教育基本法と教育勅語 (1)、そして総理夫人 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

皆さんは戦後の教育基本法と戦前の教育勅語を読み比べたことがありますか。教育勅語の現代語訳がネット

 

http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm

 

で読めますから是非読んで見てください。A4で1ページほどの短い文章です。要約すると、教育の基本は、夫婦、親子、兄弟、家族、友人ともに助け合い、より住みやすい社会を作るために各人の持ち前を生かして貢献できるような人々を育てるためにあると簡潔な言葉で述べています。

 

一方、アメリカの占領政策で、白人の覇権を脅かした日本がその実力を再び興せないようにするために、アメリカは教育使節団を戦争直後に日本に派遣して、日本の底力の根源を分析させてそれを報告させました。そのためには、今後の日本の教育をどうすれば良いかを提案をさせ、その報告書を実質的に日本語訳にしたものが、戦後の教育基本法です。その報告書はそんなに厚いものでなく、『アメリカ教育使節団報告書』(講談社学術文庫)として日本語訳が出版されています。これを読んでみると、戦後の教育基本法はこの報告書の丸写しじゃないかと、驚かされます。

 

 

教育基本法には一見素晴らしい理念が並んでいますので、私の友人も教育基本法のどこが危険なのかと私に質問したことがありました。実は、危険なのは、そこに何が書いてあるかではなくて、何が書いていないかにあるのです。上記教育使節団の結論は、日本人の底力の根源は、互いに助け合う家族や社会の強い絆にあると見抜きました。そこで、戦後の教育は戦前の教育勅語の中心概念だった家族の役割にできるだけ触れず、その代わりに個の尊厳を前面に出し、個人主義を徹底させることにしました。戦後の日教組の方々は教育基本法の美辞麗句に惑わされて、それを金科玉条として団塊の世代を教育しました。それが見事に成功した結果が、核家族化です。あるいは家庭崩壊です。そう、各家庭におばあちゃんの出番がなくなってしまったのです。そして社会貢献に全く興味を示さないニートを輩出してしまったのです。

 

マスコミが人々を洗脳したり情報操作をしたりする技巧の一つに、何を書くかではなく、何を書かないか(あるいは、何を知らせるかではなく、何を知らせないか)という方法があります。いわゆる「報道しない自由」と揶揄されている技法です。これは、マスコミばかりでなく、国民や子供達の教育を通して情報取得者や情報管理者が自分たちの都合の良い方向に人々を先導して行くときにも使われてきた技巧です。

私は、マスコミや日教組の方々の主張に惑わされずに、教育勅語の精神を復活させて、今のように単なる個の集まりだけで、社会が存在していない弱肉強食の世界ではなくて、人々が社会を持ち、互いに助け合うことの大切さを知っている世の中にして、おばあちゃんの復権を目指す世の中にしたいと考えています。

 

日本維新の会を除いた野党とマスコミが、総理夫人の安倍昭恵さんと稲田朋美防衛大臣を誹謗する宣伝活動を現在執拗に続けております。このお二人に共通したことの一つは、共に教育勅語の精神を高く評価し、出来ることなら、この精神を再び日本の教育に取り戻したいと明言していることです。私には、日本の社会や家族の絆がより一層強くなり、人々が「俺が俺が」と自己中心的でなく、他の人々の役に立てることができるようになることを倫理目標として高らかに謳い上げた教育勅語に異を唱えるマスコミやそれら野党の人々の考えが理解できません。核家族化で子育てに必要以上に不安を抱くようになってしまった若い母親たちや、社会奉仕に一切興味を示さない自己中心的な若者たちを輩出させてしまった戦後の教育行政の失敗をこのまま放置せよとでも言っているのかと解釈されかねないマスコミやそれら野党の主張には、何か裏があるのではないかと勘ぐられても文句が言えないのではないでしょうか。