ロマンティークNo.0312 散歩をしながら、アートの話でもしてみよう。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。

 
僕の経験談だけど。僕のことを少しだけ知っている人、特に会社関係の人と飲みに行った時に、調子に乗ってついうっかり「アートが~」って言ってしまうことがある。そうすると相手は「アートはよく分からんわ」とか、「アートとか言って、ええカッコしちゃって(大阪人なのに「しちゃって」とか言うしえー?)」とか、そういうことになる。まぁ、そうなることが分かっているから、十分、注意はしているつもりだけど、つい口から出てしまう時があるんだなぶー
 
当然だけど、僕自身はカッコをつけてる訳ではないし、アートの話が特別なこととはまったく思っていない。けれど、世の中的には日頃、アートのことを考えている人はあまり多くはないと思うので、そういう話をしたときに多少は引かれることも、ある程度は理解しているんだけど。
 
話は変わって。過去、僕のブログのどこかで書いたことがあったかも知れないけど、随分、昔に観たフランス映画、クロード・ルルーシュが66年に撮った『男と女』【Un homme et une femme】のこと。もう若いとは言えない、ジャン=ルイ・トランティニアンとアヌーク・エーメが恋に落ちる話。それぞれがお互いにそれぞれの過去、人生を引き摺りながら出会い、やがて恋に落ちる訳だけど、若い頃の恋愛とは少し違って、二人は情熱的な愛し合い方をするのではなく、お互いがお互いを尊重しながら、その恋愛はゆっくりと進んでいく。
 
映画の中でふたりが海岸を散歩するシーン。波の音だけが聞こえる、ほとんど誰もいない海岸。少し風が吹いている。ふたりは寄り添いながらゆっくりと歩き、彫刻家アルベルト・ジャコメッティのことを語り合うんだ。ごく普通に。今日、あったささやかな出来事を話すように。とてもいい時間が流れていく。映画の中では、どちらかと言えば地味なワンシーンだけど、僕自身は映画の魅力がこのシーンに集約されていると思ったし、とても素敵なシーンだったと、今も鮮明に覚えているもぐもぐ
 
この映画を観て以来、僕の中では。アートとは、暮らしの中にごく自然に「ある」ものであり、アートの話もまたごく自然に日常の中で「語り合えるもの」であって欲しいと、そう思い続けてきた。そう。音楽や映画の話をするのと同じように。
 
日本とフランスではアートに対する環境はまったく異なるし、古くから「芸術の国」と言われた国とは違うのかもしれないけれど、特に日本の場合はアートに対する教育は遅れていると思うし、子どもの時からアートを身近なものとして感じるような教育ができていないとは思うんだなぼけー。そして僕自身もまた、そのような教育を受けながら、けれどどこかでアートに目覚め、徐々にではあるけれど、自発的にアートを受け入れ、さまざまなアートを自分の中に取り込むようになっていったという訳だ。
 
そのようなことで。基本的にはアートの話も、「今日の晩御飯は王将の餃子にしようか」という話とか、「今日、仕事でとても魅力的な女性と会ったんだ」という話とか。そういうことと同じように、日常の中に入り込んで欲しいと思っている。
 
アートをもっと身近にしたいという思いを込めて。
『More Art , More Life』
(音楽のスローガンと同じだよーおーっ!)。

 

さて、と。僕の中で、毎日の暮らしに少しでも潤いを与えられるようなアート作品を思いつくままに紹介する記事をシリーズ化しようと今、思いついたので。すべては僕の主観であることを前置きして。僕の好きな作品を時代も「~派」も「~主義」も。抽象も具象も関係なくランダムに紹介していこうと思う。
 
🔴まずは流れ的に。先ほど名前を出したアルベルト・ジャコメッティ【Albert Giacometti】(1901~1966)の作品から。彼を纏うシュルレアリスムや実存主義は置いておいて。ジャコメッティの彫刻はそのフォルムが魅力 。顔が小さく、手足が異常に長く、異様にささくれていて。ジャコメッティはドローイングや版画も多いけど、彫刻は立体なのでさまざまな角度から、さまざまな観え方があるので楽しめる。つまりアートとは。アーティスト本人の制作意図を脇に置いても、それを観た人、それぞれが自由に感じるべきものだと思っている。観て感じたことに間違いというのはないし、正解などないのだ。
 
 
 
 
🎨ジェームズ・アンソール【James Ensor】(1860~1949)。ベルギー出身のアーティスト。アートにはさまざまな表現があり、さまざまな美がある。例えば明るく、華やかな絵画だけが美しいのではないということ。19世紀末から活躍し、その後の表現主義などに大きな影響を与えたアンソールの作品はかなり不気味だし、「死」をイメージさせる。しかしそこにはある種の「美」が感じられるのだ。彼の作品への興味は尽きない。
 
