ロマンティークNo.0060 冬に聴きたい吉田美奈子の音楽を語るときに、晩秋の今、僕が語ること。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

今回は60回目の記事投稿です。日頃、僕の記事を読んでいただいている方、「いいね」や「フォロー」をいただいている方に感謝しています。いつも、ありがとうございますニコ
 
そして今回のタイトルは、レイモンド・カーヴァーの本のタイトルを引用した、村上春樹の本のタイトルを
さらにパクッた(引用ですよーおーっ!)、僕の第1回目の記事のタイトルを、さらにさらにパクッた(だから、
引用です、ってば笑い泣き)、タイトルになりました。何だかとてもややこしくなっていますが。
それでは、『冬に聴きたい吉田美奈子の音楽を語るときに、晩秋の今、僕が語ること』。
読んでみてください。
 
人の気分は移ろい易く、巡ってくる季節の中で、聴きたくなる音楽もまた、移り変わっていく。例えば、春には、気分の上昇気流に乗ってくるような爽やかな音楽、夏にはリゾート感がたっぷりで、華やかな音楽、秋には、夏の間に火照ってしまった気持ちを少しだけ冷ましてくれるような、やさしい風が吹く音楽を。そして冬になれば、或いは冬の気配を感じ始めたなら、寒さに抗うように、凛とした空気が感じられる音楽とか。まぁ、人によって、いろいろな音楽があるのかな、と思う。

僕の場合は。冬になると必ず聴きたくなり、しかも、もう20年以上もずっと聴き続けている音楽がある。

吉田美奈子の『扉の冬』(『冬の扉』じゃないところがまた、いいな)。1973年にショーボートというレーベルからリリースされたファースト・アルバム。そもそも吉田美奈子は日本のロック・ポップスの世界では、その歌の上手さ、表現力の高さ、個性、革新性、ソングライティングの魅力、曲作りやアルバム作りのプロダクションのクォリティの高さにおいて、デビュー以来、現在までオンリーワンの、数々の魅力的な作品を残してきた人。特に、数年前からのJapanese City Pop Revivalの流れの中でも、揺らぎようのない絶対的な評価を受けている。彼女の活動と、その成果を振り返れば、まぁ、当然だと思う。

吉田美奈子が、初めて世に出たのは、日本のロックを確立した「はっぴいえんど」というバンドを解散したばかりの大瀧詠一のファーストソロ・アルバム(1972年発売)の中の『指切り』という曲でフルートを吹いたことが、彼女の音楽デビューである。そして翌年の1973年にリリースされたのが『扉の冬』であり、彼女の数ある魅力的な作品群の中でも、僕にとっては、とりわけ特別な1枚になっている。もちろん、それ以降も大好きなアルバムが多いのだが、『扉の冬』には、他のアルバムでは感じることができない「少女」が棲んでいるからなのかな、と思っている。そして、その二度と取り戻すことができない「少女性」を内包した、微妙な揺らぎがある音楽の佇まいと、1973年という時代の空気感、そして彼女の繊細な感受性が描いた冬の情景がそのままの形で封じ込められている。

似ているものがなく、オンリーワンの魅力が充満しているので、他に較べるべきものはないが、強いて同じ匂いがするものと言えば、同じ1973年に発売された荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』と、続くセカンド・アルバム『ミスリム』(このアルバムの収録曲の内、数曲に吉田美奈子がコーラスで参加している)と、やはり冬になると聴きたくなってしまう、ローラ・ニーロの1969年のアルバム『ニューヨーク・テンダーベリー』かな、と思う(吉田美奈子は和製ローラ・ニーロと呼ばれたことも、あったらしい)。

話を『扉の冬』に戻そう。プロデュースは細野晴臣。そしてバックを担当した、細野さん率いるキャラメル・ママによる、都会的で、豊かなニュアンスに富んだ演奏は、このアルバムの大きな魅力になっている。特に『かびん』のイントロときたら。たまらなく好きなんだなぁ。

まぁ、そのようなことで。ある冬の朝に。暖房の効いた部屋で(外との温度差があるほど、雰囲気だな)、窓の曇りを指で拭き、窓越しの風景を眺めながら、温かいミルクティーを飲み、この『扉の冬』を聴けば、きっと(うーん、多分おーっ!)部屋中に特別な時間が流れてくるはず。ぜひ、試して欲しい。

それから。今回は冬に聴きたくなる音楽というテーマで『扉の冬』にスポットを当てて書いているけれど、『扉の冬』以降についても少しだけ触れておこう。吉田美奈子は『扉の冬』を発売後、RCAに移籍。1975年には傑作アルバム『フラッパー』をリリース。この『フラッパー』では、大瀧詠一の名曲『夢で会えたら』を歌っているが、この曲をRCAからシングルカットしたいという依頼がきたとき、彼女は「自分のキャリアの中で、他人の曲が代表曲になるのが嫌だ」と主張するなど(結局、吉田美奈子が別のレコード会社に移ってから発売された)、音楽に対する真摯な姿勢と、クリエイティヴに対する強いプロ意識がよく表れたエピソードだと思う。また、ブレイクする前の山下達郎をフォロー。コーラスとしての参加や、達郎の曲に詞を提供しながら、その後は先程、説明したJapanese City Pop Revivalの中でも特に評価が高い、『恋は流星』や『頬に夜の灯』などの、素晴らし過ぎる名曲を連発。1981年には日本のファンクの傑作『モンスターズ・イン・タウン』で、パワフルで変幻自在のボーカルを聴かせ、さらにその後も、コンスタントにソウルやゴスペルなど、その時々のスタンスで、常にある一定以上の素晴らしいアルバムを制作・発表し続けている。

最近、よく素晴らしいボーカルを聴かせる女性歌手のことを「歌姫」などと表現する傾向があるが、吉田美奈子においては、そんな軟な表現はまったく当て嵌まらないし、どんな表現や言葉をも無意味にしてしまうほどのスケール感が、彼女にはある。こらぁ、聴いてもらうしかないのかな、と思う。

■吉田美奈子のプロ・デビューの仕事になった、大瀧詠一の名曲『指切り』。クラシックでもなく、ロックでもない、フォーキーなフルート(そんなの、あるのかな)が聴ける。


■吉田美奈子のファースト・アルバム
『扉の冬』のジャケット。


■『扉の冬』がフル試聴できる。
短いアルバムなので、
ぜひ聴いてほしいな。


■『恋は流星』と共に、
リスペクト度が高いCity Popの
名曲『頬に夜の灯』


■問答無用の
ファンク・ミュージック『Town』


ほんとうは、日本人のひとりだけにスポットを当てた最初の記事は、ずっと細野晴臣でいこう、と思っていたんだけれど。特に深い意味はないが、今日、書きたかったのは細野さんについてじゃなくて、吉田美奈子だった、と。そういうことです。細野さんのことは、またいずれ、愛を込めてちゃーんと書こうと思っている。


それでは、また。