ロマンティークNo.0387 『Light Mellowという、CITY POPの魔法④』 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。

 

それにしても何だな。日本の音楽の中で(歌謡曲は別枠として)1970年代から80年代にかけ、今、CITY POPっと呼ばれている音楽が当時どれくらい人気があったかと言えば、ユーミンを別として決して主流ではなかったような気がする。今でこそ歴史的な名盤と言われているシュガー・ベイブの『Songs』にしても山下達郎の初期のアルバムも(達郎が全国的に人気が出るのは80年の『Ride On Time』まで待たなければならない)、あの「はっぴいえんど」の『風街ろまん』でさえ主流ではなかった(主流云々と言うより、たまにポッと売れる人が出る程度で、全体的にはほとんど売れていなかったぼけー)


そう。70年代初頭から中頃にかけての主流は(音楽の質とは関係はないけど)、よしだたくろうと井上陽水とかぐや姫であり、70年台後半は松山千春、アリス、オフコース、中島みゆき、さだまさしなどのニュー・ミュージックとキャロル解散後の矢沢永吉だったような気がするなぶー


そういうことで、今回も。今、世界で人気が高いCITY POPのアルバムとその中からの曲を中心に、関連する曲や関連するエピソードを紹介していくシリーズ記事『Light Mellowという、CITY POPの魔法』の4回目。書いていると関連する人や曲がいっぱい浮かんできて都度、UPしてしまうので、なかなか先に進まない。あっちこっち寄り道しながらというのも、なかなか面白いと思っているんだけど、どうだろうかうーん。まぁ、それはそれで。ゆっくり進めていくね。

 

ティン・パン・アレー

【Tin Pan Alley】

『キャラメル・ママ』

+『ヒストリー』
CITY POPを語るときに、語るべき最重要グループである。もともとキャラメル・ママというグループ名で73年に活動を開始した。メンバーはCITY POPの起源である「はっぴいえんど」の細野晴臣、鈴木茂、そして林立夫と松任谷正隆の4人。所謂、普通のバンドではなく、プロデューサー集団であり、高度なテクニックを持ったミュージシャン集団であり、日本のロックの膨大なアルバムや曲のクレジットで、それぞれのメンバーの、或いはティンパンアレーの名前を見つけることができる。今回紹介するのは一応、75年リリースのファースト・アルバムを挙げているけれど、彼らの場合はアルバムが代表作という訳ではなく(あまりピンとこないのだ)、ひじょうに多岐に渡る、その活動自体が代表作なので、(とても可愛い)ペコちゃんジャケのベスト・アルバム『ヒストリー』も併せて代表作としておきたい。

 
音譜まるでYMO結成が予見されていたかのようなタイトルの曲『イエロー・マジック・カーニバル』。

音譜僕の大好きな、とてもロマンティークな曲『ソバカスのある少女』。

音譜セカンド・アルバムから『ろっかばいまいべいびい』。ボーカルとコーラスはブレッド&バター。

音譜松任谷正隆が歌った『Hong Kong Night Sight』を。歌はあまり上手くはないけど、ユーミンのバージョンとはまた違った趣があって、好きだな。

音譜アグネス・チャンが歌ったヒット曲『ポケット一杯の秘密』(作詞:松本隆、作曲:穂口雄右)をマナ【Manna】こと岩沢真利子のボーカルでティン・パン・アレーがカヴァー。

音譜歌手であり、女優でもある「いしだあゆみ」とティン・パン・アレーによる77年の、CITY POP傑作アルバム『アワー・コネクション』のオープニングを飾った『私自身』。いしだあゆみの生活感を感じない、ふわふわしたボーカルがティン・パンの演奏と相性抜群で、独特な雰囲気が滲み出している。このアルバムではティン・パンから松任谷正隆が抜け、代わりのメンバーとして参加した佐藤博の他、矢野顕子、岡田徹、浜口茂外也、コーラスには山下達郎と吉田美奈子が参加している。
 

音譜1950年代に美空ひばり、江利チエミと共に元祖三人娘のひとりとして活躍した、雪村いづみがティン・パン・アレー(当時はキャラメル・ママ名義)をバックに服部良一の名曲を歌った74年リリースの名盤『スーパー・ジェネレイション』から『ヘイヘイブギー』を。服部良一の曲はもともとモダンで洗練されているところに、雪村いづみの日本人離れしたボーカルとティン・パンの演奏によってGroove感が表出されていて最高に魅力的。因みに当時、制作中のスタジオに服部良一が遊びに来て、ずっと踊っていたというエピソードも。
 

音譜ついでと言ったら何だけど。雪村いづみの娘、朝比奈マリアが79年にリリースしたシングル『ディスコ・ギャル』(作詞:山上路夫、作曲:すぎやまこういち)もUPしておこう。ちょっぴり歌謡曲過ぎるけど、可愛かったので許す(偉そ過ぎるぞーおーっ!)。