 
🎨モイーズ・キスリング【Moise Kisling】(1891~1953)。ポーランド出身の画家。モディリアーニや藤田嗣治、マリー・ローランサンなど、1900年初頭にパリに集まった芸術家を中心にした「エコール・ド・パリ」を代表する画家。僕はこの人が描いた女性たちがとても好きなんだけど、特にこの作品には今でも通用するような「女性たちの新しい感受性」が宿っているような気がするんだなもぐもぐ
 
🎨パブロ・ピカソ【Pablo Picasso】(1981~1973)。もう何の説明も不要の、天才の軌跡。ピカソの作品を「理解できるか」、「できないか」なんて。常に現代アートの踏み絵になってきた画家であるが、2020年代の現代にあっては、もうそろそろそんな話はしたくないな、と思う。そもそも。アートを「理解できるか」とか「できないか」なんていう価値基準はナンセンスだということだぶー

ピカソを代表する作品であり、後に世界に革命を起こすことになる「キュビズム」の源流となる1907年制作の大傑作『アヴィニヨンの娘たち』。何度観ても、その女性たち(バルセロナの娼婦たち)の表情やフォルム、構成美にゾクゾクさせられる。
これもとても有名な作品。太陽の国、スペインで生まれたピカソの血を象徴するような作品。生きることへの限りない喜びが爆発している。トレビアン!だ。
ピカソは自分自身のスタイルを破壊し続けながら、いくつもの自分のスタイルを獲得してきた。このようなモダンなイラストレーション的な作品においてもピカソならではの個性が、スタイルが表出している。
 
🎨パウル・クレー【Paul Klee】(1879~1940)。フランツ・マルクやヴァシリー・カンディンスキーが創刊した総合芸術誌「青騎士」【Der Blaue Reiter】に参加したり、現代の総合デザインの源流である「バウハウス」で教鞭をとっていたことも。とにかく。クレーの絵は簡素なドローイングから、デザイン化されたカラフルな街の風景に至るまで、音楽音譜が溢れ出しているんだな。
 
 
🎨アンリ・ド・ドゥールーズ=ロートレック【Henri De Toulouse-Lautrec】(1864~1901)。今で言うイラストレーターとして、ポスターのアートワークを数多く制作してきたけれど、有名な「ムーラン・ルージュにて」では同時代に活躍したセザンヌやルノワールらの画風とはまた違ったスタイリッシュな魅力があり、当時の華やかなりしパリの雰囲気を伝えてくれる。
 
🎨ジョン・シンガー・サージェント【John Singer Sargent】(1856~1925)。作品は1885年制作の『カーネーション・リリー、リリー、ローズ』【Carnation , Lily , Lily , Rose】。技術的にも優れた作品だと思うけど。それ以上に、とてもイノセントな感じがする透明感のある作品。むやみに近づくと壊れそうな、そんな世界が描かれている。ジャポニズムの影響が感じられるところにも好奇心が向いてしまう。
 
🎨ルーカス・クラナッハ【Lucas Cranach】(1472~1553)はルネサンス期の画家。僕の書棚の中で一番、数が多い(100冊はあるかな)作家の澁澤龍彦の本によってその魅力を教えてもらった。とにかく。その表情、フォルム、肌の色、醸し出す雰囲気。すべてが一線を超えている。説明がつかない、不思議な魅力を持った作品だと思ううーん。尋常じゃないよね。
 
🎨マニエリスムの画家ブロンツィーノ【Agnolo Brozino】(1503~1572)の『愛と時のアレゴリー』。この歓喜に満ちた肉感的なエロティシズムの魅力も澁澤龍彦の本が教えてくれた。

 
🎨ダンテ・ガブリエル・ロセッティ【Dante Gabriel Rossetti】(1828~1882).。1800年代中期の「ラファエル前派」を代表する画家が自身のミューズであったジェーン・バーデンを描いた美しい作品。彼女は同じく「ラファエル前派」のウィリアム・モリスの奥さんであったところがややこしい。常に才能あるアーティストたちの心を捉え離さなかった、ほんとうに美しく魅力ある女性だったんだろうな、と思う。
 
🎨ジュゼッペ・アルチンボルト【Giuseppe Arcimbold】(1526~1593)。マニエリスム期のミラノ出身の画家。この人の作品はもしかすると学校の教科書にも出てきたかも知れない。海の生物や野菜、果物などの絵をひとつひとつ積み重ねて人の顔にしてしまおうという発想が凄い。しかも。完成した作品からは、説明がつかない異様なものが発散してくるのを感じ取ることができる。

 
🎨ヤン・ファン・アイク【Jan Van Eyck】(1395頃~1441)。初期フランドル派の最高の画家。それにしても、だ。帽子を被り、マントを着た男性の表情やポーズの、その異様さ、不気味さ。一度、絵の中に引き摺り込まれたら、もう二度と(こっち側の世界には)戻ってこれなくなるような気がする。
 
