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【架空美術展の開催に寄せて】
久しぶりの架空美術展、開催。今回は芸術家が自ら創造した作品をキュレーションするのではなく、生涯に渡って、有名無名を問わず、時代を問わず、古今東西の芸術作品について、そしてさまざまな森羅万象について自身の膨大な著作の中でその魅力を語り尽くしてきた、澁澤龍彦の謂わば「王国」とも言える「ドラコニア」【Draconia】(名前の龍彦から、そう名付けられた)の美術展である。
澁澤龍彦が亡くなったのは1987年。その少し前くらいに僕は澁澤龍彦の名を知ったのだけど、当時はどこの本屋さんでも氏の著作はかなりの数が並べられていたし、亡くなってから暫くは大々的に「澁澤龍彦ブックフェア」が開催されていた。けれど、それから35年ほどの年月が経過し、澁澤龍彦を知らない人がどんどん増えてきている現在の状況を見るにつけ、いつか氏の存在が完全に忘れ去られてしまうのではないか、という危惧がある(そんなことはあり得ないと思いつつ)。だから、ほんの少しでも澁澤龍彦のことを知ってもらいたいし、その魅力に触れて欲しいとも思うし、何よりも澁澤龍彦の王国、ドラコニアの迷宮に迷い込むことで日常的に継続する時間から、つかの間でも逸脱してもらえればと、そう思っている。
一見、生きていく上で無駄だと思われるものや時間にとても大切な価値があるのだと、(確信はないけど)僕はずっとそう思い続けてきた。
そういうことで。その広大で深淵なる王国「ドラコニア」の魅力を伝えるために。けれど、あくまでも軽やかに、そしてPOPに展開していこうと思っている。題して『2021年の澁澤龍彦~POPドラコニア展』。つまりは。澁澤龍彦という特別な審美眼を通して選び出されたものを、さらに僕の感受性を通して(大したものじゃないけど)キュレーションするという架空の美術展であり、謂わば澁澤龍彦の王国「ドラコニア」の2021年バージョンである。
このタイミングで。60年代の末頃に、澁澤龍彦がどのような存在であったのかを分かりやすく伝えるためのエピソードとして、
60~70年代にかけてスーパーモデルの草分けとして世界的に活躍した山口小夜子がたまたま澁澤龍彦と同じ空間に居合わせることになった時の感想を引用させていただく。
📷️セルジュ・ルタンスが撮った山口小夜子。
初めてで最後に澁澤龍彦氏を見たのは、何処かの劇場で何かを観賞に行った時だった。何処で何を見たのかを思い出せないのは、観客として来ていた澁澤龍彦氏があまりにも強烈な存在感だったからだという言い訳を許して頂きたい。その大きめの劇場で幕が開くのを今か今かと期待する観客が全てを埋めていて、よくあるざわめきが、場内をよくある風景として開幕の時間へと向かわせていた。
ところが定刻を過ぎても一向に幕が上がらず、ざわめきはピークに達していた。誰かを待っているらしいという声がざわめきの中から聞こえてきた。誰か?誰かっていったい誰なんだろう?その誰かが来ないと幕を開けないほどの誰かって誰?、何だその誰かって、と次第に怒りのようなものがこみ上げてきた。暫くして後ろのドアがばたんと開いたかと思うと、二人の男性に付き添われた黒いサングラスに黒いタートルネックのセーター、黒い細いシルエットのパンツに黒い靴、ベージュのトレンチコートに黒い皮手袋をした華奢で小柄な人が風のように入ってきた。
