渡米前にドキュメンタリーフィルムで

心に深く永遠に刻まれた

比叡山の延暦寺の修行の話




いまになってよく調べてみると

 



やはり人間の次元を超えた「厳しい修行」


ウィキによると


籠山行

比叡山の修行は厳しい
山内の院や坊の住職になるためには
三年間山にこもり続けなければならない


三年籠山の場合
一年目は浄土院で最澄廟の世話をする侍真(じしん)の助手を務め
二年目は百日回峰行を
そして三年目には常行堂もしくは法華堂のいずれかで
90日間修行しなければならない


常行堂で行なう修行(常行三昧)は
本尊・阿弥陀如来の周囲を歩き続けるもので
その間念仏を唱えることも許されるが
基本的に禅の一種である


90日間横になることは許されず
一日数時間手すりに寄りかかり仮眠をとるというものである
法華堂で行なわれる行は常坐三昧といわれ
ひたすら坐禅を続け、その姿勢のまま仮眠をとる

十二年籠山では好相行が義務付けられており
好相行を満行しなければ十二年籠山の許可が下りない
好相行とは浄土院の拝殿で好相が得られるまで
毎日一日三千回の五体投地を行うものである


好相とは一種の神秘体験であり
経典には如来が来臨して頭を撫でるとか
五色の光が差すのが見えるという記述もあるが
その内容は秘密とされている
早い者で1~2週間、何年もかかって好相を得る者もいるという



千日回峰行

千日回峰行は、平安期の相応が始めたとされ
百日回峰行を終えた者の中から
選ばれたものだけに許される行である


行者は途中で行を続けられなくなったときは
自害するという決意で
首を 括るための死出紐と呼ばれる麻紐と
両刃の短剣を常時携行する


頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり
白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである
回峰行は7年間にわたる行である

無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発
真言を唱えながら東塔、西塔、横川
日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら
約30キロを平均6時間で巡拝する
1~3年目は年100日、4~5年目が年200日の修行となる

5年700日の回峰を満行すると「堂入り」が行なわれる
入堂前には行者は生き葬式を行ない
無動寺谷明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)
にわたる断食・断水・断眠・断臥の行に入る


堂入り中は、明王堂には五色の幔幕が張られ
行者は不動明王の真言を唱え続ける
毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽を汲み
堂内の不動明王にこれを供えなければならない


堂入りを満了(堂さがり)すると
行者は生身の不動明王ともいわれる阿闍梨(あじゃり)となり
信者達の合掌で迎えられる


これを機に行者は自分のための自利行(じりぎょう)から
衆生救済の化他行(けたぎょう)に入る
6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり
1日約60キロの行程を100日続ける
7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで
後半100日は比叡山中30キロの行程に戻る


満行すると「北嶺大行満大阿闍梨」となる
延暦寺の記録では満行者は47人である
またこの行を2回終えた者が3人おり
その中には存命中の酒井雄哉大阿闍梨も含まれる



酒井雄哉



ワタクシは宗教的儀式に興味があるわけでもなく
特別な信仰を持っているわけではありませんが
人体の限界を超越した精神力には
敬意を払わずにはいられません