昨日は父の祥月命日でした


水曜日は仕事が忙しい日


日も短くなってきましたが


まだ暑いと感じる夕方にお墓に向かいました


お墓を掃除して手を合わせる


23年前のこの日を思い出しては


毎年涙していましたが


不思議と昨日は涙が出ませんでした


生きていたら96歳か。。。


想像したら複雑な気持ちになって


そんな年老いた父を見たくなかったし


あの時あんな風に亡くなったのは


父の寿命だったんだろう


96歳で存在するなら


父はヨレヨレでシワシワ


きっと会話も成り立たないはず


ダンディで自慢だった父は


そのままの印象で逝ってしまった


父に対する最後の言動を激しく悔いたが


結局は自分で自分を許せなかったんだろうな


一昨年亡くなった母に


父の時のような後悔はないのは


同じ過ちをしたくないという


教訓がいかされていたのだと思う


兄も逝ってしまった今では


誰とも幼少期の思い出を語れない


自分のルーツを知ってくれている人がいない


自分に家族はいても孤独感は拭えない


人はひとりで産まれて


ひとりで死んでいく


今生の別れに先の物語はなく


それを思うと涙がこぼれていた


会いたくても会えなくなるなら


どうしても会っておきたい人には会おう


そう思って


ひとつの行動を起こしました


私や私の家族を詳しく知る唯一無二の人


今なら普通に話せるはず


私の決心が鈍る前に会いたいと思いました


だけど


その決心が


私の期待を見事に裏切るのでした


父の墓前で涙がでなかったのは


その事もあったのかもしれない


気持ちが落ち着いたらまた綴ろうと思います