柳田邦男著「人生の1冊の絵本」(岩波新書)に載ってた本です。

D・ムラースコヴァー文、関沢明子訳、出久根育絵

 

がけにあるかえでの木から旅立ったかえでの葉っぱのお話です。

 

木から離れたらずっと遠くへ飛んで行きたかったその葉っぱは、

木の近くに落ちてしまってがっかりです。

 

そこへ石の中の銀を探しに来た男の子と知り合います。

少しお話をした後、風が吹いてきて、その男の子に

風に乗っけてもらいます。

 

葉っぱは、ツバメと空を飛んだり、畑に落ちて畑に食われそうに

なったり、秋の花が咲く野原で子どもたちの元気な様子を見たり

します。

 

いい気持ちで小川を流れているときには、自分が黒っぽくなった

ことにも気づきます。

 

そして冬になるころ森に下ります。

葉っぱの上に霜が降り、雪が降って葉っぱは雪の下で冬を過ごします。

雪の下では、ヒナギクの種が春の準備をしていました。

 

春になって、葉っぱは自分が灰色の蜘蛛の巣のような骨だけになった

ことに気づきます。

 

身軽になった葉っぱは屋根の上からの眺めを楽しんだり、夜に星空と

家の明かりを交互に見たりして過ごし、次の秋が来たとき、あの

男の子が焚き火をしているのを見つけます。

 

そして、そっとその灰の上に落ちます。

燃え尽きるまでの短い時間に、男の子に今までのことを

話します。とても小さな声なのに、男の子は葉っぱの話が

よくわかりました。

 

この絵本を読み終えるときにびっくりしました。

この絵本のラストは

「葉っぱは燃えつきました。

少年はじっとたき火を見ています。

みちたりた気持ちでした。

だれでも、たき火のそばではしあわせになるものです。

なぜかはわかりませんが、そうなのです。」

 

びっくりしたのは、この絵本の内容ではなくて、

この絵本を読む前日に、ネットでたき火台を検索していた

からです。そろそろ、たき火台を買おうかなあと思って。

 

これからの季節、たき火、いいですね。

 

さて、それはさておき、柳田さんはこの葉っぱのお話を

「個性豊かに生き抜いたひとりの人間の生涯を描いた物語」と

受け止めています。

 

私は、今の自分を思いました。

枝から葉っぱが落ちた後のお話ということは、人生で言うと、

定年退職後のお話と思ったからです。

 

そして、まだまだ少しは色づきを残しながら、徐々に

枯れていってることにいつか気づきながら、最期は自然に

自分の死を受け入れられる、そうありたいなあと思ったのです。

 

この歳になると、同級生も何人かはすでにこの世にいません。

自分の気力や体力の衰えを感じるとき、その先のことにも自然に

思いが至ります。

 

先ほど、「徐々に枯れていってることにいつか気づきながら」と

書いたのは、この絵本に合わせたのですが、実際には「いつか」

ではなくて、「すでに」ですけど。

 

でも、このお話は葉っぱの1年間の旅ですけど、自分としては

その20倍ほどの期間でありたいなあと思ってます。

 

この絵本の文を書いたD・ムラースコヴァーさんは、チェコの

絵本作家さんですが、このお話には絵がついていなかったようです。

そしてこのお話を読んだチェコ在住の出久根育さんが絵をつけた

ようです。

この絵が日本の画家さんのものとは思えないです。

 

主役の半分紅葉、黒ずんだ、霜が付いた、葉脈だけになった、

その時々の葉っぱの絵がすばらしいです。

私は特に霜が付いたのに魅了されました。

 

紅葉や黄葉は、葉っぱにもともとあった色素が、葉緑素が

なくなった代わりに出てくるのだそうです。

すっかり枯れてしまう前に、あんなに鮮やかになるのは

どうしてでしょうねえ。