ご挨拶、ご挨拶 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

アメリカの正月は近年の日本の正月のように味気ない正月です。でも正月だ。昔は日本人は正月に一才歳が改まった。正月は日本人全員の誕生日だったんですね。毛唐どもに憧れるあまり、そんな目出度い誕生日を失ってしまって、正月の重みがジリ貧になってしまうのは致し方ないか。でもやっぱり正月だ。ご挨拶、ご挨拶。

んで、去年のご挨拶を読み返してみたら我ながら巧く出来ている。だから去年のコピペで行きましょ。

ドン・キホーテで3年前に買って来た門松を暖炉の上の棚に飾って、アメリカの正月を迎えました。

ではまず一休さんの歌から、

 餅つかず しめかざりせず 松立てず かかる家にも 正月はきつ  一休宗純

そして私からの返歌を一首、

 餅ついて しめかざりして 松立てて 異国の家にも 正月はきつ  敵刺熊楠

さあ正月だ。

 門松は 浄土の旅の 一里塚 自力の一休 冥土がせいぜい

一昨年の正月『新年のご挨拶』   で詠んだ歌も、

門松は 冥土の道の一里塚 とは言うものの みんな長生き 目出度くもあり まだ欲もあり


理屈を捏ねる一休さんには次の都々逸を捧げましょ。


 井戸の蛙が空うち眺め 四角なものだと議論する


理屈からじゃなくって、罪深き経験から自分の至らなさを学べる私たち凡人には他力の極楽が待っていると仏様もキリスト様も保証してくれています。

     
回文    篝火

正月に因んで篝火を焚いた初詣の情景を回文(上から読んでも下から読んでも同じ)で詠んでみました。作るのに3時間かかりました。

長き田の 水辺の岸に 雅の火 闇錦野辺 隅の滝かな 

(なかきたの みすへのきしに みやひのひ やみにしきのへ すみのたきかな)

暇だねー。日本人に生まれて来たことがこんなことでも確認出来るとは、有り難いことです。

皆様良いお年を。