母がまだ健在だったコロナ禍に


お客様だった幼なじみのお母様が


介護付きホームに入居されました


入居前母にご挨拶に来てくださいましたが


母は複雑な気持ちになったそうです


同じ年齢のその方は


まだお一人で生活できるような方だったのに


ご主人と娘さん(幼なじみの姉)を続けて亡くし


お一人では不安だったのてしょうか。。。


入居後も心配で何度か電話していた母が


寂しそうに


もう電話しない。と、呟いた事がありました


こんなはずじゃなかった

もう私はここで死ぬしかない

私なんかもうほっといて


最後の電話でこう話されたらしい💧


コロナ禍ゆえに家族との面会もままならず


外出などもってのほか


牢獄のような場所に入れられた


そんな風に気持ちが変化していったよう


実際どのような施設でも


身体が元気であっても


当人の自由は拘束される


足がなまるからと、廊下を歩けば


転けると困るからと止められる


日々狭い個室でTVを観て過ごす


誰とも交わらず。。。


こんな生活が3年


普通なら呆けてしまうところですが


そのお母様、頭はしっかりされているらしく


幼なじみが先日お店に遊びに来てくれた時


他人の私でも会いに行けるのか?と尋ねると


前日までに面会の予約をすると


短時間ではあるけど会えるそう


それなら会いに行こう❗️と


昨日の仕事の合間に施設に行ってきました


部屋に案内されると


ベッドに横になっていたお母様が飛び起きて


「よう来てくれた❗️」と


私の手を握って


想像絶するほど喜んでくださいました💧


3年見なかったお母様は


血色も良くお元気そう


施設の方の話では


耳が遠くて呆けてはいないが


記憶が混乱することもあるとのこと


私のことは覚えていてくれていましたが


話をする中で私は


親戚の1人になっていました(笑)


日頃お店で高齢者の方々と接していて


少し記憶がややこしい人もいるので


特にそれはなんとも思いませんでしたが


お母様の溢れ出すお話をお聞きしていて


母も同じような感じだったと思い出す


高齢になればなるほど


建前とか、理性とか、そういうものは薄れ


本能のみの感情が溢れる


淋しいんだよね。。。


誰とも喋れない毎日は


お喋りで快活だったお母様にとって


とても辛いはず


耳が遠くて


電話もできなくなったと嘆かれるお母様


私が伺うことで少しでも気持ちが晴れるなら


そう思って


これからは毎月面会に行くことを約束しました


お菓子食べ過ぎで


しばらく送らない、と、


幼なじみが言ってたのですが


お土産として高島屋の銘菓百選で


色んなお菓子を少しずつ購入して持参しました


以前のお母様なら


こんなことしてもらって申し訳ない


そんな風におっしゃっていたと思いますが


昨日は


お菓子?嬉しい〜❗️と、


子供のように喜んでくださいました☺️

お父様の遺族年金で賄えるという施設費用

色んな方のお話お聞きしますが

こちらはかなり高額で

例えば

外にお買い物に行く場合

付き添う方が付かねばならず

それには別途介護料が加算されるとのこと

栄養管理された3度の食事とおやつ

こちらにいたらまだまだ長生きできそうですが

万が一母が生きていても

やはりこういう場所には預けたくないと感じる

職員の方々も事務的で覇気がない

楽しい場所でも楽園でもない介護施設で

どのように命を全うするのか?

私はここで死ぬしかないんよ。

私にもそうおっしゃってたお母様

老いるということ

長生きするということ

それは必ずしも幸せな事ではない気がしました


自由を束縛されず

24時間安心して暮らせる場所

私は母の生前、

共に入れるシニア向け分譲マンションに

入居することを真剣に考えていましたが

きっと生きていたら

最後の最後までお店に執着して

そういう場所にはたどり着けなかっただろう

私は早い段階でそういう場所に行きたい

本気で調べた時

あまり数は少なかった中楽坊も

どんどん増えてきていますね

もっと増えればいいと思います