現在では当たり前になった給与振込みですが、僕が(現在52歳)若い頃はまだ、給与は現金支給されていました。そうすると、懐が突然発熱?するわけで…。皆さん給料日には家に直帰せず、夜間の特別営業?に(飲み屋などへ)回られるわけです。

給料日でなくても、お財布に現金がたっぷりあると余計なものに支出をしたりして計画的な家計を形成することに困難を覚えがち…ということもあってか、単に会社の事務コストの改善のためか、給与振込みが普及したのかもと思います。

ほとんど聞かなくなった自宅預金ですが、銀行制度が普及する前は当たり前のように現金を自宅に保管していたのです。その時の工夫として、現金をそのまま保管するのではなく、現金化しやすい資産を蓄えるということが行われていたとも聞きました。例えば、金を購入して置いておくわけですね。そうしておくと金を使って買い物をするというと大変不便になるため、浪費を未然に防ぐ効果が高くなるという仕掛けです。

定期預金化するというのもこれと似た発想だと思うのですがどうでしょう。
いずれにせよ、通用するモノと蓄積するモノとを区別することになります。この関係は人間の生命活動にも古人は見出したわけで、生命活動に必要な力が各部位で異なりながら、それぞれが共通に必要な力を「精」と名づけたのではないでしょうか。そうすると、蓄えるのにふさわしい精の様態は「気」ということになります。

心意混元では「意」つまり意思で「神」、これはとりあえず感覚としましょう、を導き、中丹田を刺激し続けます。すると中丹田は「気」を生じると教えているのです。この気はここでいっている生命活動のための基材の一つですが、精とは異なり消費対象ではなく、中丹田に蓄えられることになります。

そしてそれを元手に、精を生み出します。すると気が消費された中丹田は新たに気を生じるのです。その後、精を再び気に変換して中丹田に格納するように指導される意味が見えてきます。気→精→気の循環によって中丹田の蓄える気が増えることになりますね。まるで貸付が利息を生み出すような感じでしょうか。

気功術が様々に語られているようで、それぞれの解釈が開陳されています。それぞれに違ったメソッドを提供されているようです。それらのどれが正しくて、どれが誤りなのかを論じることからはあまり実りはないでしょう。

それぞれのメソッドが正しければ、標榜している効果を生み出すに違いないですし、その効果がそれぞれに異なっていることも間違いないからです。少なくとも指導されている方がそのメソッドを用いて、目標している効果を得ておられるならばそれぞれに正しいということになりましょう。

学生たちに指導しているのは神を積んで気を生み出す気功法。つまり気功の元手を積む方法を中心にしています。なので、合宿などを主催し自然の中の清浄な空気の中で、混元気功、無極功が中心になっているのです。熱心な学生の中には自分で気功法を調べてきてあれこれと質問してくれます。とても楽しく、嬉しく質問を受けているのですが、やっぱりそれぞれのメソッドの違いが中心になっていますので、答えはほとんど同じになります。
「やってご覧?きっと違うところに連れて行ってくれるよ」ですね。

養った丹田は地に着くほどに育ちます。そうすると丹田に寄りかかるような太極拳が打てるようになります。とても楽に体が動くのが実感できます。そのように身体ができてくると、教室で要請されるような身体条件は自然と備わってくるように思えます。

まだそうなっていないって?だからと言ってトーロ練習やその他の練習は無駄にはなりません。それらはみな、陳式心意混元である限り導引功として機能するのですよ。方程式を解く時に問題から進みつつ、答えから迎えに行くのと同様の働きが期待できますのよ。ホホホ。慌てて、架式を低くしてしまうと折角の丹田が、地に着く前に落ちてしまうのです。

で、お前が落としたのは、……。

お後がよろしいようで。

あまり太極拳では用いない言葉ですが、
応答」ということをここ数年の間、考え続けています。

もちろん太極拳の基本原理は
陰陽です。
陰陽が転換して太極拳の力になります。

で、ここで応答。ですが、
陰陽は応答しているということに、
今年の勉強(易)で気づきました。ね。

対立だけではなくお互いが応答し合っている関係。陰陽。

人間関係でも同じことですね。
応答がないままに進めば迷い、
応答を無視して進めば勝手になり、
どうも具合が悪いことになってしまいます。
(ストーカーも応答関係が成立していませんな。そういえば…)

