No.0101 『秩序』と『混沌』。『欠落』と『過剰』が蠢く、草間彌生という永久運動。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へようこそ。

僕のブログの記事は前回で100回目を数えた。そして、僕の記憶に間違いがなければ今回は101回目の記事ということになる(当たり前でんがなおーっ!)。そして。過去、どこかで草間彌生と、その作品についての記事をずーっと書こうと思っていながら、書けなかったのだが、ようやくその決心がついた。
今回のテーマは草間彌生とその作品のこと。101回目の、草間彌生へのプロポーズというところだろうか(苦笑)。まさかアセアセ

まず僕の記憶から。僕が草間彌生の名前を知ったのは、80年代の終わりくらいのことだったと思う。実際に初めて作品を観たのが、90年代の中頃で、そのくらいの時期に2度、草間彌生の作品を観ている。1度目は、それほど大きくないギャラリーでの個展。この時は、小学校の教室のような感じの空間が水玉で埋め尽くされたインスタレーションと、草間がポエトリー・リーディングしている映像が流れていて、その迫りくる感じに正直、少し気分が悪くなってしまったショック。草間作品との初対面だったということもあって。「お手やわらかに」、という感じであった。

2度目は、本格的にシュルレアリスムを日本に紹介した、(僕の大好きな)詩人の回顧展、『瀧口修造とその周辺展』で。こちらは、大阪の旧国立国際美術館で開催されたので、そこそこ大きな展覧会であり、瀧口修造と関わりがあった画家(1950年代くらいに前衛芸術と呼ばれていた、優れた画家のほとんどは何らかの形で瀧口修造と関わりになっているはず)の作品がキュレートされ、その中に、点数は少なかったが草間の、男根で埋め尽くされたオブジェや無限の網のような作品が展示されていて、このときは強いインパクトを受けつつも、美しい作品だな、と素直に思えた。

アートの展覧会というのは、作品が「ただそこにある」ということであり、音楽のLIVEのようにミュージシャンや周りの雰囲気が気分を盛り上げてくれることもないので、湧き上がるさまざまな感情は、作品と向き合った自分自身の中の、その時々の思考回路や身体の調子や感覚、気分などによって受け方が大きく左右されると思っている。だからこそ。アートの展覧会には、できるだけ研ぎ澄まされた状態で行きたいと思っている(それはそれで、ひじょうに疲れるのだが)。

そして、その次に草間作品と邂逅したのが、すでに高い人気が出ていた2012年の大規模の展覧会であった。この時は作品点数が多かったこともあり、圧倒的ではあったけれど、何より来場者の数が多くて。日本人アーティストとしては、かつてないほどの異様な熱狂ぶりだったと記憶している。

さて、ここで、草間彌生の簡単な略歴を紹介することにしよう。

草間彌生は1929年、長野県松本市の裕福な家庭に生まれ、草花などのスケッチに没頭するような少女であった。その一方、少女時代から統合失調症(医学博士の西丸四方が診断)を病み、繰り返し襲ってくる幻覚や幻聴から逃れるために、顕れる幻覚や幻聴をイマージュの源泉にして絵を描き始めたという(ホアン・ミロも同じようなことを語っていたように思うなぶー)。

1945年。大戦下に疎開してきた画家たちが立ち上げた「第一回全信州美術展覧会」に草間も出品して、僅か16歳で入選。高等女学校を卒業後、京都市立の美術系の大学で日本画を学ぶが、旧態然とした日本画壇に失望する。ほどなく実家へ戻り、絵の世界に没頭し始めて作品を量産、1952年には2度の個展を開く。1度目の個展の際に、医学博士の西丸四方が立ち寄り、草間の作品を購入。2度目の個展では、そのカタログに瀧口修造らの寄稿文が掲載されている。その後も。西丸博士と瀧口修造は、長きに渡って草間のよき理解者となった。

1954年から翌年にかけて。東京で4度の個展を開催。瀧口修造が草間をニューヨークの第18回国際水彩画ビエンナーレへ紹介し、渡米の糸口を作ることになる。そして1957年に渡米。活動の中心をニューヨークに置き、ドナルド・ジャッドやジョゼフ・コーネルらと親交を深める。絵画のみならず男根状のオブジェを既製品にはりつけた立体作品や、さまざまなインスタレーションを始め、ハプニングと称される過激なパフォーマンスも実行する。1966年にはヴェネツィア・ビエンナーレにもゲリラ的に参加し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとり、平和・反戦運動にも携わる。そして1968年には、映画『草間の自己消滅』を撮り、第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞するというマルチぶりを発揮している。

1973年。親友であり、パートナーでもあったジョゼフ・コーネルが死去した後に、草間は体調を崩し日本へ帰国、入院することになる。1978年には、処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』を発表。1983年には、小説『クリストファー男娼窟』を発表して「第10回野性時代新人文学賞」を受賞するなど、小説という分野においても、先の映画制作についても、すべては草間彌生というアートの、一貫した流れの中にある活動のひとつである、と理解したい。

