新美南吉作 長野ヒデ子絵 偕成社
子どもが7人、半里(およそ2㎞)離れた本郷という所のお祭りを
見に行くために夜道を歩いています。
月の光で子どもたちの影も動いてゆきます。
本郷に着くと、子どもたちは下駄屋さんに入ります。
小学3年の文六(ぶんろく)ちゃんの下駄を買うように
文六ちゃんのお母さんに頼まれたからです。
下駄屋のおばさんが文六ちゃんに合う下駄を選んでいるとき、
店に入ってきたお婆さんが、
「晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに」と言います。
でも、下駄屋のおばさんがおまじないをしてくれました。
子どもたちは綿菓子を食べながら舞台を見たり、鼠花火を
はじかせたり、かんしゃく玉を石垣にぶつけたりして遊びます。
山車の人形がまばたきをしたり舌をペロッと出して踊るのを見て、
ふだんとは違ってちょっと無気味に感じたりしながら帰路に着きます。
子どもたちが何か心配しながら、行きとは違ってだまって歩いている時、
文六ちゃんがひとつ「コン」と咳をします。
文六ちゃんの家は、帰り道の途中から細い道を行く先にあります。
いつもなら3学年上の親切な義則(よしのり)君が家の前までついてきて
くれるのですが、ついてきてくれません。
家の玄関の前で文六ちゃんは、本当に自分が狐になっていたら
どうしよう、と心配になります。
(この場面の文六ちゃんの影が狐に似ています)
お父さんは組合でまだ帰っていません。
お母さんに聞かれるまま、お祭りのことを話しますが、
急に
「母ちゃん、夜、新しい下駄をおろすと、狐につかれる?」と
尋ねます。
お母さんは否定しますが何度も尋ねます。
床でお母さんと横になりながらなお聞きます。
そして、もしほんとうに狐になってしまったらどうする?
しばらく考えてお母さんはこたえます。
狐になったら「もう、うちにおくわけにゃいかないね。」
今でも狐がいるという鴉根(からすね)山に行くと。
「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
するとお母さんは、かわいい子どもが狐になってしまったら、
この世に何の楽しみもなくなるので、明日の晩げに新しい下駄を
買って、一緒にきつねになる、そう言います。
その山には猟師はいない?
いるだろうけど、穴の中でちいさくなってりゃいいよ。
冬になって雪の中、食べ物を探しに行って、漁師に追いかけられたら?
「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう。」
そんなのいやだ、いやだと文六ちゃんはお母さんの胸にしがみつきます。
「涙がどっと流れてきました。
お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました。
そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕を拾って、あたまの
下にあてがってやりました。」
図書館で新美南吉のところにあったのを借りました。
絵本ってほんとに人間の原点に気づかせてくれますね。
誰かがボソッと言ったことが、それを耳にした人たちの
心を乱します。
子どもたちには特によくあることですね。
私も小学生の頃、「あの子は実は」的なことを間に受けたほう
だったかなと思い出しました。
この話は母心に感動してしまいますが、母心ってそうだろうなあと
思ってしまいます。
文六ちゃんの話を聞いたのがお父ちゃんだったらどうだったでしょう。
「そんなバカなこと言ってないで、さあ、寝た寝た!」
で終わりそうです。
絵本は人にとって大切なことに気づかせてくれると共に、
けっこうな割合でほろっとさせられたりします。
涙腺が緩くなるのは、なにも歳とったせいばかりではなく、
読んでるうちにこちらの気持ちも穏やかになっていくからかな。
涙やワッハッハは心の健康にも大切だけど、日常涙がこぼれるような
ことってそうそうないし、絵本って特に今の時代必要ですね。
