30年以上、いろんな親子を見てきました。

その経験から、親さん(特にお母さん)がとてもしっかり

していて、お子さんの勉強のこともあれこれ管理して

いる場合より、少しくらい抜けてて(失礼!)あれこれ

言わない場合の方が勉強できる子になる確率が高い

ように思います。

 

これ、人の世のある意味、面白さですね。

自分は誰かにAの方に行ってほしいと努力するのだけど、

結局はBの方とか、へたするとZの方に行っちゃいます。

 

そりゃ、自分でも自分が思ったり望んだりした方向に

必ず行くかというと、そんなことはあまりないことが多い。

他人(わが子も含め、自分以外の人)なら、なおさらです。

 

他人を変えることはムリです。

 

このことがわかるまでに私の場合、50年以上かかったと

思います。

 

本当は簡単にわかるはずのことですけど。

 

自分がその他人の場合、つまり誰かからあれこれ言われたことを、

常に受け入れられるかというと、受け入れられない場合が圧倒的に

多いですもんね。

 

よほど信頼・信用・尊敬してる人からでないと聞き入れられません。

 

他人を変えることができなければ、どうしたらいいの?

 

「自分を変えるしかありません。」

 

って、書くとたった1行ですけど、行うのは容易じゃありません。

容易ではありませんが、覚えておいてやってみる価値はあると思います。

 

さて、人ってつくづく誰かから見ていてもらわないと、

そしてできれば認めてくれたりほめてもらえなければ、

やってられないなあ、そう思います。

 

幼い頃は、「ねえ、パパ(ママ)、見てて!」と素直に口に

出せましたが、小学高学年ごろからはムリですね。

 

でも、大人になっても、いつも誰かに見ていてほしい、

うなずいてほしい、すごい!と言ってほしい、何をするにも、

いちいち意識はしませんが、そう思ってるはずです。

 

例えば、仕事を持っているママなら、職場では上司や同僚に、

家へ帰ればパパや子どもたちに、時には(亡くなっていても)

母や父に、友だちに、同窓生たちに、今の自分を見てほしいと

思って動いています。

そうじゃありませんか?

 

たとえ言葉に出されなくても、自分が見てもらっているか、

見てもらっていないかは、わかりますよね。

 

それが、「自己肯定感」や「自己有用感」につながってると

思います。

 

ただ、子どもの場合は、ちゃんとした形で、「あなたのことを

ちゃんと見てますよ。」というメッセージを出してあげないと

いけないでしょうね。

 

わが子がやったポピーにまるやはなまるをするのも、そうした

はっきりしたメッセージになると思います。

 

紙に書いたまるやはなまるのメッセージは子どもの目によく

届くでしょう。

口で、「よくがんばったね!」っていうよりも。

 

もちろん、口+はなまるの方がいいでしょうけど。

忙しい時は、夜にしたはなまるを翌朝見せられるし。

 

今、タブレット教材の利用が増えてますが、タブレットでは

はなまる、ムリですもんね。

 

ある問題に答えられるかどうか、テストで良い点が取れるかどうか、

それも自信につながることではあるでしょうが、子どもの

根っこのところに「心の安定」をもたらすのは、人からの

目に見えるまるやはなまるだと思います。

 

目に見えるまるやはなまるは、単に「正解です」「合ってるよ」

「よくできたね」というメッセージだけではなくて、届いた

先の子どもの心の底に溜まっていく温かいものでもあると

思うのです。

 

そのようにして積み立てられた「自己肯定感」や「自己有用感」は

一生ついてまわり、人生のいろんな場面でその人に良い作用を

与えると思うのです。