Romantique issue No.413 『何でもあり。レゲエのフットワークス 』 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

 

   Irie !

 

 

僕のブログ『アデュー・ロマンティーク』へ、ようこそ。

 

 今、書いているシリーズ『写真のオルタナティヴ』の記事はちょっとお休みして。今回は音楽のこと。

 

僕がまだ、とても若かった頃から聴き始め、今もずっと大好きで聴き続けている音楽、レゲエについてあれこれ書いてみることにするねイヒ

 

レゲエの魅力。それはとにもかくにも、ゆったりとした、レイドバックするリズムと「ストーン」と落ちる、あの感じにあるんだと思う(心地良さだけではなく、緊張感のある「ヤバさ」もまた魅力的だ)。そう。理屈抜きで。決して頭で聴く音楽ではなく、身体で聴く音楽だということ。

 

もちろん夏の海辺で聴くと最高に心地いいんだけど、僕にとってのレゲエは夏だけの音楽ではなく、季節に関係なく1年を通して。しかも朝でも昼でも真夜中でも、どんな時に聴いても。例えどんな場所で、どんなシチュエーションで聴いても、違和感なく身体にすーっと入り込み、馴染んでくる音楽である。少し大袈裟に言うなら、レゲエのリズムと僕自身の身体のリズムとがぴったり合ってしまった。そんな感じ。そう、やっぱり理屈抜きでにやり

 

そして。レゲエのもうひとつの魅力に、「多様性」ということがある。いや違うな。「雑食性」と言った方がぴったりくるかも知れない。いろんな音楽を貪欲に取り込みながら、パトワ(ジャマイカ訛りの英語)で歌われる数々のSONGSと、歌われないインストゥルメンタルでも(それでも歌っているのだ)。それはどのような形であれ、あくまでもレゲエであり続けながら、さまざまなジャンルやスタイルを生み出してきた。

 

もともとは。50年代にメント【Mento】と呼ばれる音楽から始まった。そこからブルービートやスカへと進化し、その後、ロック・ステディ、DUBへと。ラスタファリズムのRootsなレゲエ、ラスタ・コミューンから生まれたナイアビンギ。ラヴァーズ、トゥースティング(Dee-Jayのラップによる音楽)、ジャマイカのレゲエとは少しニュアンスが違うブリティッシュ・レゲエ、ダンスホール、ラガマフィン、そしてラスタ原理主義とも言うべきボボ・シャンティのレゲエや、再びラスタのレゲエに還ったコンシャスなニューRoots。EDMなどを取り込み、常に形を変えながら進化し続けてきたダンスホールなどをない混ぜにしながら。

 

さらには。ひとつのリディム(=オケとかトラックという意味)をみんなで歌う「One Way」、リディムに合わせてDee-JayやSingerが即興で歌詞を付けて歌う「ラバダブ」【Rub-A-Dub】、どれだけ盛り上がらせるかを競い合う「Clash」、セレクター(DJ)が途切れなく曲を繋いでいく「ジャグリン」【Jugg-Ling】、通常の曲にプラスして後半がDUBになるディスコMixなどのスタイルや、屋外に積み上げられたスピーカーから流れる大音量の曲で踊る「サウンド・システム」などが付加され、実に自由で楽しい世界が出来上がっている。

 

今回は。何でもありなレゲエの、そんな「雑食」な魅力を『レゲエのフットワークス』【Footworks Of Reggae】というタイトルに置き換えて、さまざまなレゲエをPICK UPしていこうと思う。

 

 音譜まずは、僕がレゲエに嵌まり込む入口になった72年制作、78年日本公開の映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』【The Harder They Come】のサウンド・トラック・アルバムから、主演のジミー・クリフ【Jimmy Cliff】が歌ったタイトル曲と『Sitting In Limbo』、そして名曲中の名曲『Many Rivers To Cross』を。ソウルフルだけどレゲエであり、レゲエだけどソウルフルな、そんな素敵な歌を。

 

 

 

音譜ジミー・クリフ以外にも。この映画ではデズモンド・デッカー【Desmond Dekker】の『Shanty Town』も流れて、とってもカッコよかったもぐもぐ

 

音譜80年公開のレゲエ・ムービーの金字塔『ロッカーズ』【Rockers】からジェイコブ・ミラー率いるインナー・サークルの『ロッカーズのテーマ』【We 'A' Rockers】、メイトーンズの『Money Worries』、ジュニア・マーヴィンの『ポリスとコソ泥』【Police And Thieves】を。

 

 

 

