こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。
いよいよ。今年、最後の記事を。その前に。今年1年、僕のブログをフォローいただいた方や「いいね」をポチっていたただいた方、コメントやメッセージをいただいた方、そして僕の記事を1度でも読んでいただいた方に感謝の気持ちを。ともすれば何度となく、自分自身の思考の迷路に嵌り込んでしまった時に(もうブログを辞めようかとさえ思ったことも)、その迷路から抜け出せてこれたのは、皆さんのおかげだと思っています。1年間、ほんとうにありがとうございました。
さて。本題へ。今年、最後の記事は架空美術展のシリーズで締めます。
【架空の美術展開催に寄せて】
今回は前回、好評をいただいた(と、勝手に思ってる)架空美術展『象徴主義絵画の官能。エロス/タナトス展』の、ある意味、ヴァージョンである。前回の象徴主義絵画はアーティストそれぞれのイマージュから生まれたものであたけれど、女性たちの姿が美しく描かれていた。つまりは、形象が表現された具象絵画(フュギュラティヴ【Figurative】)であったということ。けれど、アートには個人のイマージュや観念が形象を持たないものとして表現された抽象絵画(ノン・フュギュラティヴ【Non Figurative】)もまた存在する。もちろん。どちらかが優れていて、どちらかが劣っている訳では決して、ないけれど。
そして今回の架空美術展では、その抽象絵画の流れにあって、抽象絵画の起源とも言えるワシリー・カンディンスキーや、シュプレマティスムのエル・リシツキー、ピエト・モンドリアンなどの作品のようにモダンでデザイン化された抽象絵画や、ブリジット・ライリーのようなミニマリズムの抽象絵画とは異なる、とても肉感的なエクリチュールを持ち、濃厚なエロティシズムを噴出させている(と思えるような)抽象絵画をキュレーションしてみた。
タイトルは『官能を呼び覚ます抽象絵画。エロス・アブストラクト【Eros Abstract】展』(アブストラクトとは形を持たない、或いは、ぼんやりしたというような意味)。そして、この架空美術展にはバック・ミュージックとして、紹介する抽象絵画と感応し合う肉感的なアブストラクトな音楽をセレクトしてみた。ひとつの試みとして、絵画と音楽によるインスタレーションになれば、と思っている。
今回、キュレーションした作品には、完全な抽象表現(要するに何を描いているか分からないようなもの)もあれば、何となく人やヒト型が描かれている抽象表現も混ざっていて、その表現はとても幅広い。
そんな、いろいろな抽象絵画を観ていただくにあたって。手引きとして伝えておきたいことは、「絵画に対する既成概念をひとまず忘れて感覚を開放すること」。「絵画を理解しようとしないこと」。「好きか嫌いか。ただその直感だけで判断すること」。それだけである。さぁ、感受性のギアをニュートラルにして、奥へとお進みください。
アプローチを歩いているとさっそく音楽が聴こえてくる。
ファラオ・サンダース【Phalaoh Sanders】のスピリチュアルな音が、音楽が。『Love Is Everywhere』。
🎨作品展示の最初は、ウィレム・デ・クーニング【Willem De Cooning】。肉感的な抽象表現はこの人から始まったんじゃないかな。
アルバート・アイラー【Albert Ayler】の名曲『Ghosts』を。
🎨フランシス・ベーコン【Francis Bacon】。デ・クーニングやジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらによって大きな潮流となった第二次世界大戦後の抽象絵画に対して、独自の時間と空間認識によって徹底的に具象表現に拘り続けた。けれど(あくまでも僕の主観だけど)、その表現の過程の中で形象は次第にアブストラクト化し、「死」(=タナトス)のイメージが浮かび上がり、結果的に肉感的なエロティシズムが表出した。まぁ、難しいことを抜きに。肉感的で激しいのに、とてもモダンな感じがする、20世紀後半の美術史の中で最重要アーティストのひとりである。
🎨女性アーティスト、セシリー・ブラウン【Cecily Brown】。
🎨ジョセバ・エスクビ【Joseba Eskubi】。情報はほとんど持ってないけど、作品だけを観て評価できるアーティストだと思うな。
Abraと同じくアブストラクト・ソウルのSZA『Love Galore』。
🎨Guglielmo Castelli。この人の情報もない。だけど。とても濃厚なエロティシズムを感じることができる。