第1章では、家庭環境と国語力に焦点が当てられています。

 

冒頭、ある中学の教室内の会話が書かれています。

 

男子A「あのゲーム、くそヤバかったっしょ」

男子B「ああ、エグかった」

男子C「ってか、おまえ台バン(ゲーム機の台を興奮して

叩くこと)しすぎ」

男子A「あれ、まじヤバかったよね。店員ガン見だから」

男子B「くそウザ」

男子C「つーか、おまえがウザ」

男子B「は、死ねよ」

男子C「おまえが死ね」

 

これは今の中学生の間で行われている会話としては普通らしいです。

でも、なんか、その現場を見なくても想像できますね。

 

現場の教師によれば、教室内で会話するグループは、不思議と

子供が持つ国語力によって決まることが多いそうです。

 

教師へのアンケートによれば、国語力が低下している、あるいは

不足していると感じる教師は8割にものぼったそうです。

 

国語力に変化が出てきたのは、2000年前後だといいます。

若者の間にインターネットや携帯電話が普及し、出稼ぎで来日した

外国籍の子供が急速に増えた時期です。

家庭では、テレビゲームをして育った者たちが親になった時期と

重なります。その親たちは、バブル崩壊以降の不景気の中で、

共働きによって家計を成り立たせるようになった世代です。

 

親が子供と向き合う(読み聞かせをする・一緒に芸術鑑賞をする・

ニュースなどについて子供と話す)ことは、子供の国語力への

影響からとても大切です。

 

教育でも格差が言われますが、それは単に経済的な格差ではなくて、

家庭環境(親が子供にどう接しているか、どんな振る舞いを見せて

いるか)による格差のようです。

 

こんな例もあります。

ある子供が母親にこう言われたという。

「ゲームばかりしてるとお父さんに怒られるよ。

まあ、今日はいいか。勉強もしたしね。」

その直後、子供が激怒して母親に対して暴力を振るった。

 

どうしてその子が激怒したのか見当もつきませんね。

国語力のない子は言葉を文脈の中で理解できず、一語一語

区切って読んだり、理解したりするようです。

 

先ほどの母親の言葉が

「べんきょう」「した」「しね」と聞こえたというのです。

「勉強」「した?」「死ね」

うそみたいな話ですが、多くの教師によればこのような

誤解はよくあるようです。

 

この場合でも、普段の母子の会話が貧困だったことが

想像されます。

 

著者は家庭環境がよくないといわれる偏差値的には40台前半

以下の子が通う課題集中校(底辺校・教育困難校)を取材します。