 
高中正義『TAKANAKA』
若くしてそのギターの才能が認められ、柳田ヒロのグループや成毛滋と角田ひろ(現つのだ☆ひろ)が結成した伝説的なバンド「フライド・エッグ」、加藤和彦が結成し、イギリスでも認められたスーパーバンド、サディスティック・ミカ・バンド。そしてミカ・バンド解散後、残ったバンド・メンバーで活動したサディスティックスを解散した後、立て続けにリリースされた、トロピカルでとても心地いいサウンドの、一連のソロ・アルバム中から77年のセカンド・アルバムを。当時、流行していたフュージョンと呼ばれる、ジャズとロックが融合した(基本的に)インストゥルメンタルな音楽だけど、その都会的な感覚はCITY POPと共通している。

音譜アルバムのオープニング曲『Summer Breeze』。

音譜ベレス・プラード楽団で有名なキューバのマンボ『Mambo No.5』を。

音譜当時、絶大な人気があったアグネス・ラムに捧げられた曲『Sweet Agnes』。

音譜76年のソロ・デビュー・アルバム『Seychlles』から『トーキョー・レギー』。TanTan(別名、森野多恵子または大空はるみ)のコーラスがキラキラして眩しいな。

音譜『ブラジリアン・スカイズ』から。キューバのソンの名曲『北京豆売り』をリスペクトしたようなタイトルの『伊豆甘夏納豆売り』を。いやぁ、ほんと涼しくなってくるな。

音譜高中正義の名を全国に広めた1980年の大ヒット曲『Blue Lagoon』を。

音譜高中のバンドのキーボードを担当していた小林泉美とフライング・ミミ・バンドの78年のアルバム『Orange Sky Endress Summer』から『My Beach Samba』を。因みに小林泉美は『うる星やつら』の主題歌で知られていたり、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(70年代末に登場したドイツのNew Wave)のホルガー・ヒラーの招きでイギリスに渡り、デペッシュ・モードやスウィング・アウト・シスターなどの曲に参加したり、アクティブな活動を続けてきた。

 
石川セリ『ときどき私は…』
流れからは少し外れるかも、だけど。言葉の本来の意味においてはCITY POPと言えるアルバム。アンニュイで気だるい雰囲気が濃縮されている。因みに彼女は井上陽水の奥様として知られていて、二人が付き合い始めた頃、陽水が彼女の気を引こうとして、30分ほどで書き、プレゼントした曲『ダンスはうまく踊れない』がヒットした。
 音譜『朝焼けが消える前に』。

音譜下田逸郎が書いた、とてもSexyな曲『Sexy』。

音譜天才ピコこと、樋口康雄が書いた『フワフワ・WOW・WOW』。

 

石川セリ『気まぐれ』

もう一枚、77年のサード・アルバムも。参加メンバーは井上陽水(g)、大村憲司(g)、小原礼(b)、矢野顕子(key)と豪華過ぎ。CITY POP的にはこっちかな、と。

 音譜ちょっと信じられないけど、元・頭脳警察のパンタ(本名の中村治雄名義)が書いたサーファーのアンセム『ムーンライト・サーファー』。

音譜アルバム中、最もCITY POP的Light Mellowな、南佳孝の名曲『Midnight Love Call』。

音譜井上陽水が書いた『ダンスはうまく踊れない』。80年代に高木澪がリバイバル・ヒットさせた。

音譜南佳孝による『Midnight Love Call』のセルフ・カヴァーはラヴァーズ・ロック風に。しかし南佳孝が女性の言葉で歌った時の色気は凄いね。何だかとてもエロいのである。

 

 濱田金吾『Feel The Night』

『僕にまかせてください』という曲で知られる、ニューミュージックのグループ「クラフト」のメンバーだった濱田金吾がイメージを一新。80年代のCITY POPを代表する81年のアルバム。ソロ・デビュー当時は、人気があった浜田省吾を牽制して「浜田と言えば、金吾でーす」というコピーが付けられた。Light Mellowな魔法がかけられた名盤。

音譜ちょっとベタな、だけどアーバン・ソウルな魅力が溢れる曲『Bye Bye Mrs.December』。

音譜『Jazz Singer』。サリナ・ジョーンズの名前が出たり、「君の愛したチェット・ベイカー」と歌われる、ロマンティークな曲。

音譜得意なバラードの名曲『海風通信』。

音譜アルバム『Gentle Ravelin'』から『Portrait Woman』を。

 

