クリキントン讃歌 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

今回の随筆には初めから誤植がありました、クリントン讃歌と書くつもりだったのですが。

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彼が大統領だったとき、私は彼を嫌いでした。その理由は、彼の演説がいつも私の学問に対する基本的な姿勢を台無しにしているように感じたからです。私が知っているアイゼンハワー以降の米国大統領のなかで、クリントンの演説は間違いなく第一級でした。オバマ大統領よりも巧い。私がアメリカ人の友人に、クリントンはアメリカが生み出した大統領の中でもっとも演説の巧い大統領ではないかという感想を述べましたら、その友人もそう思うと言っておりました。

彼の優れている所以が、これから紹介する話でもよく判ると思います。今から何年も前にアメリカのナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)を聞いていた時でした。その時は、クリントンの元スピーチライター長がインタビューされていました。このスピーチライターが書いた演説の原稿の修正に対する注文を、クリ ントンは真夜中の2時過ぎにでも電話してきたそうです。初めの頃は、

 「この演説はなんだ。お前の演説は言葉ばかりではないか。演説は言葉ではない。シンボルである。お前の演説の中にはシンボルがない」

とたしなめられたとのことです。これを聞いたとき、やはり私の直感は間違っていなかったと思いました。クリントンは天性の演説家なのだと。蛇足ですが、言葉とは即ち論理のことでしょう。

ついでに、彼の優れている証拠に触れますと、スピーチライターが彼に渡す演説の原稿は、いつも与えられた長さの半分、例えば30分の演説時間なら15分にして置いたそうです。クリントンは演説の途中にいくらでも即興の話を入れてしまうので、そうして置かないと時間が足りなくなってしまうからだそうです。

その反対に、驚くほど無能だったのが息子の方のブッシュ大統領でした。彼は演説の原稿を読むときに語彙が豊富な人でないと聞き慣れないような言葉が出てくると、諸っちゅう発音を間違えて、口ごもっていました。どんな人でも、それが自分の心の中から出てきた言葉だったら、発音を間違えるなんてことはあり得ません。だから、ブッシュの演説はいつも、自分の頭で考えずに、スピーチライターに用意してもらった演説を棒読みしていたことが、見え見えだったのです。

私がこのクリントンの第一級の演説を聴いていて腹が立って来るのは、その演説があまりに巧みなために、 空っぽな内容でも、間違つた主張でも、大事なことに聞こえてしまうからでした。別の言い方をすると、彼はその演説の中で言葉の陵辱をしているのでした。これでは、人々はますます言葉を信用しなくなってしまいます。

物理学者としての私の専門上、私が常に心掛けているのは、言葉と実態の一致です。空っぽな内容はそれが空っぽだと判るように、また、重要な内容は重要だと判るように言葉を選ぶ、この当たり前なことを心掛けておかないと、学者としての私が何かを発見した時にそれを報告する手だてがなくなってしまうからです。

この点に付いて、私は幸運にも、クリントンと正反対の言葉の魔術師を真近に見る経験をして来ました。私の恩師、故プリゴジン教授は1977年にノーベル化学賞を戴いた方です。教授の講演もやはりシンボルの連鎖でした。ただし、教授の演説では、言葉をその実態に近づけていくための最大限の努力がはらわれていたことが、クリントン大統領の演説とは違うところでした。

私は学者という職業柄、皆さんの前でしゃべる機会が多くあります。私の学生には、

「10分や15分のプレゼンテイションで聴衆を解らせようとしても無理だ。本当に解ってもらうためには貴方の書いた論文をじっくり読んでもらう以外にはない。だから、論理的な運びでのプレゼンテイションなどするものではない。幾つかのキーワード をぶつけて聴衆を解った気にならせる。後は、皆さんにそのキーワードを咀嚼してもらって自分で考えてもらうようさせるのが、皆も聞き易いし、好ましいプ レゼンテイションである。」

と教えています。

実際、そのキーワー ドを咀嚼して自分自身の言葉で理解した人は、こちらの提示した論理で納得してもらうよりも遥かにその人の理解は深まり、そして、貴方に対してすごく親近感を持ってくれるようになります。ただし言うは易く行い難しで、学生には偉そうなことを言っていても、私には中々実行できないものです。

いずれにしても、皆さんが5分間なり10分間のスピーチをする機会がごさいましたら、

「スピーチは言葉ではない、シンボルである」

という、このシンボル的とも言えるクリキントンじゃなかった、クリントンの言葉を思い出して下さい。