捨己従人
が太極拳の戦闘原理だからです。
太極拳の対人原理ということ(仮)。へへへ。

で、いつも周囲の人と太極拳をしているわけではありませんが、
それでも
応答が成立しているかは大切な基準になっている気がします。

一定のパターンが形成された応答は、「」ということにもなりますかね。
そして
居心地が良い応答が維持されるために、
欠かすことができないものが
信頼」ということでしょう。

つまり、人間関係の維持、
「縁が円」になって和を生み出すための方程式は
「縁」+(「信頼」+「応答」)→「円」
これが熟成してくると「和」が実るのかなと。

今日の教室でも人間関係の縁に関わるお話を聞くことができたので、
ふと、そんなことを思い出したのでした。

ともかく
「縁」は結ぶもの
もつれさせてはいけませんね。(自戒)
もつれてしまうといつか「ブチッ」と…。
上手に美しく結べるようになりたいな。
11月22日~24日は東京大学駒場祭に参加しました。

学生たちは直前まで一人で24式が打てない人もいましたが、
当日の朝の練習も含めてなんとかやり通せました。
結果オーライ。

やっぱり一夜漬けに強い東大生。
形は一夜漬けできても、
中身は無理よとは、いつも言っているのですが、

形を覚えだした途端、
「上達した」とか、「次はどんなのを?」とか。

東大生と書いてバカ野郎とでも読めば良いのか。
太極拳の型はフォーミュラ(方程式)ではないことを自ら証明する学生たち。

表演で震脚を踏みすぎてお腹の調子が悪くなった、そこの君。
気をつけなさい、太極拳はたゆまず練功できるからこその最強拳なのだから。

推手の相手をしてくれた、剣道の経験者さん。ありがとうございます。
剣道はとってもまっすぐな力の使い方をすることがよくわかりました。

なんやかんやで走り抜けることができた駒場祭。
終わってみれば自分が老いていることを実感できました。
疲れがなかなかとれない……=_=;;

疲れが酷い時には、瀉法ではいけません。
無極トウで内気をただ養います。

中丹田を意守することが座禅との違いかと。
中丹田を観る聴く想う。

無にならずに、中丹田に太極が生じることを感じることがまずはゴールです。
あせらずにじっと待つマツ、
このときの核心は
信頼だと気付きました。
丹田を信頼しないと応答がありませんね。
自分の中にある独立した命=丹田。
独立した命を尊重して、信頼することが大切なのねぇ。

また、ぼやき……、かもですね。

なにかにつけ言い訳をする事ばかり長じていく生徒さんがいます。
「あれがこうだから……できませんでした。」
「これがああだから……できませんでした。」
できないのが当たり前と知らないのかしら、と思います。
長いようで短い人生です。
完璧な状況が必要十分条件なら、何もできないでしょうよ。
できる範囲で解決することはできないですか?
できる範囲で助けを求めることもできないのですか?
周囲に味方は誰もいないのですか?
頭を使うことを知らないのですか?

できない中で、できることをしていくのみ。
今日を生きるのみ。
今の功を積むのみ。
そうでなければ、
あっという間に人生を詰むのです。

あああ、と思う。
縁をもつれさせてしまう人たち、
縁は結ぶものであって
「もつれ」させてはどーしよーもないですね。
これは自戒。

言い訳の功が積み上がった生徒さんは
もう、見捨てるしかないのかな。
と思う今日この頃の練功です。

取り敢えず……と思い、収功。
つまらないことを考えながらでも、静功。
集中できないぞ、と思いながら、動功。
ダメだったなあと、反省の収功。

それでも功はあると後で知ることになります。
それでは、現在一起打太極拳24式動功。
暑さが正体を失ったのかと思う今年の夏。
降れば土砂降りという雨、脳まで煮えそうな温度上昇。

身体は熱を作って生きています。
動いて流れを促すことで、活性化しますが、
過剰を嫌うことをお忘れなく。

穏やか・緩やかに
身体を巡る気を充実させることが練功のポイント、です。

熱で湿が溜まると、
気が流れません。
この時に、内気圧を上げると痛みが出たり。
このような時は、
早めに鍼灸などで生命を外から支援しましょう。

痛くない鍼がお気に入り。
鍼と灸で、巡りを付けてもらって、
夏の午後にゆっくり昼寝……。極楽の味わいですね。

夕方、涼しくなったら、木陰でゆるゆると太極拳。
これが望ましい。