVAH』。後にヴィム・ヴェンダースが撮ったキューバ音楽の傑作ドキュメンタリー『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』のルーツのような映画だと思う。
🎦1968年にフランスのグルノーブルで開催された冬季オリンピックの公式記録映画『13 Jours en France』もクロード・ルルーシュが撮り、フランシス・レイとバルーが音楽を担当した。
フランシス・レイが作曲したテーマ曲『白い恋人たち』【Treize Jours en France】にバルーが詞を付け、ニコル・クロワジールが歌った。

 
音譜バルー自身がメガホンを取った長編映画のための音楽であり、1971年に自らのレーベル「SARAVAH」で制作し、リリースされた僕の大好きなアルバム『サ・ヴァ、サ・ヴィアン』【Ça Va , Ça Vientから、バルー自身の考え方や生き方そのものを表現したようなタイトル曲を。もしかすると僕のブログでは最も回数多くUPしてきた曲かも知れない。
 


『ÇA VA, ÇA VIENT』

 

僕の人生って こんな風に過ぎていく

時には立って 時には座って

僕たちの人生は流れにのって

滞ったり 前進したり

行ったり 来たり

誰も先のことは知らない

君は明日を手の中に握っているの?

 

行ったり 来たり

君は昨日をどうにかできるのかい?

逆さまに微笑むことができるのかい?

 

もし冒険が僕たちのまわりを包む香りに過ぎなくて

その時の気分で選ぶのだとしたら

もし冒険が僕たちのまわり何でもないものだったら

風のように漂うチャンスに任せておこう

 

行ったり 来たり

誰も先のことは知らない

君は明日を手の中に握っているの?

行ったり 来たり

君は昨日をどうにかできるのかい?

逆さまに微笑むことができるのかい?

 
「ÇA VA, ÇA VIENT」とは「行ったり、来たり」という意味。ピエール・バルーの言葉が川の流れの如く、ゆっくりと、揺蕩うように緩やかに。そして豊かに綴られていく曲であり、ヨーロッパ各地を自由に転々と移動しながら暮らすボヘミアンの精神性と共振している。

 音譜Ça Va , Ça Vient』の映画のヴァージョンも。ワルツに乗って、また違った魅力が。

音譜ずっとバルーに憧れ続けていたという立川直樹がバルーを日本に招聘し、プロデュースしたピエール・バルーの1982年のアルバム『ル・ポレン<花粉>』【Le Pollen】。日本からは加藤和彦高橋幸宏や、鈴木慶一を筆頭にしたムーンライダースの面々。清水靖晃佐藤奈々子などが参加した。曲は…これも僕のブログで何度もUPしてきたタイトル曲。

Aujourdhui je suis ce que je suis
Nous sommes qui nous sommes
Et tout ca c'est la somme
Du pollen dont on s'est nourri…

今日、僕は僕。
僕たちは僕たち。
そして
すべては僕たちを培った花粉…

バルーと高橋幸宏、そしてたまたま来日していた(元JAPANの)デヴィッド・シルヴィアンが参加し、自分たちに影響を与えてくれた人物を「花粉」に喩え、その名を、慈しみと愛情をもって交互に呼んでいく。ジャック・プレヴェールジャン・コクトー(3度呼ばれる)、アルレッティルキノ・ヴィスコンティギュスターヴ・モロー藤田嗣治ジャン・ピエール・レオマレーヴィッチトーマス・マンエリック・サティタマラ・ド・レンピッカジャン・マレーフェデリコ・フェリーニジョン・ケージマリア・ベターニャ中原中也ミロシュ・フォアマン…それは、まるで『Samba Saravah』のように。
 


 音譜1988年のアルバム『ITCHI GO ITCHI E ~一期一会』【Une Rencontre , Une Occasion】からキューバ音楽のニュアンスが漂う曲『Tonio』を。カヴァーの女の子はバルーの娘さんで現在、ミュージシャンとして活躍するマイアかな。


もともと「SARAVAH」は、先に書いたように『男と女』の制作資金を調達するためにバルーが設立した音楽出版社だった。そして幸いにも『男と女』がヒットしたこともあり、その後は本格的に自らの音楽観を実現するために、スポンサーも持たず収益の全てを新しい才能の発見やアルバム制作のために使うという独自のスタンスを貫き、途中、幾度もの経営難に襲われながらも(形態は変わったかも知れないけれど)現在も存続する異色のインディ・レーベルとして活動している。
 
 そのレーベル・ロゴはこちら↓↓↓
 
レーベルのスローガンは「スロー・ビズの王様」【Les Rois Du Slow-Bizz】。バルー自身がほんとうにいいと思った音楽だけを、売れそうだとか、売れなさそうだとか、そういった価値観とは別次元で、無名のミュージシャンの、数々の作品を制作・リリースしてきた。そう、それは。人に感動を与えることができるような、本当に価値のある音楽は大ヒットこそしなくても、永きに渡ってアーティストを潤し、会社に、そして社会に利益をもたらすという「スロー・ビズ」の考え方をいち早く体現したものであった。
 
