昨日6月3日テラスが旅立ちました。

2日の昼間にしばらくと夜に何時間も痙攣をして、真っ黒な

うんちや口からも液体を出したりしてたのでお迎えが

近いと思ってました。

 

3日の朝には痙攣が治っていましたが、午前中にまた始まって、

それまでは2Fに寝てたのですが、暑くなるといけないからと

1Fに寝かせ、お母さんが近くで見守っていました。

 

私は仕事で出てたのですが、お昼ごろお母さんから電話があって

どうやら亡くなったと知らせがあり、家にかえって、

少し口と目を開けたテラスに会いました。

 

頭をなぜながら、安らかにと伝えたと思います。

 

およそ16年と10ヶ月ほど一緒に暮らしました。

 

前の犬シシマルがなくなってそれほど経ってなかったと思いますが、

お母さんが保健所に行って5匹兄弟いた中でじゃんけんで2番目。

 

家にやってきた日のテラスです。

 

2人の息子に犬の名を募集したところ、「テラス」と「ノブナガ」が

候補となり、どちらか決めかねて、「テラス ノブナガ」となりました。

 

でも、フルネームで呼ばれることはありませんでした。

 

1歳になった頃、毛をしっかり刈ってもらったら、みすぼらしい感じになったので

以降は短く刈ってもらうことはありませんでした。

 

一緒にあっちこっちに行きました。

 

山は初めの頃は百々ヶ峰ばかりで、ちょうど2歳のころが最初だった

ようです。

 

それ以降は百々ヶ峰は一緒に行くことが多くて、調べてみたら

150回ほど一緒に歩いてます。

 

雪の日にも。

 

山頂まで行かなくて、散歩として5合目あたりまでも歩きましたので

それを含めると200回以上百々ヶ峰を歩いたかな。

 

金華山は歩く人が多くて迷惑になるといけないので行きませんでしたが、

いつの頃からか、八木山、明王山、陰平山など各務原や関の山にも

行きました。

 

八木山では2m以上ある岩場も、ぴょんぴょんと登って余裕でした。

 

「○○隊」として歩いた百々ヶ峰では子どもたちと走り回ったり、

ボーイスカウトたちに囲まれたりと人気者でした。

 

泊まりがけでも出かけました。

 

これは長男の明治神宮での挙式に向かうべく家族で出かけた時の

富士川SAでの記念撮影です。

 

そういえば、この写真の私の母の命日が9年前の6月1日で、

その2日後、なんとも覚えやすい日にテラスは旅だったことでした。

 

次男が軽井沢の石の教会で挙式した時も軽井沢のペット同伴OKの

ホテルで泊まりました。

 

走るのも大好きで広場では駆け回りました。

 

松坂や高山のわんわんパラダイスにも逝きました。

 

3日の夜にこのブログのための写真を選ぶために膨大な数の

写真を見てみましたが、思い出は尽きません。

 

いつの頃からか朝の散歩は私、夕方の散歩はお母さんの担当となり、

ほとんど毎朝歩きました。

 

元気な時はどこまで行くんじゃ、というほど南へ、北へ、東へ

西へ歩いていきます。

散歩が1時間以上になることもしばしば、でもどこまで行っても

帰り道は覚えているんですね。

 

散歩の時はテラスの行きたいようにしてたので、晩年になって

歩く距離が短くなるにつれ物足りなさ、さみしさも感じました。

 

これは昨年3月、テラスと最後のお花見散歩でした。

 

後ろ足が立てなくなってからハーネスをつけたりしましたが、

その時期も短く、ほぼ寝てる日々になりました。

 

一時は2日交代制で夜はお母さんの部屋、私の部屋としてましたが、

夜中にぐずることが多くなり、近くの動物病院から安定剤をもらって

お母さんの部屋でずっと過ごすようになりました。

 

椅子にテラスを抱き抱えて食事や水をやったり、おむつを交換したりと

本当に献身的にテラスを支えてくれました。

 

私ですか?

私もそれなりにやりましたよ。

 

以前、元旭動物園の園長さんの対談で、具合の悪いゾウだったか

いたのですが自分は出張で東京に行かなくてはいけなかったので

自分が帰る頃まではもたないだろうなと思ってたところ、

ちゃんと生きていて、自分が声をかけたら反応をして、それから

亡くなった、動物は自分の一番大事な人のそばで亡くなるという

話を読みましたが、テラスも一番大事な人に見守られて逝きました。

 

ペットロスですねえ。

こうしてテラスのことを思い出しながら過ごしていると、うるうる

してしまいますが、例えば運転してる時でもふいにうるうるして

しまいます。

 

でも、こんなふうに思うようにしようと思っています。

 

テラスのおかげで、どんなに私の人生が彩られたことか。

 

考えてみれば、テラスの方から能動的に私たちに対して

何かをしてくれた、笑わせてくれた、慰めてくれた、

ここ掘れわんわんで金貨のありかを教えて喜ばせてくれた、

そんなことはしなくても、いるだけでよかったんですね。

 

いることだけで、笑顔になったり、気持ちが落ち着いたり、

心配ごとを忘れられたり、そして普段は会話のない夫婦の

間にいて会話の取り継ぎ役を果たしてくれたり、

考えてみれば、すごい存在やったんやね。

 

テラス、私たちの人生を彩ってくれてありがとね〜‼️