音譜レゲエとパンクはとても相性がいい、ということで。The Clashがカヴァーした『ポリスとコソ泥』を。

音譜そしてThe Clashはさらに深く、本格的にReggae / DUBに接近する。The Clashの招聘でイギリスに招かれたDUBオーガナイザー、マイキー・ドレッドのプロデュースによるDUBアルバム『Black Market Clash』から『Bank Robber / Robber Dub』。これはほんと、カッコよかった。

 
📖レゲエを聴くなら、その意味も意義もちゃんと理解した上で聴きたかった真顔マジメに。当時、何度も読み返したレゲエのバイブル『レゲエ・ブラッドライン』。
 
ロックやポップスのビッグ・ネームの中で、レゲエに対して最も反応が早かったのは、ビートルズのポール・マッカートニーだったんじゃないかな。そう。あの『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』はこんな歌い出しで始まる。
 
Desmond has a barrow in third marketplace
Molly Is the Singer in a band
 
デズモンドは市場で屋台を出している
モリーはバンドの歌手だ
 
「デズモンド」とは先に紹介したレゲエ界の重鎮、デズモンド・デッカーのことらしい(モリーが誰なのかは分からないけど)。まぁ、どう聴いても『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』はレゲエには思えないけど、少なくとも1968年の時点ですでにポールはレゲエ(=スカ)を聴いていたのだ。流石、ポール!
 
その後、さまざまなビッグ・ネームたちもレゲエに反応し、レゲエを取り込んだ訳だけれど。それでもやっぱり、レゲエ本来の魅力を超えることはなかったと思うな(あくまでも僕個人の主観だけど)。
 
音譜レッド・ツェッペリンの1973年のアルバム『聖なる館』【House Of The Holy】から『デジャ・メイク・ハー』【D'yer Mak'er】では何となくレゲエのリズムが取り入れられた。

 
音譜ポール・サイモンの73年のアルバム『ひとりごと』から『母と子の絆』【Mother And Child Reunion】。

 
音譜エリック・クラプトンの74年のアルバム『461 Ocean Boulevard』から。ボブ・マーリーの名曲をカヴァーした『I Shot The Sheriff』。当時、クラプトンはレゲエのゆったりした、ルーズ過ぎる感じになかなか合わすことができなかったらしい。レイドバックするサウンドを得意にしていたにも拘わらず、なのに。

 
音譜ローリング・ストーンズの76年のアルバム『Black And Blue』から。エリック・ドナルドソンの曲『Cherry Oh Baby』のカヴァーを。

 
音譜キース・リチャーズ【Keith Richards】によるシングル曲はジミー・クリフの『The Harder They Come』のカヴァー。

 
音譜レゲエについて書いた、僕の最初のブログで。「レゲエが好きだと言いながら、ボブ・マーリーを聴かないレゲエ・ファンなんて。そんな奴、いるのか?」と書いたことがある。日本においては。やっぱり、このアルバムからレゲエの魅力が、そしてボブ・マーリーの魅力が伝播してきたのだ。

 

1975年7月18日、ロンドン・ライシアム・シアターでのボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズによる傑作ライヴ・アルバム『LIVE!』から。皮肉にもクラプトンがカヴァーしたことでレゲエという音楽が世界中に知られることになった『I Shot The Sheriff』と、誰もこんな風には絶対に歌うことができないであろう名唱、そして名曲である『No Woman No Cry』を。

 

 

📷️60年代初期からバニー・ウェイラーとピーター・トッシュとボブ・マーリーの3人で活動し、グループ名もザ・ティーンエイジャーズ、ザ・ウェイリング・ウェイラーズを経てザ・ウェイラーズに代わり、74年にクリス・ブラックウェルのレーベル「アイランド」から世界に向けて発信されたアルバム『キャッチ・ア・ファイアー』、『バーニン』という2枚のアルバムを制作・リリースした後、バニーとピーターがバンドを脱退してから、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが誕生する。
 
ザ・ウェイラーズの固定メンバーは、ベースのアストン''ファミリーマン''バレットとドラムのカールトン・バレットを中心に(何のかんの言ってもレゲエはベースとドラムが肝なのだ)、アル・アンダーソン(g)、ジュニア・マーヴィン(g)、タイロン・ダウニー(key)、アール・ワイヤ・リンド(key)、アルヴィン・パターソン(per) + リタ・マーリー、マーシャ・グリフィス、ジュディ・モワットによるコーラス隊「I-Threes」が加わった。
 

音譜1970年頃。「アイランド」と契約する以前のThe Wailersと、DUBオーガナイザー、リー・スクラッチ・ペリーのプロデュースのもと、アップセッターズとのセッションをまとめたアルバム『Springtime Anthropology』から『Naural Mystic』を。これがまたイカしてるんだな。

 