暫くは表舞台に出てこなかった草間の活動が再び活発になったのは1990年代初頭からである。1993年、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加すると、世界的に再評価の動きが高まった。2009年には、巨大な正方形の絵画群である「わが永遠の魂」シリーズの制作を始め、2012年には「ルイ・ヴィトン」とのコラボレーションによるコレクションを発表するなど、商業分野での活動を含め、その創作意欲は常に衰えることがなかった。

次に草間彌生の作品について語ってみたい。草間彌生と聞けば、まず最初に浮かぶイメージは何だろうか。まず誰もが浮かべるのは水玉模様(特に白い空間に配された赤い水玉)か、直島の埠頭に設置された巨大な「黄色いパンプキン」のイメージ。もしくはルイ・ヴィトンとのコラボレーションした作品のイメージかも知れないし、もしかすると、作品ではなく、草間彌生という存在のインパクトなのかも知れない。

僕が思うに(そう、あくまでも僕の主観だ)。草間彌生のアートとは、今回のタイトルにもあるように『秩序』と『混沌』、『欠落』と『過剰』が生き物のように蠢いている、永久運動のようなものじゃないかと考えている。ミニマルアートのようでいて、マキシマル・アート(そんなもの、あるのか?)のような。つまりは、草間の作品と対峙した時の、完全に『秩序』が守られ『統制』がとられているように見える作品の中に『混沌』があり、その真逆の、一見、『混沌』とした『カオス』の状態にあるように見える作品の中に『秩序』があるのだと考える。草間の作品の中に顕われる、そのような状態は草間自身にも制御不能なものであり、それは生き物のように草間の内部で蠢き、共生してきたものだと思う(幼少の頃から持ち続けてしまった病気と関係があるのかも知れない)。

余談だが、草間彌生は過去から現在に至るまで、水玉をモチーフに数多くの作品を制作してきているが、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くしたように、草間が常に恐れ続けている幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉で埋め尽くす、という儀式である、とされているらしい。

それでは。(制作時期は正確には分からないけれど)草間彌生の作品をアーカイヴしていこうと思う。

■何という強烈なイメージだろうか。名付けるなら『エモーショナル・エロティシズム!』。ピエール・モリニエ風でもあるし、観ようによってはPOPに捉えることもできるという。でも、普通の視点で観れば、気持ち悪いものであることも確か。こんなのを好きだと言ってしまったら、女の子に嫌われるだろうな、と思う。

■初期の作品。抽象絵画であり、ミニマルアートでもあり、今回のタイトルである『秩序』と『混沌』がそのまんま混在している作品だと思う。

■これも初期の作品だと思う。

■男根で覆い尽くされたソファ。シュルレアリスム的である。

■男根meets水玉。この作品はシュルレアリスム的であると同時にPOPアートでもある。

■作品の中で。『秩序』と『混沌』が蠢いているのだ。

■最初期の作品(だと思う)。一応、絵画的になっていて、ホアン・ミロやヴォルスの作品の影響を感じるが、もっと飛躍するなら、パウル・クレーやカンディンスキーの作品の影響もあるのかな、と思う。

■シュルレアリスム的な作品に身を置くという、インスタレーションでもある。

■若かりし頃の草間彌生と作品。こりゃぁ、圧倒的だな。

■強い信頼関係を感じる写真。ジョゼフ・コーネルと。

■前衛芸術とは、前衛芸術家とは、かくも不可思議なものである、と。

■時代は流れても。草間のアートは永久運動であり続ける。

■もはや完全にPOPの意匠である。

■直島に設置されている、有名な作品。

■パンプキンmeets無限の網and水玉。

■草間が描くキノコは、男根のイマージュでもある。

■鏡を使った、無限のパンプキン。

■クサマ・ドット柄のルイ・ヴィトンのバッグ。Directed by マーク・ジェイコブスだ。


■「わが永遠の魂」シリーズ。強烈なエネルギーで数多くの作品を量産している。年齢を考えれば、恐るべきことである。






個人的に言うなら。草間彌生の作品の中では初期のものが好きだ。単身、ニューヨークに渡り、不自由な生活の中で圧倒的な作品を生み出し、アーティストとして徐々に頭角を現してくる、その感じは、僕の中では、(表現の手段はまったく異なるが)同時期のオノ・ヨーコにも重なるものがある(オノ・ヨーコに関しては、また別の記事にまとめてみたいと思う)。

そして。総合的に俯瞰しても。草間彌生はその長い活動期間の中で「多少、外れているのでは?」と思うような活動があったかもしれないが、『秩序』と『混沌』。『欠落』と『過剰』が蠢く、草間彌生という永久運動は、(たとえ彼女が鬼籍に入った後も)その時代に合った受け入れられ方をしながら、永く続いていくだろう。

それでは、またねニコ




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