さっきまでざわついていた場内が、一瞬にして水を打ったようにしーんとした。温度が三度ぐらい下がったような気がした。場内全員の目がその人一人に集中した。何人かの人が立ち上がってお辞儀をする。しばらくしてまた何処からともなく澁澤龍彦!澁澤龍彦、澁澤龍彦ーーー澁澤龍彦という声が木霊のようにしてきたと同時に舞台の幕が上がり何かの演目が始まった。それからというもの、私は開演の間終始あの人が澁澤龍彦なんだなぁと、その登場の凄まじさと背中から漲る途轍もなく大きな存在感にひたすらドキドキするのみだった。
澁澤龍彦(偉そうだけど、以降は必要に応じて「シブサワ」と略すね)。独自の審美眼により自身が魅きつけられた、美術や文学を始め、詩人や芸術家について、或いは幻想やエロティシズムなどの芸術が内包するさまざまな価値についてのエンサイクロペディア【Encyclopedia】的評論家であり、ビブリオフィリア(書物偏愛者)【Bibliophilia】であり、小説家であり、翻訳家であり、埋もれた文学や芸術の発見者であり、紹介者でもあり、その影響力は何らかの形でシブサワよりも若い世代の松岡正剛や荒俣宏、巖谷國士、海野弘、寺山修司、横尾忠則、四谷シモン、金子國義らに広く及んでいる。
僕自身も。若い頃に澁澤龍彦を知り、著作を読み漁った中で、その受けた影響は計り知れない。少し大袈裟に言えば。澁澤龍彦を知らず、澁澤龍彦の著作を読まないままでいたなら、現在の僕は今のような形で存在していないかも知れない。
それでは。少し長かったアプローチを歩き終えて、いざ美術展の会場へ。
澁澤龍彦は基本的には視覚の人であり、音楽について言及したことはほとんどなかった(僅かにクラシックに関する話はあるけど)。だけど。今回の美術展覧では、僕なりのインスタレーションという意味合いを込めて、ビートルズの曲を挟んでみようと思う。澁澤龍彦が活躍した同じ時代の、キング・オブ・ポップカルチャーだったビートルズの音楽を挟み込むことで、澁澤龍彦の世界をさらに拡張してみようと思う。そして曲はサイケデリック時代のものを中心に。澁澤龍彦の世界とビートルズ。意外と合うかもしれない。
そういうことで、さっそくオープニングの曲を。『ペーパーバック・ライター』【Paperback Writer】。
【澁澤龍彦の肖像】
澁澤龍彦の簡単な略歴。1928年、東京に生まれる。2024年に新しく発行される1万円札の肖像になる澁澤栄一は親戚に当たる。裕福な家庭で育ち、高校時代(戦後すぐに)はアテネ・フランセに通いフランス語を習得。その後、2浪の末、東京大学・仏文学科に入学し、1953年の卒業論文は「サドの現代性」であった。卒業の翌年、54年には最初の著作として、ジャン・コクトーの『大股びらき』の翻訳本を上梓した。
その後はサド(サド/マゾの語源になった)マルキ・ド・サドの著作を精力的に翻訳し、サド文学を一般に紹介したけれど、『悪徳の栄え』が「わいせつ文書販売及び所持」により当時の現代思潮社社長・石井恭二と共に起訴され、長い裁判が始まったのであった。澁澤自身はいくら裁判であろうと「ワイセツ」の観念が裁判官と理解し合えるとは最初から思っておらず、「ひとつのお祭りとして楽しもう」と考え、わざと裁判に遅刻して裁判官を怒らせることもあったらしい。その裁判には埴谷雄高、遠藤周作、大岡昇平、吉本隆明、大江健三郎ら多くの作家や文学者たちが弁護に付いたが、結局、1969年に有罪判決が出て7万円の罰金刑を受け(澁澤はたった7万円の罰金とは人をバカにしていると言いつつ、たった7万円で解決するならいくらでもそういう本を出してやろうと笑っていたらしい)、裁判は終了した。
以後、精力的な執筆を続け、1987年に亡くなるまで数々の異端の作家の翻訳や膨大な量の評論を遺した。