マーケティングでは決して生まれてこない音楽。だからこそピエール・バルー自身の音楽も、『SARAVAH』の音楽も、とても自由で、深い魅力に溢れているのだと思うなもぐもぐ
 
フランス「SARAVAH」からの最初のアーティストになる、ブリジット・フォンテーヌ【Brigitte Fontaine】ジャック・イジュラン【Jaques Higelin】が「SARAVAH」以前の、1966年に制作・リリースしたアルバム『12 Chansons D'avant Le Deluge』から『La Grippe』『C'est Pas D'ma Faute』を。
 



 音譜「SARAVAH」から1969年にリリースされたブリジット・フォンテーヌのセカンド・アルバム『ラジオのように』【Comme a la Radio】からタイトル曲を。アレスキアート・アンサンブル・オブ・シカゴが参加して、アヴァンギャルドで退廃的、かつ感動的な、現在においても他のどこにも存在しない唯一無二の音楽が誕生した。
 


 フランスここからは。フランスの音楽をベースにしながら、ジャズやブラジル音楽をごく自然にミクスチャーした、とても個性的で素敵な「SARAVAH」の音楽をプレイリスト的にUPしていくね。

音譜ピエール・バルー『Roses』で始まる。

音譜ホセ・バレンセ=ディアス【Jose Barrense Dias】『A Tonga Da Mironga Do Kobulete』

音譜ジャン=ロジェ・コシモン【Jean Roger Coussimon】『Les Camions』

音譜トリオ・カマラ【Le Trio Camara】によるバーデン・パウエルの曲のカヴァー『ビリンバウ』【Berimbou】

音譜ニコラ・クロワジール【Nicole Croisille】『Ne Me Demande Pourquoi』

音譜ピエール・バルー『On N'a Rein a Faire』

音譜Barney Wilen【Gardenia Devil】

音譜ミシェル・ローグ・トリオ【Michel Roques Trio】『Les Loges Du T.P.F』

音譜ジャン=ロジェ・コシモン『Musique Legere』

音譜モニク&ルイス・アルデベルトMonique et Luis Aldebelt】による、華やかな『Un Homme et Une Femme』を。

音譜最後は。ピエール・バルーと(1970~1983年まで結婚していた)ドミニク・バルー【Dominique Barouh】とのデュエットによる『La Nuit Des Masques』を。


さて、と。「SARAVAH」の話はここでおしまい。「SARAVAH」の音楽から離れることにしよう。
 
フランスフランスはクラシックの世界においても数多くの大作曲を排出しているけれど、その後に誕生した現代音楽の王国でもある。例えば「ミュージック・コンクレート」の創始者であるピエール・シェフェールピエール・アンリエドガー・ヴァレーズ(アメリカに帰化する)、リュク・フェラーリピエール・ブーレーズなど音楽史的にも重要な名前が並ぶ。中でもオリヴィエ・メシアンの流れに位置しながらも、独自の音楽を探求したヤニス・クセナキス【Iannis Xenakis】(1922~2001)が面白い。なのでクセナキスの曲『Rebonds-B』を女性パーカッショニスト、Adelaide Ferriereの演奏で。1950年代にアメリカに渡り、ジョン・ケージに師事した、日本が誇る現代音楽家で、オノ・ヨーコの(ジョンの前の)ダンナ様であった一柳慧の言葉を借りるなら「ジョン・ケージの影響を受けなかった作曲などいないはずだ。しかし1人だけ例外がいて、それはヤニス・クセナキスであった」と。だけどその意味は僕にはよく分からないんだけど。まぁ、そこは別にいいかzzz


音譜現代音楽家たちの創造してきたエレクトロニック・ミュージックの流れをPOPに展開した、ペリー&キングスレイ【Perrey and Kingsley】の曲『Swans Splash Down』『Unidentified Flying Object』を。80年代にこの人たちの音楽を初めて聴いた時は、ドイツのニューウェーヴのレーベル「ATATAK」の音楽をイメージした。



フランス フランスで最初の真のブルース歌手であり、一部ではフランス音楽史上最も偉大な歌手とも言われる、コレット・マニー【Colette Magny】(1926~1997)。その音楽は、社会的強者が作り出す基準から著しく逸脱し、「あらゆる差別に抗う共同体の声」となり、真に自由で魂を揺さぶる音楽的として、没後約四半世紀を過ぎてなお、熱狂的なファンを持っている。