音譜ボブ・マーリーの魅力を大きく更新した、4枚組のセレクト・アルバム『Songs Of Freedom』から。キャリアの最初の1歩となった62年のデビュー曲『Judge Not』。めちゃくちゃロマンティークな『Guava Jelly』、「アイランド」以後では珍しいDUB『One Dub』。そしてみんな大好き『One Love / People Get Ready』の12inchヴァージョンの4曲を。
 

 

 

 

音譜1983年当時、オリジナル・アルバムに未収録だった曲ばかりを集めた『コンフロンティション』【Confrontation】から、自らの死を意識して録音されたというボブ・マーリー生前最後のシングル『I Know』を。もはやレゲエであるとか、レゲエではない、なんていうことを遥かに超えて、違う次元に突き抜けようとする高揚感が素晴らしい。
 
 

 
📖『十九歳の地図』で文壇にデビューし、『岬』や『枯木灘』を書いた作家の中上健次は、アルバート・アイラーのジャズに心酔する一方で、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが行った1980年のアメリカ公演中、シカゴでボブ・マーリーにインタヴューしている。その模様が収められたエッセイ集『アメリカ・アメリカ』。対談のあと、中上健二はボブに対してこんなことを書いている。
 
しゃがれた声、年齢不詳。体からオーラが出ていたのをはっきりと眼にした気がする。彼は八○年代を招き寄せた霊媒として私の眼に映る。
 
また昔の話を。一般的なレコード・ショップにレゲエのレコードがまだあまり並んでいなかった頃。僕はアルバイトしていたレコード・ショップで自分が買うためにレゲエのレコードをせっせと注文して買っていた。因みに当時はジャマイカのことを【Jah-Maker】と勝手に訳し(ラスタの神、ジャーを作る国というようなイメージで)、理解していた。
 
そしてレゲエの魅力にどんどん深入りしていった僕はラスタマンたちが被っていた、黒・赤・緑・黄色の毛糸で編まれたラスタ帽がどうしても欲しくて欲しくて仕方がなくなり、(まさか日本でラスタ帽が買えるとは思わなかったけれど)東京のレコード・ショップ「ナッティ・ドレッド」で扱っていることを知り、通販で手に入れたのだった。
 
ある日、その帽子を被って歩いていると「前の人、信号機みたいな帽子を被ってるよ。アハハ」という声が聞こえてきた。そう。遠い昔の、ほろ苦くも、少々、恥ずかしい話えーん
🚦こんな感じの帽子。ヒャー!目立ち過ぎだろ。

 

 The Wailersのメンバーだったバニー・ウェイラーとピーター・トッシュの曲を。
 
音譜敬虔なラスタマン、バニー・ウェイラー【Bunny Wailer】のアルバム『Sings The Wailers』から名曲『Dreamland』。

 

音譜これも名曲。『Rock And Groove』から『Cool Runnings』を。
 

音譜DUBアルバム『DUB D'SCO』から『Dreamland』のDUBバージョンを。
 

 
音譜ピーター・トッシュ【Peter Tosh】のミドルネームは「ステッピング・レーザー」【Stepping Razor】。「俺に近寄るとケガするぜ」。そんな感じか、と。映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』にも使われた、そのヤバ過ぎる曲を。

音譜アルバム『解禁せよ!』【Legalized It】からタイトル曲を。「マリファナ(=ガンジャ)畑で捕まえて」と、挑発しているようなカヴァー・アートもアルバム・タイトルも。ほんと、過激だなぁと思う。
 

音譜ピーター・トッシュとミック・ジャガーのコラボ曲『Walk And Don't Look Back』。若くしてモンスターなバンドを率いていたミックよりも、ピーター・トッシュの方がヤバい感じが。そして87年にジャマイカのキングストンで自宅に押し入ってきた強盗に襲われ、ピーターが射殺されたというニュースを聞いて、改めてキングストンの治安の悪さに衝撃を受けてしまったのだったアセアセ

 
音譜ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの不動のコーラス隊「I-Threes」のひとり、ジュディ・モワット【Judy Mowatt】のラスタ・マナーなアルバム『Black Woman』からタイトル曲を。
 

 
日本ここで。70年代後半から80年代の半ば頃にかけて登場した日本のレゲエを少々。ジャパレゲと呼ばれている今のダンスホール・スタイルのものとは違って、ジャマイカへのシンプルな憧れや、ルーツ・レゲエに接近しようとした想いが歌われていた。いゃぁ、今思えば、ほんと牧歌的な話だと思うな。
 
それまではフォーク・シンガーだった豊田勇造がジャマイカに渡って録音した80年リリースのアルバム『血を越えて愛し合えたら』(このタイトルだけで、当時のレゲエに対する考え方が分かる。うん)。『憧れのジャマイカ』とか『ジャナイカ ジャマイカ』とか。アルバムからそういった曲を紹介したかったんだけどYoutubeにはまったくUPされていなかったので、せめてアルバム・カヴァーだけでも。
 
