母の死後
より一層深まった気がする兄との絆
それは兄も同じなのか
年末年始にかけてSNSで
「家族」を語り始めた
祖父母に育てられた私達は
幸せな幼少時代を過ごしたはずなんだが
実のところ
両親の不仲を目の当たりに見て育ったからか
本当の「愛」に飢えていたのだと思う
そう、傷心を慰め合っていた
それは祖父母が別居してしまった頃に
より一層深くなっていく
この頃は本当に幸せだったなぁ
兄もきっとそう感じているのだと思う
ずっと長くそばにいる兄妹より
離れていても
深い部分で繋がり合えていたのは
祖母の教育であり
祖父の優しさだったんだと思う
両親には申し訳ないけれど
両親より大切な存在だった祖父母
2人が亡き今も
鮮明に甦る数々の温かい思い出
それがあるから私達は頑張れた気がする
祖父は終末をスペインで迎え
介護は兄が担ってくれた
大好きな祖父に
寄り添ってくれた兄には感謝しかなく
母のお世話や死後の手続きに翻弄する私に
いつも「すまんな」と言葉をかけてくれるけど
それはお互い様なんだよ
私も若かりし頃の兄に
なにもできなかった自分を申し訳なく思う
相手を思い合う気持ちがあるから
これからも兄との絆は深くなるはず
だけど。。。
兄が綴った文章でひとつだけ違うことあり
「仲良かった」事はない(笑)
いつもいつも
おちょくられ弄られてた私
兄に弄られては泣いてばかりの私は
家族から泣き虫の「ナーキ」と呼ばれていた
兄手製のヌンチャクでしばかれたこと
昆虫採集の注射器をお尻に刺されたこと
遊んでいてガラス戸に飛ばされたこと
きっと死ぬまで忘れない(笑)
5歳も歳の離れた妹なんて
対等な遊び相手にはならない
だけど精神年齢は女性の方が上なので
大人になって対等な話ができるようになり
やっと本当に「仲が良くなった」気がする(笑)
今の時代時差があっても
SNSを介して話し合えるということが
より一層私達の絆を深くしていったのだろう
唯一無二の存在である兄が
私の本当の意味での最後の「砦」となる
友人から「ブログを綴る意味」を問われた時
真っ先に浮かぶのは兄の顔
離れて暮らす兄に
母や私達家族のことを
知ってもらいたくて始めたブログ
母が亡き今
続けることに意味があるのだろうか?
そう思わなくもない
だけど兄は私のブログを楽しみにしていて
1番のファンであることは間違いないはず
お互いの近況を熟知できるツールに感謝
あ❗そうそう❗
兄が過去を振り返ったSNSで一番驚いたのは
こちらの写真
他者とのコミュニケーションを
築くことのできない不器用さにより
義姉の視野は狭く
友人と呼べる人は殆んどいないはず
その結果大病を患ってしまったよう
子供達は巣立ち
夫は出世街道を爆走するなか
孤独を募らせたのだろう
側にいたなら
きっと力になれたはずなのに、と
ジレンマを感じた事もある
可愛い姪達や大切な兄を支えてくれた人に
少しでも長く幸せな日々を
過ごしてほしいと願わずにはいられない
63歳になった兄の定年は68歳らしいが
あと5年でどこまで上りつめるのか?
頂点を目指してほしいと
期待せずにはいられないけど
健康にだけは気を付けてほしい
また会える日を楽しみにしています



