誰とも話せなくなった幼少期の思い出


誰かと話したい


だけど私達家族をよく知る人はいない


「あの人」を除いては。。。


その人は父が愛した人


名前をググればすぐに出てくる女性


現役でお仕事もされていて大阪在住


母の生前


その話になり


パソコンで出てきたその人の写真を


怖い顔で食い入って見ていた母


生きてるんかな?と、呟くと


生きてるよ❗と、即答


どうやら時々無言電話をかけて


彼女の生存確認をしていたよう😅


もし道で出会ったら?と、尋ねると


けり飛ばす。と、ひと言(笑)


まともに階段も上れないその身体で?(笑)


冗談はさておき


母にとっては


家庭を壊したした悪い女と認識していたよう


いやいや、悪いのはパパやで


そう言っても


この女さえいなければ、という、怨念は深い


実のところ


父の愛人はこの女性だけではなく


私が知りうる限りでも他に2人いました


たまたま長く続いたその女性は


なんと祖母(姑)にも紹介されていて


母を嫌う祖母は


この女性によくしていたらしい←母いわく


「夫の家庭を壊すまで」を観たとき


祖母を思い出したのはいうまでもなく。。。


祖母は人格者で


私達兄妹にとっては素晴らしい人だった


だけど


祖母も罪深い事をしていたんだ


この点では母を不憫に思う


相当相性の悪かった2人


母が祖母に叱られて泣いている姿が


思い起こされる。


「そんな事をしてたらママみたいになる」


片付けをしなかったり


だらしないことをしたら


よく祖母にそう言われていました😓



先日、又三郎の世津子さんのお宅で


「母親を偲ぶ会」に参加させて頂いた時


ふとしたことから


その女性の話になり


実名をお話ししたら


前田先生がその人をご存知でした


スタジオも近いし


似たような業界なら当たり前かも


「私は好きな人よ」そうおっしゃる前田先生


実は私もその女性が好きだった


小学生の頃


父の会社やお店に遊びに行った時


優しくしてくれたその女性に


私はとても懐いていた記憶があります


他にも若くて綺麗な父の愛人のお宅に


遊びに行ったり


遊園地などに連れていってもらったり


私って


昔から人見知りしない陽キャだったよう😅


そんな私を母は


憎々しげに思っていたでしょうね💧


諸事情を知らないとはいえ


申し訳ないことをしました


父の会社の倒産が


付き合っていた女性のせいとは思えないし


兄がスペインへ留学した最初の頃は


少しの間その女性と一緒に住んでいたよう


細かいパズルのような記憶しかないけれど


あの人なら


私達家族の事をよく知っているはず


「思い出話がしたい」というその気持ちは


寂しさを苦しさとも感じるようになり


躊躇っていた私を


「電話をかける」という行動に駆り立てました