音譜内田裕也がプロデュースした、日本における本格的なハードロック・バンドだったフラワー・トラヴェリン・バンドのハイトーン・ボーカリスト、ジョー山中がソロになり、レゲエに取り組んだ83年のアルバム『My Reggae Music~レゲエ・バイブレーションⅡ』から、僕の大好きな曲『Dance To The Reggae』を。
 

 
音譜矢沢永吉が在籍したキャロル。そのメンバーだった内海利勝がザ・シマロンズとコラボレーションした、76年の早過ぎたレゲエ・アルバム『GEMINI Part.Ⅰ』から『いつもあの娘』を。因みに。ビキニな、胸騒ぎの腰つきのカヴァー・アートもホルヘ・サンタナのアルバムより先だ。
 

 
音譜元ディランⅡのメンバーだった西岡恭蔵も早くからジャマイカに憧れていた。75年のアルバム『ろっかばいまいべいびー』から『ジャマイカ・ラブ』。但し、レゲエの、あのリズムは取り入れられていない。
 

 
音譜80年代中頃に。当時、日本のレゲエ・シーンの高い期待を背負ってデビューした、若きレゲエ・シンガー、PJを擁したクール・ラニングス(バンド名はバニー・ウェイラーの曲からかな)。彼らの代表曲はUKレゲエの雄アスワドの名曲『Back To Africa』のカヴァー。しかしなんだな。日本人のバンドが(PJにそういった血が流れていたとしても)「アフリカへ還ろう」と歌うことの意味は当時も今もちょっと分からないやえー?

 
さて。本家のレゲエに戻ろう。
 
音譜ジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノス【Justin Hinds & The Dominoes】の『JEZEBEL』から『Natty Take Over』を。
 
音譜マックス・ロメオ【Max Romeo】の『Open The Iron Gate』から『Every Man Ought To Know』。この緩さときたら、もう。
 

 
音譜シュガー・マイノット【Sugar Minott】のアルバム『Getto-logy』から。ニーノ・ロータが作曲した『ロミオとジュリエット』のテーマ曲を下敷きにした『The People Got To Know』と、そのDUBバージョン『The People Got To Dub』を。
 

 
音譜「Cool Ruler」の愛称で日本でも人気が高かったグレゴリー・アイザックス【Gregory Isaacs】の77年の傑作アルバム『Mr.Isaacs』から『Smile』。
 

音譜レヴォリューショナリーズ【Revolutionaries】のアルバム『Leggo Dub』はグレゴリー・アイザックスのアルバム『Mr.Isaacs』のDUBアルバム。そして曲は『Smile』のDUBヴァージョン『Dubby Dubby』。
 

音譜グレゴリー・アイザックスの79年のアルバム『Soon Forward』からタイトル曲を。
 

 
音譜サード・ワールド【Third World】のアルバム『Journey To Addis』から。日本でもヒットして、Discoでもよく流れていた『愛の砦』【Now That We Found Love】。因みに当時、彼らのLIVEに一度、行ったことがある。初めての生レゲエ体験だった(さすがにボブ・マーリー&ウェイラーズの一度きりのLIVEは体験することができなかった。体験した人がほんと、羨まし過ぎだ)。
 

 
イギリスここでブリティッシュ・レゲエを挟んでみよう。
 
音譜UB40は、後に『Red Red Wine』など、明るくキャッチーな音にシフトチェンジするけれど。80年にリリースされたアナログ2枚組のデビュー・アルバム『Signing Off』から、Coolなのに微熱を感じる2曲
『Tyler』と『King』の2曲を。アルバムのカヴァーには、バンド名でもある【Unemployment Benefit, Form 40】(=失業給付40号様式)の申請書をそのままデザインするなど、戦闘的なスタンスをゆったりと、打ち出している。そういうところが、いかにもブリティッシュ・レゲエらしいな、と思う。

 

 

 
また、ジャマイカのレゲエへ。
 
音譜メンバー全員が何らかの身体的障害を持つイスラエル・ヴァイブレーション【Israel Vibration】の78年の名盤『The Same Song』から、ゆる過ぎるタイトル曲で今回の記事を緩やかに締めることにするねウインク
 

 

という訳で。レゲエの「雑食」な魅力を伝えようとした割には、ほとんど何も伝えることができなかったので。次回も『レゲエのフットワークス』の続きを書こうと思っている。もちろん。シリーズ記事『写真のオルタナティヴ』もちゃんと忘れずに書いていくので、ゆる~く待っていてほしい。

 

それでは、また。

アデュー・ロマンティークニコ