【エンサイクロペディア・ドラコニア】
「ドラコニア」には、それを形成する要素として、いくつもの観念的なキーワード、或いは項目が存在する。例えば「天使」や「怪物」。そして「城」、「楽園」、「庭園」、「天体」、「球体」、「花」、「鉱物」、「裸婦」。「書物」、「相撲」、「虫」、「時計」、「鏡」、「両性具有」、「貝殻」、「饗宴」、「旅」、「ナチュール・モルト(静物、或いは死せる自然)」、「驚異」、「毒薬」、「少女」、「玩具」、「迷宮」、「暗黒」、「船」、「人形」、「鳥」、「火山」、「ばさら」、「玩具」など。それらの項目の集成は、世界の森羅万象の集積であることから「エンサイクロペディア・ドラコニア」【Encyclopedia Draconia】(百科全書のドラコニア)と呼ばれている。
ここで曲は『Your Mother Should Know』を。




評論の最初は59年の『サド復活~自由と反抗思想の先駆者』。『黒魔術の手帖』、『毒薬の手帖』、『世界悪女物語』、『夢の宇宙誌 / コスモグラフィア・ファンタスティカ』、『快楽主義の哲学』、『エロスの解剖』、『秘密結社の手帖』、『異端の肖像』、『ホモ・エロティクス』、『エロティシズム』、『幻想の画廊から』、『貝殻と頭蓋骨』、『幻想の肖像』、『旅のモザイク』、『幻想の彼方へ』、『思考の紋章学』、『東西不思議物語』、『洞窟の偶像』、『記憶の遠近法』、『スクリーンの悪魔』、『機械仕掛のエロス』、『偏愛的作家論』、『悪魔のいる文学史 神秘家と狂詩人』、『ヨーロッパの乳房』、『夢のある部屋』、『人形愛序説』、『胡桃の中の世界』、『幻想博物誌』、『城と牢獄』 、『太陽王と月の王』、『城~夢想と現実のモニュメント』、『三島由紀夫おぼえがき』、『魔法のランプ』、『ドラコニア綺譚集』、『私のプリニウス』、『フローラ逍遥』、『華やかな食物誌』、『女のエピソード』など。
📖マルキ・ド・サドの富士見ロマン文庫シリーズの表紙は金子國義だった。
【エロティシズム・ドラコニア】
澁澤龍彦が好んで紹介したエロティシズム芸術の数々は、僕の感受性に鋭く深い爪痕を残した。
🎨マックス・ワルター・スワンベルグ【Max Walter Svanberg】
スワンベルグの絵を見つめていると、わたしは否応なしに幸福と不安の混り合ったエクスタシーの状態に誘いこまれてしまう。
この画家の世界に見逃すことのできない特徴は、一種の空間恐怖ともいうべき細部への異常な執着であろう。
澁澤龍彦の著作から知ることとなった、幻想とエロティシズムの、自由なる精神。とにかく。難しいことを抜きにして、ほんとうにワクワクさせられた。

🎨フリードリヒ・シュレーダー・ゾンネンシュターン【Friedrich Schroder Sonnenstern】
月の精の画家。学校の美術の授業では、絶対に教えてもらえない愛と幻想の物語を澁澤龍彦に教えてもらった。
ピエール・モリニエ【Pierre Molinier】
まさに異端中の異端な、エロティシズム・アーティスト。

ハンス・ベルメール【Hans Bellmer】
澁澤龍彦が65年に雑誌「新婦人」でベルメールを紹介してから、その後、球体関節人形が知られるようになった。
「ベルメールにとって、女体は何よりも貴重な、夢想のための素材である。想像力の働きによって、女体は伸びたり縮んだり、痙攣したり彎曲したり、二重になったり裏返しになったり、その肉体の各部分を自由に移動したり交換するのである」






今回の架空美術展。情報量がめちゃくちゃ多くなった割には、澁澤龍彦の、ドラコニアの、ほんとうに断片しか紹介することができなかったし、とても散漫な感じになってしまった。だけど、今回はこれが限界。また、いつか違う角度から澁澤龍彦の魅力を紹介させてもらうね。
それでは、また。アデュー・ロマンティーク。