No.0246 『目を大きく見開いたまま眠りにつきなさい~現実と非現実を繋ぐメキシコのアート』。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

Buenas Tardesu。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。

 

今回は特異な表現が多いメキシコのアートのこと。絵画と写真を中心に、映画や音楽も少し添えて、メキシコという風土から霊感を得たような、現実と非現実が絡まり合っているアートを立体的に紹介したいと思う。その表現は熱を帯びていて。どこまでが現実で、どこまでが非現実なのかが分からなくなるような世界が広がっている。

 

タイトルは『目を大きく見開いたまま眠りにつきなさい~現実と非現実を繋ぐメキシコのアート』。最初の『目を大きく見開いたまま眠りにつきなさい』という一節は、メキシコが生んだ偉大なる詩人であり、評論家でもある、ノーベル賞作家オクタビオ・パス【Octavio Paz】の著作からの引用である。オクタビオ・パスはずいぶん昔にラテンアメリカ文学のアンソロジーの中で編まれていた短編『波と暮らして』【Mi Vida Con La Ola】(タイトル通り、主人公が波と暮らす物語だ)を読んでいて、日常の中に非日常が入り込んだ物語がとても面白いと思ったのである。

 

今回のテーマであるメキシコのアートのことを書くに当たっては、このパスの言葉以上の表現はないと思った訳で、捻りも何も加えず、そのまま引用させていただいた。言ってみれば、サブタイトルにあるように、メキシコのアートとは現実と非現実を繋ぐ、開けっ放しの扉のようなものであり、『こっち側(現実)とあっち側(非現実の世界であり、死の世界も含んでいる)を自在に行き来するためのパスポートのようなもの』ということを伝えてくれる言葉であると、そう思っている。

 

メキシコという土地には何か特別な磁力のようなものがあるのかな。シュルレアリスムの法王であるアンドレ・ブルトンがフランス政府からの要請で、芸術に関する講師としてメキシコに派遣され、そこでメキシコ・アート界の大巨匠であるディエゴ・リベラとその妻、フリーダ・カーロと知り合ったことや(フリーダ・カーロを発見したのはブルトンだったと言えるだろう)、また、時を同じくしてソビエト連邦から国外追放され、世界を移動しながら政治活動を続けていたレフ・トロツキーがメキシコでブルトンやディエゴ・リベラ、フリーダ・カーロと知り合ったこと。そして多くのシュルレアリストたちが第二次世界大戦中のパリからメキシコに亡命し、創造の拠点をメキシコに置いたことなどを考えれば、幻想に憑かれたアーティストたちがメキシコの風土に引き寄せられたと考えるのが普通だろう。

 

さて。それではメキシコの絵画をいっしょに観ていこう。

 

🎨アンドレ・ブルトン曰く。「フリーダ・カーロの存在を知ることができたのは、メキシコへ行った大きな成果であった」と。シュルレアリストには女性のアーティストも多かったが、フリーダ・カーロ【Frida Kahlo】の作品は誰のものにも似ていなかったのだ。基本的に自画像がほとんどだが、作品には常にあっち側の世界が、つまりは「死」のイメージが付き纏っている。因みにカーロの父は写真家のギリエルモ・カーロ。

 
 

📷フリーダ・カーロとディエゴ・リベラのポートレイト。身体的な特徴を含めた、リベラの圧倒的な存在感と、その横に佇む美女フリーダの対比。当時から「美女と野獣」と揶揄されていたという。
音譜ここで音楽を。メキシコのボレロからの流れ。チャベーラ・ヴァルガス【Chavela Vargus】の『Poloma Negra』。音楽は現実と非現実を繋ぐことはないと思うが(それが何故なのかは、僕も分からない)、絵画に添えるととても味わい深く、メキシコの雰囲気が伝えられると思ったのだ。

 🎨僕のブログで松井冬子と並べて書いたことがある、美人シュルレアリストのレオノーラ・キャリン【Leonora Carrington】は、第二次世界大戦中にメキシコに亡命した。



🎨レメディオス・ヴァロ【Remedios Varo】もまたメキシコに亡命し、生涯を過ごした。


🎨メキシコの画家、ルフィーノ・タマーヨ【Rufino Tamyo】の作品。


音譜音楽はソニード・ギャロ・ネグロ【Sonido Gallo Negro】の『Cumbia De Las Picaditas』。

🎨 僕がすごく魅かれるメキシコの画家フランシスコ・トレド【Francisco Toledo】の作品。やたらと動物たちが登場するのが特徴かな。

 
 


📷次は写真を。僕の心を捉えて離さない写真家、巨匠マニュエル・アルバレス・ブラヴォ【Manuel Alvares Bravo】。流れさえない、澱んだ濃密な空気に包まれた写真は、すべての時間が止まっているように感じる。

 
 
📷フリーダ・カーロの魅力を余すことなく伝える写真も多い。フリーダが被写体となりブラヴォが撮れば、それだけでアートになるのだな。
 
音譜ここでまた音楽を。Los Cojolitesの『La Manta』。
📷グラシエラ・イトゥルビーデ【Graciela Iturbide】の写真を。
📷あぁ、何と魅力的な写真なのか、と。
📷この写真もそう。作為なんてまったく感じない。現実を撮った、ただそれだけなのに、そこには「あっち側」へと続く、開けっ放しの扉が存在する。
 
📷Elor Gardunoの写真を。ポジティブとかネガティブとか、2極論だけでは語ることができない、さまざまな心の有り様が伝わってくるようだ。
 
音譜スペイン語で歌われているにも関わらずフレンチなSSWのように聴こえるナタリア・ラフォルカデ【Natalia Lafourcade】の『La Que Construimos』を挟んでおこう。
📷Eunice Adornoの写真。濃密な空気にだんだん息が詰まってきたぞ。
 📷後ろ姿だけで十分に迫ってくるものがある。この写真の表の作品もあるのだが、今回はパスしておこう。
 
📷Francisco Mato Rosasの写真。喧騒を撮っても、そこには静寂があり、どこかであっち側の世界と繋がっているような気がする。
 
 

巨匠たちの作品を。


🎨ディエゴ・リベラ【Diego Rivera】の作品。ちゃんとフリーダ・カーロも描き込まれている。

🎨ダビッド・アルファロ・シケイロス【David Alfaro Siqueiros】の作品。

🎨ホセ・クレメンテ・オロスコ【Jose Clemente Orozco】の作品。


🎦そして、最後に。サルヴァドール・ダリと『アンダルシアの犬』を撮り、その後、メキシコに渡って数々の強烈な映画を撮り続けたルイス・ブニュエル【Luis Bunuel】の1951年の傑作『昇天峠』【Subida Al Cielo】から、主人公の青年オリベリオが自らの幻想(或いは妄想)に入り込むシーンを。抜粋シーンだけ見てもあまり、面白さは伝わらないかも、だけどね。


現実と非現実の間を自在に行き来するために。

さぁ、目を大きく見開いたまま眠りにつきなさい。


それじゃぁ、Nos Vemos。
そして、アデュー・ロマンティークニコ
 
        ※※※※※※※※※
 
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アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポー、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール…。
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