門あさ美『ファッシネイション』
79年のデビュー・アルバム。所謂、ティン・パン・アレーを中心にしたスモール・サークル・オブ・フレンズとは関係ないところから突然デビューし、あっという間に売れ始めたという印象があるSSW。実はヤマハのポプコンの中部グランプリで入賞したことが、音楽活動の起点になっている(この時のグランプリは八神純子であった)。デビューすると、そのクール・ビューティなルックスとアンニュイな雰囲気、そして何よりもソング・ライティングが素晴らしい。

 音譜アルバムに先行してリリースされたシングル『ファッシネイション』。

音譜『Keep On Loving』。

音譜『Stop Passing Night』。

 

門あさ美『Sachet』

エロっぽさが増した、80年リリースのセカンド・アルバム。


音譜ファースト同様、ほとんどが彼女のオリジナルだけど、この『セ・シボン』は岡本一生の書き下ろし。

音譜まさにキラー・チューン。『やさしい声で殺して』。

 
柳ジョージ&レイニーウッド
『Y.O.K.O.H.A.M.A』
日本のエリック・クラプトンと呼ばれた(実は本人はクラプトンには興味がなく、デイヴ・メイスンをリスペクトしていた)、柳ジョージ率いるバンドの79年にリリースされた3枚目のアルバム。

CITY POPかどうかは微妙だけど。「はっぴいえんど」とは異なる流れから出てきた、またひと味違った音楽なのでUpした。柳ジョージの簡単な経歴を。1969年、日本大学在学中に陳信輝とブルースロックのバンド、パワーハウスを結成。その後、後期ゴールデン・カップスに参加した後、友人であった成毛滋と共にイギリスに渡り、自らの音楽性を深めていった。帰国後、1975年に柳ジョージ&レイニーウッドを結成。1979年にショーケンと宇都宮雅代が出演したTVドラマ『死人狩り』のテーマ曲として使われた『雨に泣いている…Weeping In the Rain』が大ヒット。ブルースやR&BをベースにしながらもPOP感を備えた(クラプトンぽいと言えば言えなくもない)、その音楽は一般的にも広く受け入れられた。

音譜アルバムから。1曲目の『プリズナー』を。

音譜大ヒットした『雨に泣いている…Weeping In The Rain』。

音譜名曲『FENCEの向こうのアメリカ』。作詞は先の『プリズナー』も同じくトシ・スミカワ。後にSSWとして大阪で人気が出る増田俊郎の変名であり、とてもいい詞を書いている。

音譜78年、日本テレビ系で放映された、ショーケン、いしだあゆみ主演のドラマ『祭ばやしが聞こえる』の主題歌。

音譜 79年、ジョージ&レイニーウッドの資生堂とのタイアップ曲『微笑みの法則~Smile On Me』を。因みにCMのモデルは後に寺尾聰の奥様になる星野真弓。

音譜これも名曲『青い瞳のステラ・1962年夏…』。

 

増田俊郎『グッドバイ』

横浜生まれのSSW、愛称「まっすん」のファースト・アルバム。その音楽は土臭くって、時折、海の匂いがしたり、ちょっぴりナイーヴな、まさにアメリカのウエスト・コースト・サウンドそのもの。ジャクソン・ブラウンやテレンス・ボイランを彷彿とさせ、しかもアルバムはアメリカのウエスト・コースト老舗「アサイラム」からリリースされた(ここ重要。テストに出ますよー)。


そして、アルバムがリリースされて少し経った頃から「まっすん」は大阪を拠点に活動するようになり、アメリカ村界隈のサーファーから高い人気を得た。僕自身も当時、このアルバムをほんとによく聴いていて、彼のLIVEにも何度か足を運んでいたのは、実は当時、付き合っていた彼女が彼の大ファンだったから。まぁ、言ってみれば想い出のアルバムなのだな(キャー、懐かしくも恥ずかしいーおーっ!)。

 音譜生まれた街、横浜への愛着が生んだ代表曲『Yokohama』。

音譜アルバムから『Brother On A Water』。

音譜『渚へ』。僕の記憶が正しければ。パイオニアのステレオ『プライベート』のCM曲だったはず。

音譜『終わりのない夏』。ちょっとロマンチック過ぎて、恥ずかしいところもあるけど。胸がキュンとする、ほんとにいい曲だな、と。この曲で今回は終わり。


今回はCITY POPの源流であり、CITY POPを代表するティン・パン・アレーと80年代のCITY POPを代表する濱田金吾をキーにしながら、CITY POPの枠を自分なりに広げてみたら、また、曲をUPし過ぎてしまったえー?

そのような中で。結局のところ、CITY POPとCITY POP以外の曲との明確な違いなんてないし、ある意味、雰囲気でしかないと思えてきた。いったいCITY POPって何だろう。そんな迷走をしながら。

それでもCITY POPのシリーズ記事は続いていく。

それでは、また。
アデュー・ロマンティークニコ