🎨ギュスターヴ・モロー【Gustave Moreau】(1826~1898)。僕のブログでは何度も紹介してきたモローの代表作『出現』。モローはずいぶん前から僕の大好きな画家のひとり。今から30年以上前にパリの「ギュスターヴ・モロー美術館」に行ったことがあって。モローのアトリエがあった家がそのまま美術館になった、ある意味、特別な場所で観たモローの世界は、眩い夢のようであった。因みに(これはブログ記事のタイトルにしたことがあるけど)、その美術館の魅力を伝えるエピソードとして。シュルレアリスムの法王と呼ばれた、詩人のアンドレ・ブルトン曰く「私は毎夜、ギュスターヴ・モロー美術館に忍び込む夢を見る」と。
 
🎨いきなり、3人のアメリカの画家を。まずはエドワード・ホッパー【Edward Hopper】(1882~1967)。とてもオーソドックスだけど、オシャレで静的な画風が魅力。ホッパーの作品は南佳孝のアルバム・カヴァーや、村上春樹訳のグレイス・ペイリーの文庫本の表紙にも使われている。
 


🎨アンドリュー・ワイエス【Andrew Wyeith】(1917~2009)。アメリカを代表するリアリズムの画家。だけどリアリズムと言いながら、とても淡い色彩だけで描かれた世界は独特なものだと思う。
 
 
🎨ジョージア・オキーフ【Georgia O'keeffe】(1887~1986)。こちらはアメリカを代表する女性画家の作品。この作品の画風はシュルレアリスム的だけど、花を描いたカラフルで華やかな作品も多い。因みに旦那様は有名な写真家のアルフレッド・スティーグリッツ。
 

🎨フランシス・ピカビア【Francis Picabia】(1879~1953)。機械を偏愛したアーティストであり、20世紀初頭に生まれたDADAの活動にも参加していた。絶対的なスタイルを持たない多彩なアーティストであり、その全容はなかなか把握し難い。
 
 
🎨マックス・エルンスト【Max Ernst】(1891~1976)は、絵画におけるシュルレアリスムの極北である。この作品は代表作「雨後のヨーロッパ」。細長い作品なので画像の比率で大きくUPできないため、半分に分けて2枚の画像でUPした。デカルコマニーなどの技術を使いながら、何処にもない唯一無二の世界を創り上げている。
 
 
🎨ジグマー・ポルケ【Sigmar Polke】(1941~2010)。ゲルハルト・リヒターらと共に「資本主義リアリズム」、つまりはドイツに於けるPOP ARTを標榜した。
 


🎨Linda Vachon。web上に日本語での表記を見つけられないので、知名度はあまりないのかも知れない。現役のカナダの女性アーティストで、人間の暗部を表現するような、その作品はオリジナリティがあって、とても面白いと思う。
 
 
🎨サラ・ジャレット【Sara Jarrett】。とても上品なのに、ある種のパッションをも感じさせてくれる作品群。初めて彼女の作品を観た時、一瞬にして好きになった。描かれる女性の表情。そして、その色彩とフォルムの微妙に外れたバランス感覚に対して、現代アートにもなかなか面白いものがあるということを教えてもらったのであった。
         


 
🎨マーク・ロスコ【Mark Rothko】(1903~1970)。ウィレム・デ・クーニングと並ぶ抽象絵画の巨匠である。抽象絵画こそは、理解しようとして理解できるものではない。そのことさえ理解できていれば問題はないということ。逆に言うと、抽象絵画はアートを最も自由に感じ取ることができる入口だと思う。


🎨サイ・トォオンブリー【Cy Twombly】(1928~2011)。若い頃、僕自身も抽象絵画に興味を持てなかった。だけど、どこかでトゥオンブリーの作品を知ってからは、その自由度の高いエクリチュールにどんどん引き込まれていった。謂わば、永遠に完成されないが故に常に現在進行形であるような表現に。僕にとっては、ジャクソン・ポロックやサム・フランシスと同様に抽象への道を開いてくれたアーティストのひとりである。


 
今回の記事のタイトル通りに。アートをあまりにもラフな感じ、且つランダムに紹介したので、中心がない中途半端な記事になったような気がしているえー?。アートをこんな形で紹介することがいいのか悪いのか、僕にもよくは分からない。だけど。アートだからと言って、大層にかまえる必要なんてないと思う。

世の中には、ほんとうにさまざまなアートがあること。すべてのアートの価値は創り手側にあるのではなく、受け手側に委ねられているということ。そして、アートは観た瞬間に「好き」か「嫌い」か、もしくは「どうでもいい」かに分かれるということ。そういうことをすべて含めて、(エッセイの大家である植草甚一の本のタイトルにありそうな)「散歩をしながら、アートの話でもしてみよう」という軽い感じが伝わればそれでいい。
 
記事を書き終わって。今回のような記事をシリーズ化するかどうかは、もう少し考えてみたいと思う。
 
それでは、また。『More Art , More Life』ニコ