日本におけるコレット・マニー研究の第一人者である大里俊晴(日本のNew Waveの「ガセネタ」「タコ」といったバンドを山崎春美と共に率いた)曰く「ビリー・ホリデイ、美空ひばり、マリア・カラス……そう、たしかに彼女らは偉大だったかもしれない。しかし、それはそれぞれの限られたジャンルの中での表現のレヴェルにおいて、たかだか歌い手として偉大だったにすぎない。だが、コレット・マニーは決定的に違う。それは、歌の表現云々以前の、音楽をする行為自体において、既に全く違う次元にあるのだ。」と。

1963年に36歳でデビュー。独特のブルーズ感でジャズを歌いこなし、人気を集めた。曲はその頃の『La Rose de Rilke』『Neant』を。そしてその後、間もなく彼女は、商業主義の音楽から離脱し、未知なる表現の地平に突き進んでいく。
 


音譜商業主義に背を向け、アンガジュ(政治参加)に向かった歌『Bura Bura』。「広島」のことが歌われている(らしい)。

音譜1972年の映像で『Repression』『Exile』のギター弾き語りを。


音譜カトリーヌ・リベイロ【Catherine Ribero】。女優としてジャン=リュック・ゴダールの1963年の作品『カラビニエ』【Les Carabiniers】に主演した後、69年に自らのバンド、カトリーヌ・リベイロ + アルプ【alpes】を結成、プリミティブでサイケデリックな音楽で70年代の半ば頃まで精力的に活動する。

音スペクトル1971年の3枚目のアルバム『Ame Debout』からタイトル曲を。彼らのアルバムカヴァーはヒッピーたちのコミューンで撮られたような写真が使われていてどれも魅力的だ。

音スペクトル1972年の4枚目のアルバム『Paix』からタイトル曲を。

音スペクトル1976年にはソロに転向し、シャンソンを歌うようになる。彼女のソロ・デビュー・アルバムはエディット・ピアフのシャンソン・カヴァー集『Le Blues de Piaf』だった。曲はピアフの『Les Amants D'un Jour』


 音譜所謂、プログレッシヴ・ロックになるのかな(或いはジャズ・ロックかも)。ジルベール・アルトマン【Gilbert Artman】が率いたラード・フリー【LARD FREE】の75年のセカンド・アルバム『I'm Around  About Midnight』から『In A Desert Alambic』を。フランス・アヴァンギャルドの雄、エルドンリシャール・ピナスが参加している。

フランスラード・フリーのジルベール・アルトマンが1973年に結成し、現在においても活動しているサックスフォーン🎷を中心としたミュージック&パフォーマンス・アートの集団アーバン・サックス【Urban Sax】。結成当初は8名だったメンバーが一時は200名近くに膨れ上がったという。1991年に来日し、汐留で行われた伝説のパフォーマンスには日本から坂田明も参加した。
 🎷1991年の汐留での野外Liveの映像を。


音譜カヴァー・アートが可愛いアヴァン・ポップなエトロン・フー・ルルーブラン【Etron Fou Leloublan】の3枚組ベストCDから『Nicolas』を。
 


音譜CORTEXのブラジルっぽいアルバム『Troupean Bleu』からタイトル曲と『Huit Octobre 1971』を。この人たち、好きだなぁ。まぁ、アヴァンギャルドであっても、なくても。カテゴライズなんて、どうでもいいよね。



音譜アヴァン・トイ・ミュージック(簡単に言えば、オモチャの楽器や、オモチャのようなチープな音で演奏されたアヴァンギャルドな音楽)を演奏するパスカル・コムラード【Pascal Comlade】の曲『Valse de la Demoiselle Aux Yeux Verts』『Promenade des Schizophrenes』



音譜同じくオモチャのような、可愛らしい音楽をクリエイトするクリンペライ【KLIMPEREI】のアルバム『Lesplus Belles Valses de KLIMPEREI』から『Au Vieux Cinema』『Lapin Meimei』『Procession der Canards』を3曲続けて。エリック・サティに影響を受けたオモチャの「家具の音楽」か、と。




音譜最近の音楽から。アヴァンギャルドとポップの間を自由に行き来し、ケイト・ブッシュビョークと比較される女性SSW、クロ・ペルガグ【Klo Pelgag】の(厳密にはカナダ生まれだけど)2013年のアルバム『L'Alchimie Des Monsters』から『Comme des Rames』

音譜クロ・ペルガグの2020年にリリースされたアルバム『悲しみの聖母』【Notre-Dame-des-Sept-Douleurs】から『Remora』を。油断してると、その過剰な音楽と濃厚なアルバム・カヴァーに持っていかれるよね。


📷️ペルガグのポートレイトを。現在、活躍している女性アーティストたちって、とても自由で、軽やかにアヴァンギャルドしているよね。いいなぁと思う。
 
ほとんど知識がないので、どうかとは思うけど。フランスのアヴァンギャルドなジャズを少しだけ。
 
音譜ゴダールの長編デビュー作『勝手にしやがれ』の音楽を担当したマーシャル・ソラール【Martial Solal】のアルバム『Locomotion』からタイトル曲を。


音譜フランスのスピリチュアル・ジャズを代表するミシェル・ポルタル【Michel Portal】のアルバム『TURBULENGE 』から『Mozanbic』を。


 フランスそして今回の『音楽で巡るロマンティークの旅』の【フランス編】も。セルジュ・ゲンスブールのいくつかのアルバムからの、いくつかの曲で締め括ることにするね。
 
音譜1973年のアルバム『ゲンスブール版女性飼育論』【Vu De L'exterieur】から『Je Suis Venu Te Dire Que Je M'en Vais』を。ゲンスブールにとって最高に愛すべき女性たちが、反面、とてもやっかいなものであるというようなことを(『Je T'aime Moi Non Plus』の如く)愛してる。僕もそうじゃない、と言いたげな。それにしても、なんちゅうタイトルなんだ?今だったらOUT🙅‍♂️だろうな。


音譜ゲンスブールの1979年のアルバム『フライ・トゥ・ジャマイカ』Aux Armes et Cætera 』。ゲンスブールはそれまで誰もやらなかった、フランス語でレゲエを歌うという音楽的な冒険に出る。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのコーラス隊「アイ・スリーズ」や、最高峰のレゲエ・ミュージシャン、スライ・ダンバーロビー・シェイクスピアを従えて。「フランス語はロックに乗らない」という古い言説を引っ張り出すなら、「フランス語はレゲエのリズムにはまったく乗らない」ということを感覚的に気づいていたのか、敢えてうまく乗せようとはせず、ポエトリー・リーディングのように歌っている。なので結果的にとても奇妙な、だけどとても魅力的なフレンチ・レゲエに仕上がっている。そして、ゲンスブール自身も満更でもなかったのか、次の1981年のアルバム『星からの悪い知らせ』でも、この路線を継続することになる(但し、微妙にこなれた、と言うか、さらに悪ノリしているのが面白い)。
 
とにかく。今回の『音楽で巡るロマンティークの旅』【フランス編】ではもう何度も何度も登場してくるゲンスブールという名前。ほんと、ゲンスブールとはいったい誰なのか?と。この問いに敢えて(僕なりに)答えるとするなら、ゲンスブールとは、ゲンスブールというキャラクターをいつも最大限に活かすことができたプロデューサーだったと思うな。

音譜曲はゲンスブールの初期の代表曲『La Javanaise』のレゲエ・ヴァージョン(なのかなぁうーん)『Javanaise Remake』と、フランス国家『ラ・マルセイエーズ』をレゲエで歌い、物議を醸したタイトル曲を。


音譜同じくフレンチ・レゲエのアルバム『星からの悪い知らせ』【Mauvaises Nouvelles Des Etoiles】から『Ecce Homo』を。

音譜ウィリアム・クラインがカヴァーの写真を撮った、1984年のアルバム『ラヴ・オン・ザ・ビート』【Love On The Beat】から、ジェーン・バーキンとの実の娘シャルロット(今では大女優だけど)との(普通じゃ考えられないような)デュエット曲『Lemon Incest』を。やっぱりゲンスブールって、最低で最悪。なのに、最高に魅力的なのだ。
 

1991年3月2日。ゲンスブールが亡くなった時、国を挙げての葬儀が行われ、数万人の人が沿道を埋め尽くしたという。そしてフランス人たちの多くは生前の彼に対して情熱的な言葉を惜しみ無く費やし、哀しみというよりは「慈しみ」や「畏怖」、「憧れ」などの気持ちがない混ぜになった言葉を寄せた。そして何よりも。ゲンスブールと同じ時代を生きたフランソワーズ・アルディが語った「彼の、衝撃を与え続けた生き方、リニューアルを繰り返した音楽は、私たちの青春そのものでした。私たちは彼の中に春の混沌を見ていたんです」という言葉にフランス人にとってゲンスブールという人がどういう存在であったのかが表現されたのである。

それにしても。今回はフランスのアヴァンギャルドな音楽で括ってしまったので、変に小難しい記事になったような気がしつつ(小難しい記事を書くつもりなんて、まったくないのに)。また例によって自分の中で迷走が始まり、何がアヴァンギャルドな音楽で、何がそうではないのか、その線引きも分からなくなってしまったショック(もともと、そんな線引きなんて何処にもないことは知ってるくせに、な)。
 
まぁ、いいや。それはそれ、これはこれで。

とにかく。
最後まで付き合ってもらって、ありがとう🙂
 
そういうことで。
『音楽で巡るロマンティークの旅』の
【フランス編】はもう暫く続くね。

それじゃぁ、また
アデュー・ロマンティークニコ